第35話 赤のヤンデレの事情②
この数日後、彼女は急に『きゅるるん♡』などという可愛すぎる呪いにかかったことが発覚した。呪いなどではなく、彼女の身体に悪影響がないなら何でもいいのだが……。
とにかく可愛くて可愛すぎたから、正直このままでもいいのかな、などと思って、何の成果もなく城から学園へと戻った時だった。彼女の健康に影響がないなら、それでいいじゃないか。リュミエールはリュミエールだ。
「では、僕は一度部屋に戻りますので」
「あぁ、また授業でな」
一緒に戻ったブルーノと別れて、オレはひとり学園内の教会へ向かう。まだ今週分の祈りを捧げていなかったのだ。一緒に調査をしながら、ちゃっかり自分だけノルマをこなしているだけ、ブルーノの方が効率がいいのかもしれない。
まだ朝も早い。特別門を開けてもらったが、登校時間前だ。
誰も居ない校舎もまた静かで好ましい。もう少しすれば、生徒らの活気で賑わうことがわかっているからこそ、この静けさが余計尊いもののように感じるから。
そう――人の気配など、警備員や清掃員だけのはずなのに。
よれよれと、オレの向かいから歩いてくる生徒がひとり。従者クラスの制服を身にまとった黄緑髪の青年が、大あくびをしながら重たそうに足を動かしている。
彼はすれ違う間際になって、ようやくオレのことに気が付いたようだ。
「あ……レッドモンド殿下⁉ 申し訳ございません。おはようございます」
慌てて頭を下げてくるラグリに「構わない」と応えながらも……オレも驚きを隠せなかった。彼がオレに仕えるようになって、もう五年以上になるが……彼のあくびなど一度も見たことがなかったからだ。それとどことなく、いつも固い顔をしていた従者の表情が緩いような気がする。
「どうしたんだ? オレが不在の間に、何か学園にトラブルが?」
「あ、いえ――学園は特に滞りなく平和なもの……かと……?」
オレからの問いかけに、こんなにも歯切れ悪く応えるのも初めてのことだ。
よく見れば、彼の目の下にはくまが出来ている。シャツも寄れていることから、徹夜でもしたのだろう。ラグリは今、グリムヴァルドに仕えさせている。
ラグリの多忙すなわち、グリムヴァルドに何か――
「ご心配なく。グリムヴァルド殿下は今のんびり寮で休まれているはずです。休暇に少々ショックを受けられるようなことがありまして、昨日は授業をお休みされておりましたが」
「それなら、どうしておまえが弟のそばにいない?」
専属従者ならば、主が異変があった時こそそばで支えるものである。
なので異を唱えれば、まったく怖気づくことなく返答した。
「それが弟殿下からのご命令だったからです」
そのやり取りは、普段からの彼そのものだったのだが……なぜか吹き出すように笑いだす。
「本当に、自分のことは気になさらないでください。ただ友人らと夜遊びをしていただけでございますゆえ」
「夜遊び……おまえがか?」
「はい」
たしかに、昔は一時期家を飛び出し、常に夜遊びしているような環境に身を置いたことのある男だ。だが、俺が使いだしてから夜遊びどころか、休暇を与えても休まないような男だった。そんなやつが、急に夜遊びを?
――まぁ、いいか。
だが、彼もオレと同年代。何かに触発されて、遊びたくもなる年頃だろう。オレが窮屈な生活をしていたからといって、従者もそれに倣う必要もない。
それに、こんなにも表情が柔らかくなったのなら本望だ。
「それなら、グリムヴァルドの元へ案内してくれ。兄として授業を休んだ弟を見舞うことも責務だろう」
「かしこまりました。ご案内いたします」
そして彼は、姿勢を直して粛々と歩きだす。
たとえ姿勢を正してもジャケットのしわがわかる背中に、オレは小さく笑った。
「なぁ、ラグリ」
「はい、なんでございましょう」
「おまえに留年させてよかった」
「は?」
振り返った顔は、いつも以上に間抜けで。
しかも、それはすぐに目じりにもしわを作る。
「相変わらず、趣味が悪うございますね」
そして、オレが弟のグリムヴァルドの見舞いと称して、リュミエールのかかった呪いに関して進捗がなかった旨を報告した際――教えられる。
「リュミエールが執事と浮気をしているよ」





