第3話「軍服の令嬢」
【第3話 軍服の令嬢】
俺は馬車に乗り、陸軍第五師団の正門を出ていく。もう戻ることもないだろう。
別に愛着もないし、それは別にいい。待遇も居心地もあんまり良くなかったし、何より飯が不味かった。軍隊では深刻な問題だ。
それより問題なのが、この馬車だ。
俺が乗っているのは荷馬車ではない。というか、軍の馬車ではない。
立派な内装、快適な革張りのシート。悪路を走っている割に振動も小さいし、防音性も高い。明らかに金持ち貴族が私有している馬車だ。
俺の対面に座っているのは、軍装の美女。
ただし本物の軍人ではない。羽織っている上級将校用のコートには、階級章の代わりに紋章があしらわれている。
あれは国内屈指の大貴族、リトレイユ家の紋章だ。第五師団を牛耳る門閥貴族のトップでもある。
そして彼女が履いているのは将校用の乗馬ズボンではなくロングスカートだ。もちろん制服ではない。
早い話が、ミリタリー風のコスプレをした変な美女ということになる。
そして俺は今、この変なコスプレ美女と二人きりだった。
「クロムベルツ少尉殿、ですね?」
「はっ、ユイナー・クロムベルツ少尉であります」
「お会いできて光栄です」
微笑みながら美女が軽く会釈する。
聞き取りやすい、ゆったりとしたしゃべり方だ。典型的な貴族のしゃべり方だな。
年齢は二十ぐらいか。俺と同年代だ。
穏やかな雰囲気の顔立ちで、細いたれ目が印象的だ。漫画にしたら糸目キャラになるだろうな。
馬車の外には護衛の胸甲騎兵たちがいる。かなりの重武装だったが、軍人ではなく貴族の私兵だ。制服が違う。
どうにもヤバそうな雰囲気なので、口の利き方には気をつけることにしよう。
俺は無言で軽く敬礼。下級将校の悲しい習性で俺はシートの端に詰めており、肘を張った敬礼はできない。
そういえばこの美女、シートの真ん中にゆったり座っているな。物腰ひとつ取っても軍人らしさがない。
すると美女は窓の外を眺めながら尋ねてくる。
「馬車の乗り心地はいかがですか?」
「大変快適であります。感謝いたします」
頼んでもいないのに、こんな豪華な馬車が官舎の前で待っていたからびっくりしたぞ。銃で武装した胸甲騎兵が随伴してたし、何かの手違いとしか思えなかった。平民上がりの少尉とは無縁の待遇だ。
どうも嫌な予感がするな。理由もなく待遇が良いときは用心した方がいい。これは前世も今世も変わらない。
「少尉風情が民間の馬車に御厚意で乗せていただけるとは。帝国軍人に対する親愛の証と感激いたしました」
すると美女はにっこり微笑む。
「当家はシュワイデル帝国の発展と領土回復のため、将校の皆様には惜しみない尊敬と支援をいたしますわ」
おおっと。皮肉だったのに軽く流されたぞ。なんかヤバそうな人だな。
美女は続けてこう言う。
「中でも将来有望な若手の将校様には、より手厚い支援をいたしますよ」
なんだなんだ、俺を懐柔して何かさせるつもりか? お断りだ。
「それは羨ましいですな。小官もそう思われるように精励いたします」
うまいことはぐらかしたつもりだったが、コスプレ美女は粘っこくまとわりついてきた。
「私はクロムベルツ殿こそ、帝国の未来を担う真の軍人であると認識しております」
「大変畏れ多いことですが、小官はそのような人材ではありません」
やべえ。早く逃げたい。貴族様が少尉風情にこんな接触をしてくるってことは、ほぼ確実にろくでもない用件だ。
しかし馬車の外に逃げ出すのは無理だろうし、騎兵たちが前後左右を固めている。
「クロムベルツ少尉殿は、『死神』の異名を持つ猛将だと聞き及んでおりますよ?」
「確かに『死神クロムベルツ』と呼ばれることはありますが、それは単に部下の戦死が多いだけです」
美女は興味深げに俺を見つめる。
「それはクロムベルツ殿の勇猛さゆえ、でしょうか?」
「小官はそのようには考えておりません」
俺みたいな平民上がりの将校は損な役回りを押しつけられることが多い。
俺は陸軍士官学校でもうまく馴染めず、どこの派閥にも入れなかったからなおさらだ。要するに俺は前世同様にぼっちで、政治力ゼロの将校だった。
さすがにそれを認めるのは情けなかったので適当にごまかしたが、美女はまだ俺を見つめている。
「いずれにせよ、クロムベルツ殿の軍功は第五師団でも有名です。先日もアガン王国の野戦砲陣地に突撃し、敵を蹴散らして野戦砲を鹵獲したとか」
それから彼女は指を折りながら、俺の過去を暴き始めた。
「過去の戦いでも砦の防衛に成功しておられますよね。敵の大軍を三日間足止めし、救援まで持ちこたえたと聞いております」
あれは立てこもってるだけで良かったから楽だったが、弱気になる部下たちを励ましたり脅したり忙しかったのを覚えている。あのときも部下がだいぶ死んだな。
「それにクロムベルツ殿は、士官学校時代から盤上演習では無敗だったとか」
「あんなものはお遊戯です」
士官学校の盤上演習は設定がガバガバだったからな。
高低差を利用した崖撃ちでは無茶苦茶な損害を与えられたし、士気崩壊判定がなかなか起きないので自軍を捨て駒にできた。前世のウォーゲームの方がよっぽどリアルだ。
「あと剣術の試合でも常に上位だったそうですね」
「試合は実戦とは違います」
実は俺、前世では強豪剣道部の補欠だった。個人戦はいつも三回戦負け、団体戦の戦績はゼロという栄光の補欠だ。あまり強くないのは俺自身がよく承知している。
だが美女は俺の言葉に納得していないようで、俺の腰の指揮刀をじっと見ている。
貧乏少尉の俺だが、指揮刀の柄だけは少し金をかけている。両手で握れるように長い柄を特注していた。
刀身は消耗品と割り切り、手頃な物で我慢している。折れたり曲がったりしなければそれでいい。
美女はなおも言う。
「実戦でも多くの武勲がおありでしょう? 珍しい剣術をお使いになると聞いています」
「平民上がりの汚い喧嘩剣術です。お見せするほどのものではありません」
しょせん部活レベルの剣道だから大したことないが、両手剣の打ち込みは意外と鋭くて重い。てこの原理まで利用しているのだから当たり前だ。
だが戦場で両手剣が使われなくなって久しいので、両手剣との戦い方を知っている者は少ない。
だから有利に戦える。それだけだ。
それにしても居心地悪いな。
目の前の軍服コスプレ美女は間違いなくリトレイユ家の一員だ。
それもただの貴族令嬢ではない。おそらくは当主に近い権限を持つ人物だろう。馬車と騎兵を見れば想像はつく。
貴族将校は実家とつながりが深く、門閥を作って同じ師団に集まる傾向がある。第五師団はリトレイユ公を筆頭とするグループが要職を独占しているから、おそらく裏で何かあったんだろう。
だから俺は少しきわどい質問をぶつけてみることにした。
「この馬車、本当に第六特務旅団の本部に向かってますか?」