10-3
店に入って最初に目に入ったのは、女の背中と弟の姿だった。大柄なその背中は振り向かなくても眞有だとわかる。
「学!眞有!」
「武?!」
「兄ちゃん!」
俺の呼びかけに反応して、眞有と学がぎょっとして俺を見つめる。彼女の視線が俺の隣の奴に向き、目を見開くのを見て俺は胸が締め付けられる。
「眞有。俺に黙って実家に来るなんて」
怒る理由は違うのに俺はそう言って、彼女の元へ足を踏み出した。そんな俺を、学は口をへの字にして見ている。
「学。この女性は俺の彼女なんだ。ちょっと話がしたい。いいか?」
眞有を引き寄せる。
彼女に側にいてほしかった。
学と、父さんと話をする勇気を俺に与えてほしかった。
「……いいけど」
学は戸惑いながらも、ゆっくりと頷いた。
店から一旦出て、俺達は家の玄関から中に入った。店から直接家に入れるのだが、さすがにそれは客人に失礼だと思ったようだった。
家に入ると父さんが俺を一瞥し、目を細くして唇を噛みしめるのがわかった。でも俺に言葉をかけることなく、学に店の番をしてくると言い放ち、俺達に頭を下げた後、姿を消した。
「じゃ、応接間で話そうか」
学は父の背中を見送った後、俺達を奥の応接間に案内する。
弟と向かい合わせに俺達は横一列に座る。久々の和室に足が喜んでいるのがわかった。
「お茶をどうぞ」
口を開こうとすると、お腹が少し膨らんだ若い女が丸いお盆に湯呑みを載せてやってきた。
弟の奥さんか。
地味な顔をしているが、優しげな笑顔が弟に似てて穏やかな夫婦であることが想像できた。俺はとりあえず、軽く頭を下げる。
「すみません」
隣に座る眞有は申し訳なさそうに体を浮かすと、お盆を受け取り、お茶を机の上に置いていった。
「ありがとうございます」
奥さんは彼女から空になった盆を返してもらうと、ふわりと笑い台所に戻って行った。
その背中を見送った後、湯呑みを掴みお茶をすする。
そして覚悟を決めると、湯呑みを机の上に置いた。
「学。家のことは知ってる。助けられないで悪かった」
真正面に座る弟に頭を下げた。
妊婦の奥さんがいるのに、自分の幸せだけを考えた。弟の幸せを考えなかった。
「兄ちゃん、どういう意味?兄ちゃんには関係ないことだよ」
そうだな。
家を出た俺には関係ない。
でも、この町を、家を懐かしいと思っている想いに変わりはない。
「……実は、宮元カンパニーのお嬢さんに結婚を条件に、ホテル建設計画の中止の話を持ちかけられた。でも……俺にはできなかった」
そう、できなかった。
俺は眞有に側にいてほしかった。
「池垣さん、そういう言い方は眞有の前でするべきじゃないと思います。それじゃ、弟さんが誤解します」
眞有の右隣に座っていた奴がふいに噛みつくように口をはさむ。
「学さん、池垣さんは自分で断ったんです。眞有のせいではありません」
「港!」
眞有が半分涙声のような声で、奴を呼ぶ。
……そうだな。眞有のせいみたいに聞こえないでもない。
俺の隣で彼女は少し震えているように見える。
「そうだな。眞有悪かった。俺が選んだ。好きな女を捨てて、好きでもない女とは結婚したくなかった」
彼女を安心させようと机の下でその手を握る。
俺が悪い。
俺が選んだんだ。
「兄ちゃん。それは当然なことだよ。俺が同じ立場でも多分そうしたと思うし。しょうがないんだよ。引越し先も決まりそうだから、心配しないで。商店街のみんなも、もうあきらめてるんだ」
弟は笑顔を浮かべながらそう言った。しかし、その笑顔が無理に作ったものであることは明白だった。
結局、それ以上、何を話すかわからず、家を後にした。父さんは店から顔を出すことはなかった。
「もう少し長くいなくていいの?」
店を出て、駅に向かって歩きながら、眞有がそう口にした。
その表情は俺を案じるようで嬉しくなる。
「いいんだ」
彼女を安心させたくて笑う。
もう終わったことだ。
俺は自分の幸せを選んだ。それだけだ。
「池垣さん、眞有。昼食でも取りませんか?」
ふと後ろを歩いていた奴が穏やかにそう提案する。
時間を見ると一時を回ろうとしていた。
もうそんな時間か。
そういえば腹がすいてる気がする。
「そうだな。久々に田舎の飯でも食べようか」
俺がそう言うと眞有はにこりと笑い、奴は頷いた。




