第34話 赤のヤンデレの事情①
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皇帝とは、常に一番であれ。
そのイメージを全国民に知らしめる活動は、子供の頃から始まっていた。
『まぁ、さすがレッドモンド殿下。もうそんなことまで勉強してますの?』
誰よりも先んじて勉強を始めさせられていた。それは帝王学に限ったことではない。マナーや他国言語の習得は、物心ついた頃からみっちり勉強させられていた。
剣術や馬術の訓練も、もちろん負けなど許されない。
『うわぁ、さすがレッドモンド殿下には構わないなぁ』
特に諸外国の大使が見学に来た時は、必ず年上の訓練相手がいいところで自ら剣を手放す。手綱を緩める。
もちろん悔しかった。だから自ら必死に全てを身に付けた。
そうすれば、周囲に余計な気遣いをさせる必要がなくなるから。
そうしたイメージ操作は、自然とオレの周囲の者へも求められた。
そして如何に努力しようとも、完璧になどなれやしない。
『リュミエール、体調が優れないのか?』
『そんなことありませんわ』
その日の王妃の生誕祭のパーティーにて、オレがエスコートする婚約者リュミエール=フォン=ラムネリア嬢の様子がどこかおかしかった。
その頃、オレは十五歳。リュミエール嬢は十三歳。彼女は社交界デビューを果たして間もないから、この大きな晴れ舞台に緊張でもしているのだろうか。
そんなことを考えて『そうか』とオレは彼女とダンスを踊る。
リードは少し大げさにしたつもりだ。その方が、たとえ彼女の気が竦んでしまったとしても足を動かしやすいだろうと、そう思ったから。ダンスに失敗して怒られるのはオレだけじゃない。むしろ『オレに恥をかかせた』と彼女の方が責められてしまうことを、オレは知っていたから。
ダンスが終わったら挨拶まわりだ。オレはそのままリュミエールに腕を貸しながら、会場内を巡ろうとした時だった。
『僭越ながらレッドモンド王太子殿下。お嬢さまをお借りしても宜しいでしょうか? 主人が用があるということでして』
『ラムネリア公爵が?』
話しかけてきたのはラムネリア家の従者・シルバーという男だ。オレより一つ年下の少年で、本来ならそんなに若い従者がこんなパーティー会場に付き人としてついてこれないはずなのに……彼は誰が見ても恥ずかしくない立派な態度で、オレに粛々と頭を下げてくる。
隣のリュミエールを見やると、彼女も特に呼ばれる覚えがない様子。
だけど、このシルバーという少年はラムネリア家で多大な信用を置かれているらしい。それは、もちろんリュミエールからも。そんな彼からの丁寧な申し出を断るのもおかしな話だろう。
『ではリュミエール。こちらは気にしないでいいから、行っておいで』
『ありがとうございます。少々行ってまいりますわ』
そうして、リュミエールはお辞儀をしてから会場を離れる。
彼女は自分の前で、あまり主張をしない少女だった。それも、次期皇帝であるオレを引き立てるために周りから求められているのだろう。いつもオレの後ろで、背筋を伸ばしながらも柔らかく微笑んでいる。それが自分の婚約者リュミエール=フォン=ラムネリア嬢。
だけど今日、彼女の歩き方がどこかやっぱり不自然で。
慌ててあとを追うと、彼女は物陰で従者に足を差し出していた。
『あ~あ、ひっどい靴擦れ。だから無理せず、いつものヒールにすればいいのに』
『だって殿下の身長が伸びていらしたんだもの。恰好つかないでしょ?』
無理やり笑った、その令嬢らしからぬ笑みに、オレは思わず見惚れた。
たしかに、オレは最近急激に身長が伸びた。今日の服も、袖や丈が足りないと侍女たちが慌てて調整していたようだが……服などに興味がないオレは、まるで気にもしていなかったのだ。
『男女の間には理想の身長差というものがあるの。ヒールという武器で合わせるのは女性の役目よ』
『ふ~ん。そんな相手の身長を気にする野郎こそ、器が小さいと思いますがねぇ』
あれが、本来の彼女なのだろう。『ともかく俺にとって世話のかかるお嬢様ということだ』と足の治療をする従者の長い髪を『それがあなたの仕事でしょ?』と三つ編みしているようだ。なんと可愛らしい嫌がらせだろう。
だけど、そんな彼女に声をかけられるはずもなく、オレは踵を返す。
オレは彼女にあんな顔をさせてやれない。
そして――彼女の無理な靴にも気が付かず、無理やりオーバーな動きで躍らせたのは、自分なのだから。
リュミエールが入学した。
今までずっと、二人の間の距離を縮められたことはない。
別に、それが必ずしも必要がないことはわかっている。しょせんは計略結婚だ。彼女には王妃という務めを果たしてもらいつつ、世継ぎを生んでもらえばいい。それは仕事だ。最低限の交流さえ取れていれば、別に彼女の私生活など風潮に影響しなければ、関与すべきではないのだろう。
――だけど、学生時代なら。
彼女と共に同じ学び舎に通えるのは、たったの一年間だ。
親元から離れ、誰しも少しだけ浮き足立ったりもするだろう。実際、この学園時代を婚活の場にする男女も多い。その空気感で、自分たちも少しくらい恋人のような思い出を作れたりしないだろうか。
『おまえ、本当に恋愛には奥手だよなぁ。他の男に取られたらどうするんだ?』
『お前が王座のついでに取ると?』
『それも悪くはない』
オレの右腕を務めてもらっているブルーノは、昔からよくそんな軽口を言う。半分は本気なのかもしれないが……別に良い為政を敷いてくれるなら、別に上に立つのはオレである必要はないだろう。
それは、第二継承権を持つ弟のグリムヴァルドも同じだ。
『ねぇ、兄上。入学祝いに兄上の有能な従者が欲しいな!』
『そうだな。ではそのように手続きしておこう』
『ついでに兄上の婚約者も欲しいんだけど?』
『……それは断る』
二番目ということで、色々と我慢させているのは知っていた。だから基本的に彼が欲しがるものは与えてきたつもりだし、それに王座も含めていたつもりだが……婚約者だけは、どうしても首を縦に振れなかった。
そして――その日はやたら空が輝いているような気がした、そんな晴れた日。
「あら、おはようございます。レッドモンド殿下」
――ずっきゅ~~~~んッ♡
心臓に矢を射抜かれるとは、こんな感じなのだろうか。
たまたま出会ったリュミエールが、俺に笑顔を向けたあと一礼をする。
――か、彼女はこんなにも美しい女性だっただろうか。
いや、間違えなく綺麗な令嬢だった。この国一番なのは間違いない。だけど……彼女の美しさは国程度の規模では収まらなかった。世界だ。いや、歴史上一番の美女といって過言ではないだろう。しかも清廉さと可憐さを兼ね備えている。女神だろうか。きっと女神は彼女の生き写しに違いない。そうでなければ、女神の美しさは彼女に劣る。リュミエールこそ女神の生まれ変わりなのではなかろうか。あぁ、きっとそうだ。オレの婚約者は女神だったんだ。
――なに、女神だと?
オレの婚約者が女神だった。
そんな衝撃の事実はまさに天啓。この世の真理。
世界よ、オレに真実を教えてくれてありがとう。オレの婚約者は神だった。
そんなオレに、再びビビビッと頭から稲妻を受けたような衝撃が走る。
オレのまわりの男は総じて、彼女に好意を向けていなかったか?
『おまえ、本当に恋愛には奥手だよなぁ。他の男に取られたらどうするんだ?』
『お前が王座のついでに取ると?』
『それも悪くはない』
ブルーノ然り。
『ねぇ、兄上。入学祝いに兄上の有能な従者が欲しいな!』
『そうだな。ではそのように手続きしておこう』
『ついでに兄上の婚約者も欲しいんだけど?』
『……それは断る』
グリムヴァルド然り。
そして何より、常に彼女の後ろに控えた従者シルバーは、誰よりも彼女の心の近い場所にいる。
――これは、由々しき事態だ。
女神を娶ることこそ、次期皇帝たる己の責務だろう。
それだけは譲れない。
『リュミエール。オレは真実の愛に目覚めたようだ』
『はい……?』
彼女の両手をとって、今まで近づいたことがないくらい顔を近づけて告げる。
薔薇色に染まった白陶器の肌が、なんと美しいことか。
やはり、彼女は紛れもなくオレの女神だったのだ。





