第2話 三日三晩寝ずに考えた『とっておき』ですわッ!
シルバーは、昔からたまにおかしなことを言う。
どうやら前世は『ギンザ』という世界にいて、その世界の王様だったらしい。
しかし志半ばに死んだことを哀れに思った神様が、この世界に転生する機会をくれた。
その時に特別な奇跡を貰った……ということらしいが、その奇跡が“わたくし”ってことらしい。……正直、彼の冗談の一種だと思っている。
そもそも、齢十七歳のシルバーが我がラムネリア家の執事ということ自体がおかしい。
執事とは、家の中の従者全員を取り仕切る役目の者をいう。伝統ある公爵家の執事を十代の若造が務めるなんて前代未聞なのだが……わたくしが気が付いた時には、もう我が家のトップに立っていたシルバーである。しかも、それなのに『リュミエール様専属従者の座争奪トーナメント(⁉)』で圧倒的な勝利を収めたとのこと。勝負の詳細は誰に聞いても教えてくれないのだけど。
そんなわけで、家の中のことを他の者に任せてわたくしに堂々ついてきたシルバーは、今日も束ねた灰褐色の髪を肩から払って、馬車から降りるわたくしに手を貸してくれる。
寮といっても校舎からそれなりに離れた場所にあるから、ほとんどの生徒が馬車で通学するのだ。たまに一緒に乗り合う女子生徒や、乗馬として通学する男子生徒もいる。だけど経済的に何の憂いもないわたくしは、普通にシルバーに御者を任せてひとり馬車で通学するのが常だった。
「ご苦労」
だから、そう言うのはいつもの癖みたいなものなんだけど。
そんな当たり前の登校をすると……今日も校門で待ち伏せしていたレッドモンド=フォン=ネルネージュ第一王子殿下がこちらを物凄い形相で睨みつけながら近づいてくる。
――ここですわっ!
いつものわたくしなら、ひとまずお辞儀をする。それがマナーだからだ。
だけど、今日は口元で両手を軽く握った。
「きゅるるん♡」
「…………」
殿下の足が止まる。わたくしのすぐ後ろから、シルバーの吹き出す声が聴こえるけど、軽く足を踏んでやるくらいで我慢しておいて……わたくしは上目遣いを含めてポーズを崩さない。
どうですか、このアホっぽさ!
馬鹿っぽいでしょう? 間抜けでしょう? 腹立つでしょう?
『ぶりっこ』っていうのよね? わたくし、このようにわざとあざといことをする女性は大っ嫌いなの。正直、自分でやっといて鳥肌モノなんだけど……ここは我慢。
わたくしの評価が下がることも我慢しましょう。なんせ婚約破棄も覚悟の大作戦。生きるか死ぬかの身の上で、そんなわがままは言ってられない。
今も後ろからはシルバーの必死に笑いを堪えるくつくつ声が聴こえてくる。
対して……わたくしの真ん前で立ち止まった殿下は、呆然とわたくしを見下ろしていた。
「か、かわいい……‼」
「へ?」
その後、公衆の面前で殿下に思いっきり抱きしめられて。
わたくしは思わず間抜けな声をあげてしまった……。
「だぁーははははっ! なんですか、『きゅるるん♡』て! さすが俺のお嬢様! 俺の想像の百歩前を行ってくださるっ!」
「わ、笑いすぎですわよっ!」
今、初めて授業をサボって保健室にいる。
だって……あのあと酷かったの。レッドモンド殿下は何度も何度もわたくしを「可愛い」と連呼しながら、「今すぐ僕の部屋へ行こう」だの「もう二度と離さない」だの「食べてしまいたい」だと、甘ったるい声でずーっとそんなことを囁いてきたもんだから……思わず令嬢必殺『あぁ、眩暈が』を発動させてしまった。
わたくしとしてはシルバーに運ばせるつもりだったんだけど、殿下が「僕が運ぶ!」と行って聞かず、皆様に見られながら横抱きで運ばれるという、恥の上塗りしてしまったのだけど。
ようやくシルバーと二人になれたのは、彼の「大好きな殿下にそんな熱く見つめられては、お嬢様の熱も下がらないのでは?」という助言(⁉)のおかげである。
そんなシルバーは養護教員も体よく追い払ってから、いきなりわたくしを指さして笑い出したのだ。
「あ~、腹が痛てぇ……。いやぁ、きゅるるん可愛かったですよ? マジぶん殴りたくなるくらい――」
「そうですわよねぇ⁉」
彼のその発言に、ベッド上でわたくしは前のめりになる。
「そうよね? イライラしますよね? あんなことされたら一発殴りたくなりますよね? それなのに……どうして殿下はわたくしを蹴り飛ばしてくださらなかったんですの?」
「えっ、お嬢様。蹴られたかったんですか?」
「一応、コルセットはいつもよりガッチリ巻いておきましたけど」
そう言いながら自分の固い腹部を服の上から触れば、シルバーも「どれどれ」と腰回りに触れてくる。いくら従者といえど、これでも男と女。彼が学園に同行することが決まって、わたくしが一番に覚えたことは自身の着替えだった。なので、いつもコルセットまでは自分で着けているのだけど……。
「うわっ、キツすぎでしょう? 少し緩めますよ」
わたくしが遠慮するよりも前に、シルバーは慣れた手つきで背中の下からスルスルと手を入れてしまう。ちょっと、くすぐったいですわっ!
そう身を捻って彼の手を制止させようとした時だった。
「失礼する」
保健室の外から声がかかり、さすがのシルバーも慌てて手を抜く。
そしてすぐさまガラッと扉を開けたのは、案の定レッドモンド殿下だった。
殿下はシルバーを一瞥するや否や、舌打ちを隠さない。
「貴様、まだ居たのか?」
「お嬢様の専属執事ゆえ、当然でございます」
毅然とお辞儀するシルバーの傍らで、わざと咳をしてベッドに身を横たえるわたくし。
すると、殿下が低い声でシルバーに命じた。
「席を外せ」
「ですが、私はリュミエールお嬢様の世話をする身ですので」
「僕の言うことが聞けないのか?」
「お言葉ながら、たとえ王太子殿下のお言葉であろうとも、私はお嬢様の身の安全を守ることが務めであると自負しております」
「貴様っ!」
長い足であっという間に近づいてきたレッドモンド殿下がシルバーの胸倉を掴んだ。