第32話 黄緑のヤンデレの事情
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優秀になりたかった。
頭脳でも、武術でも、話術でも、何でもよかった。
そうすれば、兄たちより率先して自分を次期当主として見てもらえるかもしれない。何かしら親の関心を引けて、『すごいね』『さすがだね』と褒めてもらえたかもしれない。
だけど、自分はただの三男坊。女児だったらドレスを着せられて『可愛い』などと褒めてもらえたのかもしれないが、男にはそんな楽しみすら見出してもらえない。
家族の中でも、昔から自分は空気だった。
居ても、居なくても、どちらでもいい存在。
それが嫌で――いつしか、言葉より手足が出ることが多くなった。
『あ~、きみ。誰だっけ?』
同世代の会合で、少しでも気に食わないことがあれば、そいつを殴った。
名前を憶えてもらえないのも、自業自得だ。相手の興味を引く話題を提供できない自分が悪い。いつも他人の顔色ばかり窺って、誰の印象にも残らないようなことしかできない自分が悪い。
『おまえはどうしてこう……ろくなことをせんな』
そんなことばかりしていれば、親もいつしか軽蔑の色で自分を見てきた。
居ても居なくても、ではない。居てほしくない存在。
それを察してしまった時――自分は屋敷を飛び出した。
追いかけてくれるひとなど、誰も居ない。これでも、それなりの名家の坊ちゃんなのに。従者に『追いかけるな』と、親が命じたのだろうか。それほどまでに……自分には消えてほしかったのか。
王都の別宅で暮らしていたのが幸いしてか、不運だったのか。野垂れ死ぬようなことにはならなかったけど。代わりに路地裏に住まうような住人の目に止まって。助けてもらって、構ってもらえたのが嬉しくて。そんな世界でずっと生きていくのかと、染まりかけていた時だった。
『見たことある顔だな』
――どうして、この人がこんな場所にいるんだ?
――どうして、この人が自分のことを知っているんだ?
レッドモンド=フォン=ネルネージュ第一王子。自分より少しだけ年下の少年が、場末の酒場なんかにひょいと顔を出したのだ。
『や、え、どうして……』
一応、変装のつもりなのか、それっぽい恰好をしてはいたけれど。
ボロ服でも高貴な雰囲気はまるで隠せておらず、自分は慌てて彼の肩を組む。
『やぁ、いきなりこんな場所にどうしたんだよ~。ちょっと外で話そうぜ?』
『お、グリム。てめぇのダチか?』
『そんなような、そうでもないような~』
ハハハ~と笑いながら、なんとか殿下を明るい場所まで連れ出して。
『どうして貴方のような方が⁉』
そう問いかけると、レッドモンドという男はまるで怯みもせず堂々と言葉を返してくる。
『それよりも、おまえは『グリム』とかいう名前だったか?』
『偽名ですよ! あんな場所で本名名乗るようなやつ、いないですよ。それよりも、護衛はどうしたんですか? まさかお忍びでいらっしゃったりなど……』
『あぁ、護衛は『影』を連れてきているから問題ない。俺としても、用件が早く済んで良かった』
同じ場所に居ても、自分はこの王太子殿下という少年をずっと遠くから見るだけだった。
だって、貴族の三男坊と王族の嫡男ではまるで世界が違う。存在の価値が違う。
求められて生まれた存在は、いつもその存在意義を赤々と見せつけてくれていた。
話したことだって、数える程度……挨拶した程度しかない。一度だけ、彼がパーティー中に小さくお腹を鳴らしていたことがあったから……挨拶に忙しくて食べる暇もないのだろうと、握手ついでに持っていたチョコレートを握らせたくらいだ。
しかもそれも、もう三年くらい前の話。その後、彼から礼を言われるような機会もないし、そもそも自分なんかが渡した菓子を食べたかどうかも知らない。
それなのに、この少年は自分の手を掴んでシンプルに言った。
『それじゃあ、帰ろう』
『は?』
どうして親すら迎えに来ない自分なんかを、ろくに話したことがない王太子殿下が迎えに?
さっぱり意味がわからない。
だけど、この王太子殿下は淡々とさらにわからないことを口にする。
『どうして驚く? 友人が行方不明になったと聞いたんだ。探しに来て当然だろう』
『え、だって、友人だなんて……』
『三年前、腹を空かせたおれに菓子をくれただろう? 知らない人から貰ったものは食べてはならんが、友人から貰ったものなら食べられる。というか、それすらも食べられなくなったら、心が死ぬ』
――この少年は、何を言っているんだか……。
それでも、彼はもう一度『帰ろう』と手を引いてくるから。
それを、思いっきり振り払った。
『お心遣いは痛み入りますが、自分には帰る場所もありません! もう放っておいて――』
『なら、俺の元へ来い』
『は?』
自分はこの短時間で、何度疑問符を返せばいいのだろう。
だけど、この王太子は全く意に返すことなく、答えを返してくれる。
『前からいいなと思っていたんだ。気は利くし、礼儀正しい。頭の回転も悪くない。それにどこにいても邪魔にならず溶け込める存在感……帰る場所がないならちょうどいい。おれに使われろ。見返りとして、一生涯、居場所に困らないよう約束する』
その言葉に、思わず吹き出す。
真面目な顔で、一生涯の世話など……プロポーズでもあるまいし。
『……趣味が悪いのでは』
それでも、どこにも居場所がなかった自分に、生涯の場所を与えてくれるなら。
『これからどうぞ末永く、よろしくお願いします』
そう頭を下げるのに、まるでプライドは傷つかなかった。
だから、直接仕える相手がレッドモンド殿下自身でなかろうと、あまり問題はなかった。
たとえ弟君のグリムヴァルド殿下の側役になろうと――そこが自分の居場所になるなら、さして問題はない。レッドモンド殿下も、なぜか『ちょうどいいから、青春をやり直せ』と言っていた。何がちょうどいいのかは定かではないが……レッドモンド殿下の傍より少々手がかかるが、グリムヴァルド殿下は思春期真っただ中の少年だ。初恋に少々暴走して、多少人に迷惑をかけることくらいあるだろう。そこまで大仰にするほどでもない。家出して不良以下に落ちていた自分などに比べれば。
それが義理の姉という身内ならば、尚のこと。先方も……どうして「きゅるるん♡」な真似をしだしたかはわからないが、負い目もあるだろうし、あまり大事にならずに済むだろう。
そう――思っていたのだが。
ラムネリア嬢の従者が、カフェテリアのテーブルの上に堂々と立って声を張る。
「さぁさ、ラグリさん何暗い顔してんの~。喉乾いた~? 喉乾いちゃった~? それじゃあ誰かドリンク渡してあげて? そのまま一気に飲み干してみよう~、せーのっ!」
謎の「どどすこ」という煽りを受けて、致し方なく令嬢から渡されたジョッキドリンクをイッキ飲みする。これは五回目だ。さっさと飲まないとどんどん延々と煽られ続けるのだ。
しかも飲み終わったあとに「ごちそうさまでしたぁ!」と大声で言わないと、さらに次のジョッキを渡されてしまう。これは何の苦行なのだろう。 まぁ、中はただの薄めたアイスティーなので、何も問題はないのだが。
そんなジョッキに入った薄いアイスティーを、多くの令嬢令息らが嬉しそうに飲み合っている。皆が見よう見まねで煽り合いながら、とても楽しそうに歓談をしていた。
――これの、何が楽しいのだろうか。
さすがに五杯目にもなると腹が苦しい。
中央のテーブルの上で「ミラーボールがほしいいいいいい!」とお玉を片手に騒いでいるシルバーに見つからないように部屋の隅へと移動すると、そこで目を小さく丸めて無駄に姿勢よく座っていた令嬢がいた。彼の主、リュミエール=フォン=ラムネリアである。
カフェテリアの使用許可を取ったのかどうか、自分は確認していない。だけどそれ以前に、すでに下校の鐘はなってしまっている。それなのに、まだこの場に五十名くらいの生徒が残っているのは如何なものか。その中には、此度ラムネリア嬢を貶めようとした首謀者もいる。やたら熱い視線をシルバーに送っているようだが……他の令嬢方も皆、似たようなものだった。
彼女の隣の椅子に座りながら、尋ねてみる。
「……こんなことが許されるのですか?」
このような騒ぎのみならず、犯人に何もお咎めをしようともしない彼女に、二つの意味を込めて尋ねてみれば。呆然と自分が零した疑問符に、ラムネリア嬢はそっと視線を逸らす。
「是が非でも許されてくれないと困りますわ……」
「落ち込んでますか?」
「落ち込むといいますか……内心あわあわしているといいますか」
「もし必要であるなら、レッドモンド殿下にお口添えしてもらえるよう連絡いたしますが」
「嫌です――いえ、結構ですわ。彼の主は、わたくし――」
「ま、これで未遂で終わったならいいんじゃな~い?」
そんなことを話していると、人の間を縫ってアイリーン嬢がやってくる。その手に持っていたフルーツ盛り合わせをラムネリア嬢に渡そうとするものの、中央からの「おまえが言う台詞じゃない!」というシルバーからの叱責に振り返る。
「あたし今日も何も悪いことしてないじゃん!」
「しただろ、無駄にしたお嬢様の教科書代は働け!」
「もう、しょーがないなぁ」
そしてすぐさまフルーツ皿をラムネリア嬢に押し付け、彼女は厨房の方に向かう。
「ねぇねぇ、シェフのオジサマ方♡ 今日はあたしに一杯注がせてもらえませんか♡」
いつの間にか持っているボトルも、よく見ればただのジュースである。いかがわしい雰囲気満載ながらも、学園内に相応しい健全ぶり。ただ不釣り合いなのは、彼女の微細な動作の賜物だろう。
「だってぇ、いつも美味しいランチにありがとうだし~。このくらいでしかあたし、お礼できないもん。ね、いいでしょ?」
上目遣いのアピールにシェフ一同も「ヤッターメン家のお嬢様がおっしゃるなら」と渋々グラスを持つ。伸びている鼻の下からして満更でもないらしい。
そうしてデレデレとした大人も一緒に、本当にこの場の全員がグラスを持ったところで、中央の男はひときわ声を張り上げた。
「今日はみんなリュミエールお嬢様の奢りだ~っ! 楽しもうぜぃ!」
『ありがとうございまぁすっ』
この場の全員からお礼を言われて、彼女は力なく片手だけあげる。
その様子があまりにも覇気がなかったから。
「ははっ」
思わず、自分は笑ってしまっていた。





