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マスケットガールズ! ~転生参謀と戦列乙女たち~  作者: 漂月


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第10話「旅団長室にて」

【第10話 旅団長室にて】


   *   *   *


 下士長のハンナは、新任少尉の訓練風景をじっと見ていた。

「遅い! 敵より遅い行動に意味などないぞ! 歩度を上げろ!」

 クロムベルツ参謀少尉は砂時計を片手に、行軍演習中の小隊に怒鳴っている。



「敵より先に戦場に着け! 有利な場所に陣取れば、後はほっといても勝てるんだ! そのためにも行軍速度を上げろ!」

 クロムベルツ参謀の訓練は、とにかく速さを重視している。偏執狂じみてさえいた。



「撤退のときにも速さが必要だ! 敵より遅ければ追撃を受けるぞ!」

 それからクロムベルツはこちらに歩いてくる。

「みんな良い兵士だ。訓練にも身が入っている」



 いい笑顔でそう言う。

(軍人にしてはよく笑う人だなあ……)

 ハンナのような下層出身者にとって、軍の将校は雲の上の存在だ。それは彼女が下士長になった今でも変わらない。



 前任の参謀たちはみんな怖い顔をしており、態度も横柄だった。些細な失敗でも殴られることがザラだった。

 しかしクロムベルツ参謀は誰も殴らない。言葉は厳しいし怒鳴るとメチャクチャに怖いが、殴られた者はまだ一人もいなかった。



 それに普段は言葉遣いがとても穏やかだ。

「どうした? 体調が悪いか?」

 ぼんやりしていたハンナに、クロムベルツ参謀が心配そうに声をかけてくる。本気で心配しているのがよくわかった。



「い、いえ、何でもないですよ参謀殿! ちょっと考え事をしていました」

 しまった、と思う。上官との会話中に他のことを考えていたなど、殴られるのが当たり前だ。



 しかしやはりクロムベルツ参謀は気にした様子もなく、むしろ大きくうなずいた。

「ハイデン下士長は真面目だからな。アルツァー閣下が総兵力の三分の一を預けておられるのも当然だ」

(ぼんやりしてると褒められる……)

 これはこれで逆に困る。



 ハンナの心中に気づいていないのか、クロムベルツ参謀はまじめな顔でさらに言う。

「しかしあまり無理をしないでくれよ。平時は六割か七割ぐらいの力で仕事を回すのが理想だ。余力を残しておかないと疲労が溜まり、仕事が次第に雑になる。有事にも無理がきかなくなる」



 これも驚いた。目の前の参謀少尉は、全力で仕事をしなくてもいいと言っているのだ。

(びっくりです!?)

 ハンナはまじまじとクロムベルツ参謀を見つめる。

 こんな場所で楽しげに働いているだけあって、この人はかなり変わっているようだ。



 するとクロムベルツ参謀は不意に表情を緩めた。

「そんなに難しい顔をするな。貴官の働きぶりはよくわかっている。ここは俺が見ておくから、食堂にでも行って一服してこい」

「えええええ!?」

 声が出てしまった。



 クロムベルツ参謀は声を潜め、冗談っぽく笑う。

「これは俺の経験だが、戦場では真面目なヤツから死んでいく。だが俺は貴官に死んでほしくない。俺のために不真面目になれ、ハイデン下士長」

(今、胸がキュンってなった! キュンってなった!)



 生まれてこのかた、ハンナは異性に優しくされたことがない。恵まれた体格のせいで珍獣や怪物のような扱いをされてきた。

 そのせいでハンナは急速にクロムベルツ参謀に好感を抱く。



 しかしやっぱりクロムベルツ参謀は何も気づいていないようで、気楽そうに手をひらひら振った。

「ほら行け行け。これも下士長の役得だ。しっかり怠けて、これからも良い仕事をしてくれ」

「は、はいぃっ!」

 思わずビシリと敬礼してしまうハンナだった。



 その場を後にしたハンナだったが、食堂に行く前に旅団長室に立ち寄る。

「ずいぶん楽しそうに会話していたな」

 大量の書類に埋もれていたアルツァー大佐がクスクス笑うので、ハンナは顔が熱くなるのを感じながら敬礼した。



「クロムベルツ参謀殿は気さくな方ですので」

「私もそう思う。どうだ、彼の人望は?」

「とても良好です。男性というだけで怖がる者もいますが、少尉殿は優しくて教え上手なので人気があります。清潔感もありますし」



 それにとても紳士的でカッコイイですからと、ハンナは言葉には出さずにつぶやく。

 するとアルツァー大佐は分厚い書類に目を通しながら軽くうなずいた。

「なるほどな。ところでハンナは彼のしゃべり方には気づいたか?」

「しゃべり方ですか……?」



 ハンナは「うーん」と唸った後、ポンと手を叩く。正確には「ポン」と叩けず、「バシン!」という力強い音になった。

「あ、そうだ! 何となく下町っぽいですね!」



「そうだ。士官学校出にしては珍しいな」

 大佐はそう言い、何かの書類にサインする。

「平民将校なら普通、言葉遣いは最も気をつけるところだ。訛りがあれば徹底的に矯正する。貴族将校と共に軍務を行う以上、平民特有の訛りは出世の妨げにしかならない」



「あー、そうですね。貴族の方って言葉遣いが全然違いますから、すぐわかります」

「だろう? 私もお前たちが『貴族訛り』と呼ぶ、伝統的な言葉遣いをしている。暗闇で会話していても、相手が貴族かどうかはすぐわかる。クロムベルツは言葉遣いは貴族風だが、発音には平民の訛りが残っているな」



 そう苦笑した後で、大佐はペンを置いて表情を険しくする。

「軍務態度を見る限り、彼はかなり有能そうだ。前任者たちよりもよほど知的だし論理的だ。発音を改めるぐらい造作もないだろう。だが彼は『粗野な下町訛り』を使い続けている。あれでは貴族将校に疎まれるのも無理はない」



「言われてみれば変ですね」

 ハンナには理由がわからない。

 一方、大佐は椅子に深くもたれかけると、腕組みをした。



「クロムベルツ参謀は地方都市の下町生まれで、国外に出たことは一度もない。両親も生粋のシュワイデル人だ。だが彼の母語はシュワイデル語ではない。平民訛りだけでなく、助詞の使い方には異邦人特有の癖がある」



 シュワイデル人なのに、母語がシュワイデル語ではない。

 ハンナには意味がわからなかった。そんなことがありえるのだろうか?

 大佐はクロムベルツ参謀の関連書類をトントンと指で叩く。



「何かがおかしい。つじつまが合わないんだ。彼には何か秘密がある」

「秘密ですか?」

「彼が異邦人なら、あの言葉遣いは理解できる。だがそうなると今度は彼の経歴と一致しない。彼の経歴は私の実家を使って洗い出した。彼の身の上話は全て事実だ」



 大佐の実家といえば、もちろんメディレン宗家だ。シュワイデル貴族最高峰の『五王家』のひとつである。お抱えの密偵がいるだろうから、平民将校の素性を調べるぐらいは簡単だろう。……と、ハンナは思う。



 大佐は苦笑する。

「だいぶ手間をかけて調べさせたが、結局彼が有能な正直者だという事実以外、何もわからなかった。リトレイユ公とも本当に無関係のようだ。逆に不気味だな」

「そうでしょうか?」



「私は臆病者でな」

 大佐は立ち上がると、窓の外を眺める。

「とはいえ、今のところクロムベルツ参謀の働きぶりは文句のつけようがない。このまま頑張ってもらおう」

 練兵場ではクロムベルツ参謀が制帽を振り回し、何か叫んでいた。


   *   *   *


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― 新着の感想 ―
平民の訛りは敢えて残している可能性があるかも。貴族将校から疎まれる→出世の可能性はほぼ無いと同然、つまりは飼い殺しみたいな感じ。それなら下士官や兵に馴染みのある言葉で…と。
[良い点] >軍人にしてはよく笑う人だなあ 笑いって元々威嚇の表情ですからね。よく笑う奴こそやばい奴。 >発音には平民の訛りが残っているな 鉛の死神ですからね。
[一言] 薩摩飛脚もこんな感じで見抜かれたんでしょうね。 魂に染み付いた癖は抜けない、恐ろしい事です。
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