悪役令嬢だから暗殺してもいいよね! 婚約破棄はかまいませんが、無実を証明するためにとりあえず毒殺します。
「ええい、放せ無礼者! 僕を誰だと思っているんだ!?」
とある春の日の昼下がり。
屋敷の庭園でアフタヌーンティーを楽しんでいた私の耳に、そんな不躾極まりない男性の声が響いてきました。
「……あら、誰かしら。せっかく気分良くお茶を楽しんでいたのに」
私は楽しみを邪魔されたことでやや不機嫌になりながらも、声がした玄関の方に目を向けます。
「お嬢様の休日を邪魔するなど許しがたいことです。すぐに様子を見て参ります」
顔をしかめた私を見て、傍に立っていたメイドが声のした方向に向かおうとします。
しかし、彼女が動くよりも先に声の主が庭園までやってきてしまいました。現れたのは私と同年代の見慣れた男性の姿です。
「マリアンヌ! こんな所にいたのか!」
「……あら、エドモンド殿下ではありませんか。ごきげんよう」
「ご機嫌なものか! この僕に手間をかけさせて!」
現れた男性はエドモンド・ルーズベン。
この国の王太子であり、非常に遺憾なことに私の婚約者。今は王都の貴族学校に通っていますが、卒業後には結婚する予定の間柄です。
ちなみに、私の名前はマリアンヌ・ロゼッタ。
ロゼッタ公爵家の嫡女で年齢は華の18歳。
趣味は詩集を読むこと。それとメイドのテレサが淹れてくれた紅茶を飲むことも趣味と言っていいのでしょうか?
エドモンド殿下の隣には1人の女性がピッタリと寄り添うように抱き着いています。さらに数人の男性……いずれも将来的に側近になる予定の取り巻きが同行しています。
殿下の取り巻きは面識があるけれど……あのピンク髪の変な頭の女性は見覚えがありません。
やけに距離が近いですけど……ひょっとして、私という婚約者がいながら浮気でもしていたのでしょうか?
「わざわざ休日に当家の屋敷に何の用かしら? 約束はしていなかったはずだけど」
察するに、約束もしてないのに一方的に押し寄せて無理やり庭園まで入ってきたのでしょう。
本当に困った人達です。王族でなければ不審者として衛兵に突き出されても文句は言えない行動だと、わかっているのでしょうか?
「それに……ずいぶんと大勢のお友達を連れてこられたのですね? こんなにたくさんお客様が来るなんてティーカップが足りるかしら?」
「黙れ! 今日はお前に大事な話があって来たのだ!」
「あら……大事な用とは何かしら? 楽しみだわ」
「っ……!」
ほんわかと微笑みかけると、エドモンド殿下が忌々しそうに表情を歪めます。
別に煽ったつもりはなかったのだけれど、これくらいで腹を立てるなんて余裕がなさすぎるのではないかしら。
「先日、シャーネル侯爵家の屋敷で茶会が開かれたのは知っているな?」
「ええ、もちろんですわ。私も参加していましたもの」
「そこでアリッサが飲んでいた紅茶に毒が入れられた! やったのはお前だろう!?」
「はあ?」
予想もしていなかった問い詰めを受けて、私はコクリと首を傾げます。
シャーネル侯爵家でのお茶会。確かに私も参加していましたけど……当然ながら毒なんて入れていません。
それに、そもそもの疑問なのですが……
「アリッサさんというのはどなたかしら? 私の知り合いにそんな名前の方はいないのだけど」
「何だとっ!?」
「ヒドイですっ! あんなことをしておいて知らないふりをするなんて!」
目を剥いて叫ぶエドモンド殿下と、ウルウルと涙を目に溜めて詰め寄ってくる桃色髪の少女。
ああ、ひょっとしてこちら奇妙な頭の女性がアリッサさんなのでしょうか。
「あら、あなたがアリッサさんなのね。はじめまして」
「は、はじめまして……じゃあないですよ! マリアンヌさんのせいで私はヒドイ恥をかいたんですからね! みんなが見ている前で吐いちゃったんですよ!? どうしてあんなことをしたんですか!?」
「どうしてと言われても……私には心当たりはないわねえ。どなたかと間違えているのではないかしら?」
あら、背後から殺気がするわね。
振り返ると、後ろでメイドのテレサがメラメラと殺意の炎を燃やしています。
(ダメよ、テレサ。エドモンド殿下とその御友人を殺したりしたら)
(しかし、お嬢様……勝手に屋敷にやって来てこの狼藉。埋めてなかったことにしてもよろしいのでは?)
(ダメよう。一応は王家の方なのだから我慢しなさい)
(ムウ……後生でございます……)
アイコンタクトで窘めると、テレサは渋々といったふうに殺意を収める。
「しらばっくれるな! お前以外の誰がそんなことをすると言うのだ!?」
「誰がと言われましても……そちらのアリッサさん?……を恨んでいるどなたかではないでしょうか?」
「そんな馬鹿なことがあるものか! 純粋で優しいアリッサを殺したいほど恨む人間がいるわけがない…………お前を除いてな!」
「はあ? そうなのですか」
逆に、私がどうしてアリッサさんのことを恨んでいると思っているのかしら?
ひょっとして……5年前に亡くなった犬のペスをアリッサさんが殺したとでも言うのでしょうか。
「エドモンド殿下、確かにペスが死んだことは悲しかったですけど……だからといって復讐などはいたしませんわ。私も理性ある大人です。たとえアリッサさんがペスを殺したとしても、然るべき手段で訴えて法の下に裁きを受けていただきます」
「誰だペスって!? 僕はそんな話はしていない!」
「あら、違うのですか? でしたら、どうして私がアリッサさんに毒を盛らなくてはいけないのでしょう。動機がありませんわ」
訊ねると、エドモンド殿下はグイッとアリッサさんの肩を抱き寄せました。
「決まっている! 僕とアリッサが真実の愛で結ばれているからだ!」
「……………………はあ、そうなのですか?」
「そして、お前は愛する婚約者が奪われたことに腹を立て、アリッサを亡き者にしようと毒を盛ったのだ! どうだ、反論できるのならば言ってみろ!」
「…………」
反論できません。
だって、エドモンド殿下が何を言っているのかわからないのですから。
(お嬢様、もう殺っちゃいましょう! 大丈夫です、先っぽだけ。先っぽだけだったら刺してもバレませんって!)
(何の先っぽを刺すのかはわからないけれど……我慢しなさい、テレサ。ここで話を終えてしまったら、殿下が何をしたかったのか永遠にわからずじまいよ。気になって夜も眠れないわ)
「お前は愛する僕が奪われたことに嫉妬してアリッサを殺そうとしたのだ! 貴様のような醜悪な女には似合いの行動だな! だが……もはやお前の罪は明らかだ!」
私がアイコンタクトでテレサと話しているうちも、エドモンド殿下は1人でエキサイトしています。
ああ、1人ではありませんね。アリッサさんや他の取り巻きも「そうだそうだ!」と殿下を援護するように言い募っていますから。
やがて言いたいことを全て言い終えたのか、エドモンド殿下が大きく両手を広げて高々と宣言します。
「マリアンヌ・ロゼッタ! 僕はお前との婚約を破棄する! そして……ここにいるアリッサを妻にすることを宣言する!」
「はあ……そうですか?」
「そして……我が妻アリッサを殺そうとした罰として、お前をこの国から追放する! ロゼッタ公爵家にも相応の罰があるだろうから覚悟しておけ!」
「…………」
私はますます訳がわからなくなってきました。
婚約破棄をする……それは自由です。
アリッサさんと結婚する……それも勝手です。国王陛下はお許しにならないでしょうが。
けれど、エドモンド殿下には私をこの国から追放する権利はありません。
裁判などの手続きをとることなく人を裁く権限など、国王や王太子にだってないのですから。
「フッ……お前の罪状を突きつけてやれば、父上も追放を許すはずだ! ロゼッタ公爵家のような穢れた家がいなくなれば、この国もさぞや平和になるだろう!」
すごい。
すごい馬鹿です。自分に酔っているのがヒシヒシと伝わってきます。
どうやら陛下はエドモンド殿下のことを甘やかしすぎたようです。まさか、法律もまともにわからないとは感心するほど暗愚です。
(お嬢様アアアアアアアアアアアアアアアアアッ!)
(いや……もうこれは放っておきましょう。あとはお父様と国王陛下が勝手に処理することでしょう。テレサが手を下すまでもありませんよ)
今にも暴れ出しそうなテレサを宥めつつ、私はエドモンド殿下がたどることになるであろう暗い未来を予見しました。
婚約者に一方的に婚約破棄し、ありもしない罪を被せて侮辱したのです。
いくら王太子といえど、国王陛下からは厳しい罰が与えられるのは間違いありません。父上も報復するでしょうし……おそらくですが、エドモンド殿下は廃嫡されることでしょう。殿下は王太子ではあっても、他にも王族はいらっしゃるのだから。
「はあ……それはすごいですねえ。ところで、気になっていたのですけど……私が毒を盛ったという証拠はあるのですか?」
もう二度とエドモンド殿下と顔を合わせることはないでしょうし、最後に気になっていることを尋ねておくとしましょう。
はたして、この男が証拠もなしに一方的な偏見だけで私を疑っていたのか。それとも、疑念を裏付ける明確な根拠があったのでしょうか。
「私も侯爵家でのお茶会には参加していました。思い返してみれば……遠くの席で誰かが嘔吐したという騒ぎも覚えがありますわ。けれど、主催者でも給仕でもない私にどうやって毒を盛ることができたと言うのでしょうか?」
まさか、シャーネル侯爵家もグルだとでも言うのかしら?
お願いだから侯爵家まで告発するのはやめていただきたい。いくら婚約破棄したとはいえ、自分の婚約者だった男がよその家にまで迷惑をかけてしまうのは申し訳ないですわ。
「フンッ! 証拠などはない!」
「……ないのですか?」
ないようです。
いや、そんな堂々と胸を張って言われても……
「証拠などあるわけがない! 何故ならば……お前は『毒魔法』を使ってアリッサの飲み物に毒を入れたからだ!」
「……………………あら」
指を突きつけられて放たれた宣言に、私はスウッと目を細めました。
「毒魔法ですか? 何の話でしょう?」
「ほう……またしてもシラを切るつもりか。僕は父上から聞いているのだぞ! ロゼッタ公爵家に伝わる秘伝の魔法──『毒魔法』のことを。そして、公爵家がその力を使って大勢の人間を暗殺してきたことを!」
「…………」
私は口を閉ざしました。
エドモンド殿下が言っていること……それは言いがかりではありません。
ロゼッタ公爵家は代々『毒魔法』という魔法を継承しており、その魔法を使って王国に敵対する人間を闇に葬ってきました。
敵国から送り込まれたスパイ。情報を流している内通者。奴隷や違法薬物の売買といった犯罪に手を染めている貴族など。表立って罰することができない敵を秘密裏に処分しているのです。
そのことを知っているのは公爵家の関係者を除けば、王家の人間だけ。
決して明かすことが許されないトップシークレットなのです。
(お嬢様……)
(ええ……言ってしまいましたね。誰にも話すことが許されない秘中の秘を。まさかここまで愚かな人だとは思いませんでした)
この場にいるのが私とテレサ、エドモンド殿下の3人だけであったならば構いません。
けれど……ここには殿下の新しい婚約者であるアリッサさん。そして、取り巻きである方々もいます。
まさか、建国以来ずっと守られてきたトップシークレットを部外者の前で話すとは思いませんでした。
(そもそも、この男に秘密を明かした国王陛下にも責任がありますわね。確かに王族の1人なので資格はありますけど……秘密を教えるのであれば相応の口止めが必要でしょうに)
平和な時代が長く続き、王家も気が緩んでいるのかもしれません。
エドモンド殿下の不貞を放置していたことも含めて、ロゼッタ公爵家を軽んじているとしか思えません。
「……これも良い機会なのかもしれませんね。王家の方々には、いま一度ロゼッタ公爵家の力を思い知っていただきましょう」
「何の話をしている? お前が罪を認めるつもりがないのなら……」
「私はやっておりませんわ。アリッサさんに毒を盛った覚えはありません」
「何だと!? 貴様、この期に及んで……!」
「証明することができますわ。私がやってないという確固たる証拠がございます」
私はキッパリと断言して、ティーカップに口をつけて唇を湿らせました。
そして……椅子に座った姿勢のままエドモンド殿下を睨みつけます。
「証拠だと……?」
「ええ、すぐにお見せいたします……確認なのですが、エドモンド殿下は私がアリッサさんの飲み物に毒を入れて殺そうとした──そうおっしゃっていましたわね?」
「……ああ、言ったが。それがどうした?」
「フフッ……でしたら、アリッサさんが生きていることが私がやっていない証拠ですわ」
私は吹き出すように笑い、やや気圧された様子の殿下に嫣然と微笑みかけました。
「だって……私、失敗しませんもの」
「ウグッ!?」
私の言葉と共に、アリッサさんが自分の首を押さえました。
桃色の髪の可愛らしい少女の顔が見る見るうちに紫色に染まっていき、赤い唇からゴポリと黒い血が吐き出されます。
「アリッサ!?」
「『毒魔法』は文字通りに毒を自在に生み出すことができる魔法です。ですが……飲み物に毒を入れるなんてやり方はしません。相手の体内に直接毒を作ればいいのですから」
「アリッサ! しっかりしろ、アリッサ!」
血を吐いて倒れたアリッサさんに殿下が駆け寄ります。
小さな身体を抱きかかえて助け起こそうとして……恋人の変貌に愕然と目を見開きました。
「ゴホッ、ゴホッ……えど、さま……」
「あ……ああっ……!」
地面に倒れたアリッサさんはガクガクと痙攣を繰り返していました。
限界まで見開かれた瞳は血走り、口は断続的に血を吐き……完全な紫色になった肌はとてもではないですが生きた人間のものには思えません。
「たす、け……えどさま……」
「ヒッ……触るなっ!」
アリッサさんが救いを求めて手を伸ばしますが……エドモンド殿下は恐ろしかったのか、紫色に染まった手を振り払いました。
真実の愛を誓った恋人に対して随分とヒドイ扱いです。
「あ……が……」
愛しい男性に拒絶され、アリッサさんは絶望に瞳を凍りつかせてパタリと伸ばしていた手を落とします。
そのまま完全に動かなくなり……アリッサという名の可愛らしい少女は永遠に命の息吹を失いました。
「そういえば……ちゃんと名前を聞いていなかったわね。ファミリーネームは何というのかしら?」
侯爵家の茶会に参加していたのだから貴族の子女だと思うのだけれど……私が首を傾げると、エドモンド殿下が弾かれたようにこちらに顔を向けます。
「どうしてアリッサを殺したんだ! 彼女が何をしたというんだ!?」
「どうしてって……証明しただけですけど。自分の無実を」
私は涙を流して問い詰めてくるエドモンド殿下に、ニッコリと笑いながら答えます。
「これで理解していただけましたよね? 私がアリッサさんに毒を盛ったのであれば、アリッサさんが生きているわけがありません。御覧の通り……私は毒殺に失敗なんてしませんから」
「お、お前は……そんなことのためにアリッサを殺したというのか!? 自分の無罪を証明するために、そんなことのために私のアリッサを……!」
エドモンド殿下は怒りに表情を歪めて、背後にいる側近を振り返りました。
「お前達! 今すぐにこの女を…………へ?」
私を捕らえようとしたのか、それとも殺害を命じようとしたのか……エドモンド殿下が何をしたかったのかはわかりませんが……残念ながらその願いは叶いません。
殿下が振り返った先、お供としてついてきていた取り巻きは残らず倒れて絶命していたのですから。
「そちらは速効性の毒を使いました。魔法を発動させてから死ぬまでに5秒とかかっていません。アリッサさんに気をとられて気がつかなかったようですね?」
「あ、ああっ、みんな……何ということを……!」
エドモンド殿下が絶望の声を漏らしました。
何年も連れ添った婚約者を平然と捨てるこの方にも、どうやら友人を大切に思う心はあったようです。
「これは王家への反逆だぞ……タダで済むと思っているのか……!」
「我がロゼッタ公爵家は長年、王家に仕え、我が国に敵対する者を暗殺していました。殿下は私が私怨でアリッサさんを害したと思っていたようですが……それはあり得ません。ロゼッタ家の人間は国王陛下の許可なしでは『毒魔法』を使うことができないように『枷』が架けられているのですから」
「え……?」
エドモンド殿下の瞳に疑問が浮かびます。
だったら、どうしてアリッサさんや取り巻きを殺すことができたのかと疑問を抱いているのでしょう。
「とはいえ、この『枷』には抜け道があります。自衛のための使用、あるいはロゼッタ公爵家の秘密に関する機密保持のためであれば、王の許可がなくとも使うことができるのです。つまり……口封じのためならば毒魔法は使えるのですよ」
「そんな……まさか……!」
エドモンド殿下が顔を真っ青にします。
どうやら、愚かな殿下にも理解することができたようです。
私がアリッサさん達に毒魔法をかけることができたのは、殿下が秘密を漏らしたから。ロゼッタ公爵家の秘密を知ってしまったために口封じで殺害されたのだと。
「もう、おわかりですよね? アリッサさんと御友人がなぜ死んでしまったのか。殿下が秘密を漏らしたから殺したのですよ」
「っ……!」
エドモンド殿下が息を呑みました。
青くなった唇をプルプルと小刻みに震わし、顔面を紙のように蒼白にしていきます。
「国家機密を知ってしまったのだから当然ではありませんか。殿下はどうやら、御自分が何をしてしまったのか理解できていないようですね」
「僕は……アリッサと結婚したかっただけなんだ。自分が好きな人と、運命の相手と結ばれたかっただけで……」
「だったら、普通に話し合って婚約を白紙にすればよかったではありませんか。私は別に殿下の婚約者という地位に縋りつくつもりはありませんでしたよ? 相応の慰謝料はいただいたかもしれませんが、アリッサさんとの仲も応援するつもりでしたけど」
「そんな……だったら僕はどうして……」
エドモンド殿下がガックリと地面に膝をついて項垂れました。
本当に……この方は何がしたかったのでしょうか?
わざわざ意味もなく婚約破棄を突きつけてきて、国家機密を漏らして……エドモンド殿下の行動はいちいち意味不明過ぎます。
「さて……それでは、殿下のことはどういたしましょう?」
「へ……」
「殿下は国家機密の漏洩をいたしました。口封じは済ませたとはいえ、処分無しというわけにはいきません。ロゼッタ公爵家にも敵対的なようですし……さてさて、どのように責任をとっていただきましょうか?」
「ヒイッ!?」
エドモンド殿下が弾かれたように飛び退いて地面にぺったりと尻もちをつきました。
その顔は怯えきって端正な顔を恐怖に引きつらせています。
「た、助けてくれ……僕はそんなつもりじゃ……」
「とはいえ、殿下には私の『毒魔法』は使えません。そういう『枷』を負っていますから」
「だ、だったら……!」
エドモンド殿下の顔に光が差しました。
自分は殺されずに済むかもしれない──そんな希望を見出したようです。
「そ、そうだ! 婚約を、婚約を結び直してやる! お前と結婚してやるからから今回のことは水に流してくれ! お前のような罪に穢れた女とこの僕が結婚してやるのだから感謝して……」
焦ったように言い募る殿下でしたが……次の瞬間、その首から上が消えてなくなりました。
鋭利な刃物で切り裂かれた首から噴水のように血液が噴き出し、屋敷の庭を赤く染めていきます。
「あらあら! 服が汚れてしまうではありませんか!」
「申し訳ございません。お嬢様」
私は手元にあった日傘をかざし、慌てて降りかかる血をガードしました。
頭部を失くして横倒しに倒れた殿下の背後では、返り血にエプロンをまだらに染めたテレサが刃物を構えて微笑んでいます。
「お嬢様に向かってあまりにも身勝手な発言……我慢できなくなってしまいました」
「……まあ、構いません。どうせ父がこのことを知ったら始末するでしょうから」
ロゼッタ公爵家は王家に仕え、国にとって邪魔な人間を暗殺していました。
その対象には王家に生を受けながら、玉座に座るに値しない人間も含まれています。
エドモンド殿下は王太子でありながら平然と国家機密を漏洩し、さらにロゼッタ公爵家を犯罪者扱いして軽んじたことを口にしていました。生かしておくことなど出来るわけがありません。
王家の人間には『毒魔法』は使えませんが……暗殺の手段は他にもあります。公爵家の使用人はいずれも手練れの暗殺者ばかりなのですから。
「死体は……そうですね。山賊の仕業にでも見せかけて始末しましょうか。国王陛下は気がつくかもしれませんが、良い薬になることでしょう」
屋敷の方からぞろぞろと使用人が出てきて、慣れた手つきで殿下をはじめとした死体を麻袋に入れておきます。
エドモンド殿下が王太子でありながらここまで暗愚に育ったのも、国王が甘やかしたことが原因です。
ロゼッタ公爵家を軽んじるような行動をしたのも、王が息子の教育を怠って諫めることがなかったせいでしょう。
国王陛下には今回の一件は教訓として、他の息子の教育に手をかけるように学んでいただくとしましょうか。
死体が運び出され、使用人が血塗れのイスとテーブルを片付けて新しい物を運んできます。
私がイスに座ると、すぐさまテレサが新しい紅茶を淹れてくれました。
テーブルの上にティーカップを置いたテレサでしたが……ふと思い出したように口を開きます。
「そういえば、あの豚……ではなく、エリッサという女に毒を盛ったのは誰なのでしょう?」
「エリッサではなくアリッサですよ……そうですね。確かに、それは少し気になりますね」
侯爵家のお茶会で起こった毒殺未遂……もちろん、私は関わっておりませんが、誰が彼女の飲み物に毒を入れたのでしょう?
エドモンド殿下の気を引くための自作自演……いえ、それはないでしょう。アリッサさんは嘔吐までしたそうですし、本気で私に憤っているように見えました。
「……後ほど調べてみるとしましょう。必要であれば、始末する獲物が増えるかもしれません」
言いながら……私はテレサの紅茶を優雅に飲みます。
◇ ◇ ◇
それから数日後、王太子であるエドモンド殿下の死が公式に発表されました。
殿下は御友人と馬車でピクニックに出た帰り道に襲われたらしく、遺体は刃物で切り刻まれていたとのことです。
加害者の山賊はすぐに捕まったそうですが……騎士団が尋問を始めるよりも先に隠し持っていた毒を飲んで自害したようで、殿下を襲った動機はわからずじまいになってしまいました。
ここから先は余談になるのですけど……殿下の事件からしばらくして、とある侯爵家が断絶することになりました。
原因は食中毒。侯爵家に仕えていたシェフが誤って毒キノコをディナーの料理に使ってしまったことが原因です。
当主も夫人も子供達も使用人も……侯爵家の人間は1人残らず毒を喰らって命を落としてしまい、主がいなくなった侯爵家の領地は王家に召し上げられることになりました。
侯爵家の当主は生前、『私がこの国の闇を暴いてやる!』などと使用人に話していたそうですが、その真意を知る者は誰もいません。
全ての真相は闇の中。
闇を住処とする住人以外は知る由もないことでした。
本作を読んでいただきありがとうございました!
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解説という名のネタバラシ
『とある侯爵家』はロゼッタ公爵家が暗殺者の家系であることに勘づいており、真相を暴き出すために王太子を利用して事件を起こした。
エドモンドがアリッサという令嬢と浮気していることを知り、自分達が主催するお茶会でアリッサに毒を盛って騒ぎを起こした。
アリッサに死なない種類の毒を飲ませ、エドモンドに主人公のマリアンヌが妖しい行動をとっていたと吹き込むことで、ロゼッタ公爵家の秘密を公にさせて罰するように誘導したのだ。
エドモンドがあっさり殺されたことは予想外。ロゼッタ公爵家の秘密を暴こうとしたこともすぐにバレてサクッと始末されてしまった。
『とある侯爵家』の目的が何だったのかは不明。正義感から暗殺者の家を倒そうとしたのか、ロゼッタ公爵家を没落に追いやることで権力を握ろうとしたのか。どちらにしても、藪をつついて毒蛇に噛まれてしまったことに違いはない。
王太子であるエドモンドを失った国王はロゼッタ公爵家を恨んだが、だからといって暗殺者を敵に回す覚悟はなかった様子。第二王子が新たな王太子になり、今度はロゼッタ公爵家の恐ろしさをしっかりと教え込みながら教育した。