3-2
……忙しい。
翌週から俺は急に忙しくなった。
棚から牡丹餅的に、仕事の依頼が舞い込んだ。
予想外の出来事で、会社は色めきだち、慌てて見積もりの再修正、業者の手配などを行い、数日後再びお客さんに見積書を出し、契約を結ぶことに成功した。
おかげで、それまで毎日残業、しかも業者とのやり取りなので出張ありの、一週間ほど時間がまったくとれなかった。
しかし今日はもう帰れそうだ。
周りの同僚は帰り始めている。
契約が取れたので、とりあえず忙しさは峠を越していた。
これから、また忙しくなるけど、今日はいいか。
そう決めると椅子にかけたジャケットを掴み、上司に帰ることを伝える。
「明日もがんばります」
俺の言葉に苦笑しながらも上司はお疲れ様と俺を送り出した。
「ルナ。今日?」
会社を出るとタイミングよく携帯電話が鳴る。それはセフレの一人で数カ月ほど会ってない女だった。
胸は小さいが、尻がでかくていい女だったよなあ。
ふと俺はルナの姿を思い出す。
『武』
しかし、それは眞有の声でかき消された。
そう、俺は変わるんだ。
「悪いな。俺、そういうのやめたんだ。別の奴を探してくれ」
短くそう言うと、携帯を切った。
暇だ……。
なんだか飲む気にもなれなく、そのまま家に帰ってきた。コンビニで買ってきた飯を食べながら、テレビをつけて、食べる。
面白さを感じられず、立ち上がるとパソコンでの電源を付けた。映画を見ようとタイトルを見てみるが興味がわかなかった。
つまらん。
いつもは暇なら女の子とベッドでごろごろしてるか、飲んでるからなあ。
こういう風に一人は面白くないな。
ベッドにごろんと横になり、携帯電話を握りしめる。
かけてみるか?
眞有と最後に飲んだのは二週間ほど前だ。
その間、一度だけ誘ったが断られた。
まあ、仕事が理由だったが、結構落ち込んだ。
この俺らしくないが、正直な気持ちだ。
本当、俺はどうかしてる。
目を閉じる。
しかし考えるのは眞有のことだった。
おっし、かけてみよう。
眞有の番号を探すと電話をかけた。
「武? ひさしぶり! ちょうどよかったわ。ねえ。聞いてよ!」
電話口の眞有は嬉しそうに言い、会っていない間の出来事を話し始める。
撫山港。
新たな美形出現の話を聞かされた。
ベッドでその話を聞きながら、なぜか焦りが生まれる。
「なあ、眞有。俺の家にこない?」
気がつけば、俺はそう彼女を誘っていた。
「い、家ぇ?冗談はやめてよね」
「飲むだけだよ。電話よりそっちのほうがいいだろう」
「まあ、確かに。でも家は嫌。そっちまで行くから、あんたの家の傍で飲みましょう」
「OK」
やっぱりだめだったか。
家に連れ込めないことをがっかりしながらも、会えることが嬉しかった。
飲む場所は、木村さんのバーに決めた。
あそこは雰囲気があって、好きだった。
眞有も気に入るに違いない。
心を躍らせながら、外出の準備を始めた。
店に着き、今日は酔わせてみようかと悪魔的なことを考え、木村さんに少し強めのカシスオレンジを作ってもらい、俺はウォッカのロックを飲みながら眞有を待つ。
数分して店に現れた眞有は、先ほどの続きを話し始めた。
「ははは。お前、懲りないなあ。これで何度目?」
『撫山さんを好きになるかもしれない』と聞かされ、俺は内心動揺しながらも笑ってそう口にした。
「うるさいわね」
眞有は眉間をよせ、俺を睨む。
かわいくない顔。
でも俺は眞有のそんな顔ですら愛しいと思ってしまう。
重症だ。
こんな可愛くない顔を、可愛いと思う俺はかなりきている。
しかも別の男のことを思っているのに。
「でも一度付き合ってって、言われてるんだろう?」
俺が溜息を漏らしながらそう言うと、眞有は肩をすくめる。
「まあね。でも裏があってのことだけど」
そうか、そうだった。
「永香か」
撫山港というおかしな名前のハーフの男は、永香に振られている。
理由は理不尽なもので、撫山の外人顔を嫌いだと言い切ったらしい。
彼女らしいとくすっと笑う。
「それにしても永香も罪なことをするよな」
自分に思いを寄せている奴にそんなこと言うなんて。
俺なら絶対言わないな。そんなこと。
「それはあんたもでしょ」
眞有があきれた様子でそう口にする。
「?」
覚えがないな。
いつも女の子には優しいけど。
「俺? どこが?」
「どこがって」
俺の返事に眞有は苦笑する。
そしてその目が俺を捉える。
でも何か考え事をしているらしく、焦点はぼんやりとしていた。
触れたい。
あの柔らかな唇にもう一度口付けたい。
そんな衝動に駆られる。
「なに?」
しかし眞有は、はっと我に返り、俺の視線から逃げるように顔をそむけた。そしてカウンターの上のカクテルを煽る。
「うわあ。これなに? 苦い」
彼女は眉間に皺を寄せ、舌をぺろっと出して苦情をもらす。
唇から、ちろりと覗く舌は真っ赤でなんだか誘われているような気になる。
そんなわけない。
苦笑しながら口を開く。
「いつも同じじゃつまんないだろう?ちょっと辛めにしてみた」
「何よそれ。おいしくない」
木村さんがサービスしすぎたのか、ちょっと強すぎたらしい。
眞有には不評か。
「そうか?」
どれどれと、俺はカウンターに置かれた彼女のグラスを掴むと煽る。
子供じゃないのに、間接キスかと思った自分が可笑しかった。
カクテルは少し苦めだが甘く、あのキスを思い浮かべ、俺はその味わいを楽しむ。
俺は好きだな、これ。
あのときのキスのようだ。
「おいしいけど。じゃ、俺が飲むわ。木村さん、やっぱり普通のカシスオレンジにして」
「はいはい~」
木村さんはにこりと笑うと、俺の言葉に気持ちよく返事を返す。
「最初から普通にしてくれたらよかったのに」
眞有はあの一口で酔ったのか思うくらい、顔が赤らませて不平を言う。
「今日は酔わせようかと思ったんだ」
酔わせて今日こそは抱きたい、
俺の知らない眞有を見たい、味わいたいと願った。
しかし、眞有は苦虫を噛み潰した顔を見せた後、鼻を鳴らす。
「ふん。その手には乗らないんだから。それよりもあんたのほうはどうなの? 夜のこんな時間の一人で家のいるなんて、めずらしいじゃないの。彼女は?」
やっぱり、眞有はそんな気にはなれないか。
内心がっかりしながら答える。
「今はいない。しばらくは作るつもりはない」
「めずらしいね。あんたが。あ、でもセフレがいるから一緒か」
セフレも今はいなんだけどな。
俺がそう答えようとすると、眞有が新しく作ってもらったカクテルを受け取り、口に含む。
今度は彼女の好みだったらしく、彼女はたまらく甘い顔を浮かべた。
「可愛い顔するな。たまには」
本当はいつも可愛いと思っているのに、素直じゃない俺はそう言う。
「たまには余計よ」
すると彼女は口をゆがめて笑った。
眞有を抱きたい。
でも今じゃない。
今は友達という関係を続けるほうがいいみたいだ。
「じゃ、乾杯しようぜ」
彼女にそう声をかける。
「乾杯? 今日は何に?」
眞有はぎょっとして俺を見た。
本当彼女は可愛い。
だから誰にも渡したくない。
「眞有の新たな失恋に」
そう、俺は彼女の失恋を願う。
「失恋って、まだ恋でもないわ。本当失礼な男よね。あんた」
眞有は俺を睨みつける。しかし、怒っていないことが俺にはわかる。
彼女の側にいるのは、俺だけで十分だ。
「失礼って。俺はお前にしかそういう態度をとらないけど」
そう、眞有は特別だ。
「私だけってますます失礼じゃない」
言葉の真の意味を知らない彼女は、苛立ちを募らせる。
「それだけ特別ってことだろ?」
彼女にヒントをチラつかせる。
俺の気持ちに気づいてほしいと思う。
「そうね。私はあんたには珍しい純粋な女友達だから 」
しかし、鈍感な彼女はわかっていない。
まあ、いいか。気長にいこう。
「……そうだな。ほら、乾杯しよう」
くすっと笑うとグラスを掲げる。
「じゃあさ、失恋じゃなくて、私達の純粋な友情に乾杯しましょ」
純粋ね。
俺はまったく純粋じゃないんだけど。
だいたい友情ですらないのに。
でも彼女の言葉に乗る。
「純粋ね~。いいけど」
「じゃ、乾杯」
彼女は満足げに笑うと俺のグラスにカチンと彼女のものを重ねる。そして俺達はそれぞれの色鮮やかな液体を口に入れた。
彼女は俺のものだ。
撫山か何か知らないけど、渡すつもりはない。