第18話 黄いヤンデレの事情
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オレ、イエーロ=フォン=スルメロは皇帝陛下の盾になるべくして生まれた。
剣には、自分の兄がいる。兄は自分の付け入る隙もないくらい、順調に父の背を追いかけていた。このまま行けば近い将来、確実に次期皇帝陛下の剣として戦場で活躍することだろう。
それならば、次男である自分の役目は?
どんな攻撃を受けようと、陛下を守る盾であらねばならない。
そのために身体を鍛えよう。剣術を極めよう。ありとあらゆる武芸を学ぼう。
だって――強くなければ、盾はすぐに砕けてしまうから。
これは主君を守るためであるのと同時に、己を守るためだから。
たとえ誰かのために死ぬ運命だとしても……少しでも生き長らえたい。
それを願うことは、そんなに傲慢なことなのだろうか。
そんなオレには婚約者がいた。
コンスタンツェという同い年の女性だ。可哀想に。いつ死ぬとしれない自分と結婚したって、寂しい将来が早く来るだけなのに。オレは自分の伴侶を守るためにこの命を使ってやることもできないのに。
それなのに、彼女はいつもオレとの交流を求めてきた。
やれ、一緒に昼食をとりたいだの。
やれ、一緒に茶が飲みたいだの。
やれ、一緒に劇を観に行きたいだの。
そんな暇があるなら訓練をさせてくれ。オレは少しでも長生きしたいんだ。
そしてできることなら、騎士としてではなく、男として未来の伴侶を守ってやりたい。死んでしまえば、妻や家族を守ることもできなくなってしまう。
だってコンスタンツェという令嬢は、とてもかよわい女性だったから。
腕や足がとても細い。色も白い。少しでもぶつかったら、すぐに折れてしまいそうだ。
「ねぇ、イエーロ。今日は訓練の見学にお邪魔してもいいかしら? 見ているだけならいいでしょう?」
「……やめてくれ。気が逸れる」
「それなら仕方ありませんわね」
やめてくれ。そんな悲しそうな顔で微笑まないでくれ。
――だって訓練なんて、女性が見てもつまらないだけだろう?
その罪悪感がとてもつらくて。
そんなある日、突如世界に光が差したような気がした。
「あら、イエーロ様ごきげんよう。精が出ますわね」
それは、オレが近いうちに主君とする王太子殿下の奥方となる令嬢だった。
今年、入学したばかりだという。朝のジョギング中にたまたま出会い、そんなどうってことない挨拶をしただけ。次期王妃に相応しい、清楚かつ凛とした女性だった。
その背筋を伸ばした佇まいに「くらっ」と来た。
少しして「きゅるるん♡」としか話しかけてくれなくなったけど……些末な問題だろう。
だって彼女だったら。たとえ一人になっても力強く生きていってくれるだろうから。そんな確信が、なぜか胸の奥から芽生えてきたから。
彼女だったら……たとえ近い将来彼女をひとりにしたとしても、オレは罪悪感を覚えずに済む。そんな天啓のような感覚を、もしかしたら『恋に落ちた』などと言うのだろうか。
だって、実際にコンスタンツェは、オレと少しぶつかっただけで大げさに倒れてしまった。
口の端を切ったらしい。痛々しい。こんなか弱い女性……申し訳ないが、オレなんかが守ってやることはできない。どう頑張ったところで、オレの手足は二本ずつしかないんだ。
だから、
「コンスタンツェ、キミとの婚約をなかったことにしてもらいたい」
「そ、そんな……⁉」
ほら、キミはすぐ泣きそうな顔をする。
どうかキミは……もっとキミだけを守ってくれるような、そんな男と幸せになってほしい。
リュミエール殿に足蹴にされた途端、世界が少しだけ暗くなったような気がした。
その直後で……頭が理解を拒否するような罵倒でオレは急激に目が覚めて。
――あぁ、今までの罪を清算しに行こう。
――コンスタンツェにも謝罪して、改めて婚約破棄を願い出よう。
――どんな理由があろうとも、暴力を振るう男なんて結婚する資格がない。
――だからどうか、別の男と幸せになってほしい。
そう、思っていたのに。
「聞きましてよ、イエーロ。リュミエール殿に蹴られて欲情したようですわね、この変態」
コンスタンツェの口から、今まで聞いたことがない罵りが飛んできた。
しかも腕を組み、顎を少し上げ――オレより背が低いにも関わらず、オレを見下すような態度を崩さない。
「ず、頭が高いですわっ! 本当に謝罪するつもりがあるなら、まず膝を折ることから始めるべきではなくて? それとも……え、本当にそんなことを言うんですの?」
コンスタンツェの後ろには、桃色髪の令嬢がいた。なぜだか彼女は度々コンスタンツェに耳打ちで指示を飛ばしているようである。
「婚約破棄をするかどうか、決めるのはわたしです。わたしを傷つけたあなたに選ぶ権利があるわけがないでしょう?」
だけど、コンスタンツェが動じていたのは最初だけだった。
「このわたしに許しを乞いたいのなら、足でも舐めてごらんなさい! そうすれば、一生犬として飼ってあげてもよろしくってよ~~っ!」
「……あたし、そこまで言えとは言ってない」
なぜだろう、コンスタンツェが今まで見たことがないくらい楽しそうだ。それは助言者(?)であるアイリーン嬢が呆れてしまうほど。
だけど、その高慢な態度が夕陽を背にとても強そうに見えたから。
「ははっ……此度は本当に申し訳ありませんでした」
「なに笑っているんですの⁉ 食器を使わず食事をとりたいのかしら⁉」
――オレが守ってやるなんておこがましい。
そんな強き女性に、オレは心から跪く。
そして、その翌日。
コンスタンツェと昼食をとることになった。
今日のリュミエール殿の当番は、グリムヴァルド殿下のようだ。彼女との時間を独占できるなんて羨ましい……そんなことを、オレは思う暇すらなかった。
「あら、わたしを前に余所見だなんて、いい度胸しておりますわね? そんなにリュミエールさんがいいなら、今すぐ行ってきてもいいんですのよ?」
身を乗り出した彼女が、オレの顎を閉じた扇でくいっと上げてくる。
イキイキとした彼女に少し見惚れてから、オレが肩を竦めた。
「いや、今はいい。だが、今度リュミエール殿に贈り物をする許可をいただけないだろうか? ……こんな晴れやかな気分でいられるのは、彼女のおかげ……な気がするんだ」
そう、ここ数日はずっと頭に靄がかかっているような、そんな気がしていたんだ。
それはコンスタンツェに対する罪悪感のせいだと、そう思っていたのだが。
なぜだか、リュミエール殿に思いっきり蹴られてから、頭がすっきりした。
そのあとアイリーン嬢から受けた罵言にも感謝すべきなのかもしれないが……なぜだろう。さすがに感謝を形にしてはいけないような、そんな気がする。
「……正直、面白くありませんわ」
そんなオレのくだらない葛藤をよそに。
席に座り直した彼女が、ぷいっと顔を背ける。そんな彼女にオレは居を直して頭を下げた。
「できたら、そのプレゼントをキミに選んでもらいたい。明日の休みはもう予定が埋まってしまっているだろうか? もちろん、手間をとらせる礼として食事も馳走したい」
「まあ……わたしに怪我を負わせた分のプレゼントはないのかしら?」
「も、もちろん何でも、欲しい物を!」
今も彼女の顔には治療痕がある。話によれば、すぐに跡もなく治るということだが……オレは死する時まで、その罪を償うと誓ったばかりだ。
オレが前のめりに「何が欲しい?」と問えば、目を細めた彼女が「指輪」と呟いて。コンスタンツェは素知らぬ顔で視線を逸らした。
「午後からで宜しければたまたま空いております。……明日はお肉が食べたい気分ですわね」
「あぁ、店を探しておこう。なにぶん初めてゆえ、一日でキミが気に入る店が見つかるとは限らないが――」
「どこでもいいですわよ。あなたと一緒なら」
食堂はとても騒がしかったと思うが……オレはコンスタンツェの嬉しそうな顔しか覚えていない。





