9-1
目覚まし時計の音で目覚めると、部屋には誰もいなかった。
「玲美?」
一人で帰ったのか?
彼女らしくないけど。
ま、いいか。
俺は深く考えず、大きな欠伸をするとソファから体を起こす。
そして、ふとテーブルに置いていたノートパソコンを見ると電源の明かりが見える。
あれ?俺、昨日使ってないよな。
消し忘れ?
そう疑問に思いながらも、電源を消すとシャワーを浴びるため、バスルームに向かった。
『眞有。おはよう。今日はパーティーだな。がんばれよ』
出社するとそうメールを送る。
携帯を使うと玲美のチェックが入りそうで、会社のメルアドを使った。しかし返事が返ってこなくて気分がめげる。
まあ、今日は忙しいからな。
そう思うことにして、仕事に集中した。
お昼近くになって、玲美から連絡を受ける。お昼の誘いだったが、電話口の声が怒っていて、昨日の公衆電話のことかと思い、溜息をつく。しかし断るわけにもいかず、待ち合わせの場所に向かった。
「武。へんなこと考えてるみたいよね」
喫茶店についた俺に開口一番で言ったのはそんな言葉だった。
「へんなこと?」
椅子に座り、メニューを店員から受けとりながら、そう聞き返す。
「言いたくなければいいけど。でも思い通りにはさせないから。今日、あの女の会社のパーティーなんでしょ?父に誘いがあったみたいだけど、私が代わりに行くことにしたの。武、もちろん、あなたも一緒よ」
玲美は艶やかに光るピンクの唇を皮肉気にあげて、微笑む。
ばれてるのか?
眞有達がパーティーをきっかけに玲美の父親に近づいて、俺の用意した報告書を見せ、ホテル建設を諦めてもらう算段だった。
「今日六時、会社に迎えにいくわ。ワインことはよくわからないけど、楽しみだわ。武もそうでしょ?」
玲美が肘をテーブルにつき、俺を見上げる。口元には微笑が浮かんでいたが、その瞳は笑っていなかった。
断れるわけがない……か。
眞有、ごめん。
ふと眞有を想い、息を吐く。
「さあ、武。お昼にしましょ。何が食べたい?」
しかし、玲美は俺のそんな様子を無視して、楽しげにそう尋ねた。
「さ、武、行きましょ」
午後六時、時間通り玲美が現れた。そして藤川の車でホテルに向かう。
豪華なシャンデリアが頭上で輝くロビーで立ち止まった俺の腕に玲美が腕を絡ませ微笑む。
昼食を一緒にした後、自宅に戻ったのか、着ている服は青色のフリルが付いたワンピースで、首元に光るネックレスが煌びやかに輝いている。
こう見るとやっぱり令嬢なんだな。
玲美に引きずられるようにエレベーターに乗り込む。
三階に上がり、宴会場へ辿り着くと、眞有の姿が見えた。爽やかな男前の隣に立ち、客に向かって頭を下げたり、にこやかに話をしている。相変わらず可愛げのない地味なパンツスーツを着ており、彼女の性格が表れていた。
少し離れたところには、撫山が外人達と一緒に立っていて、華やか雰囲気を醸し出している。しかし奴の穏やかな視線は眞有に向けられ、胸が焦がれるがわかった。
奴は眞有が本当に好きだ。
俺と違って、真面目で、誠実な男。
でも渡したくない。
「武」
そんなことを考えていると、玲美がぐいっと俺の腕を引き、眞有のいる受付へ近づく。
彼女が必死に笑顔を取り繕うとしているのがわかった。
「こんにちは。宮元カンパニーの宮元玲美です」
玲美はそんな眞有を無視して、受付の男前にそう伝える。その側に立つ彼女は顔を張りついた笑顔を浮かべていた。
その表情が辛くて、顔をそむける。
「宮元カンパニーの方ですね」
男前は硬い声色で玲美の言葉を復唱する。
「ごめんなさいね。父は来られないわ。私が父の代理で来たの。婚約者も一緒よ」
玲美は男前に向かって、にこやかに笑う。
眞有、ごめん。
眞有に対面する勇気がなく、顔をそむけたまま、玲美の側に立つ。
何もできない無力の俺が情けなかった。
「ご来場ありがとうございます。パーティー開始まで後三十分ありますので、中でワインなど試飲しながらお待ちください」
一呼吸間があり、男の代わりに眞有の震えた声が耳に届いた。
その声は俺に彼女の苦しみを伝え、胸に痛みが走る。
彼女を苦しめている自分が情けなかった。
でも、何もできない。
「安田さんでしたっけ?私ワインのこと、詳しくないの。始まるまで時間があるみたいだから説明していただけるかしら?」
玲美はそんな俺と眞有をあざ笑うようにそう口にする。
できるわけない。
なんて女だ。
明らかに眞有への嫌がらせだ。
でも、俺が悪いのか。
玲美に気持ちを持たせた……
「宮元様、かしこまりました」
しかし眞有は静かにそう答え、目を閉じる。
そうして俺と玲美は、彼女の案内で会場に入る。
眞有は置かれたワインの前に立ち止まり、笑顔を作りながら説明してくれた。
その姿は可憐で、彼女を抱きしめたくなる。
しかし、玲美はそんな俺に猫のように纏わりつき、俺に言い聞かせる。
『わかってるの?』
触れられる腕から、そんな玲美の言葉が聞こえ、眞有への気持ちを押しとどめる。
「武、これ試してみたら?」
ふいに玲美が、勧められた試食用のワインを口に含んだ後、そのグラスを俺に渡す。戸惑う俺の前で眞有がきゅっと唇をかみ締め、顔をそむけた。
最低だ。
俺は。
彼女にこんな表情をさせるなんて……
しかし、すぐ側に玲美の『飲まないの?』という視線を感じる。
ここで拒否したら、結果はわかってる。
でも限界だ。
好きな女にこれ以上、こんな思いをさせるわけにはいかない。
俺の脳裏に十年前の、弟と父の姿が浮かぶ。
しかし、俺は目を閉じるとそれらを掻き消した。
「悪いけど」
息を吐くと、渡されたグラスをテーブルに戻す。そして玲美から離れると、眞有の隣に立った。彼女が驚いて俺を見上げるのがわかった。
眞有、今までごめん。
心を決めると、彼女を安心させようと笑いかける。
「玲美。家の事で俺はお前と結婚するつもりだった。でも、俺はこれ以上、お前の言いなりになるつもりはない。お前との婚約は解消する」
一気にそう言葉を吐き出すと、眞有の腰の手をあて、側に寄せる。家を切り捨てる怖さを眞有の暖かさで慰めて欲しかった。
「武?!そんなことをしたらわかってるの?」
玲美は俺を睨むと、そう叫ぶ。周囲の視線が一気に俺達に集中した。
「ああ、わかってる。お前の好きにしたらいい」
覚悟を決めると玲美を見つめ返した。
俺は好きな女と幸せになりたい。
好きな女を傷つけることなんかしたくない。
自分が家を捨てることが怖かった。十年前に捨てたつもりだった。でも本当はずっと心の中にあった。
でも今日で完全にお別れだ。
「!」
ふわりと包み込むような暖かさを背中に感じる。それは眞有の手で俺は心が安らぐのがわかった。
「ふん、どうなっても知らないから!」
そんな俺達に玲美は噛みつくようにそう言い、会場を後にする。周囲の客がざわざわと話をし始めるのがわかった。
終わりだ。
でも、これでよかったんだ。
「武……?」
眞有が俺を心配そうに見上げる。彼女に心配かけないように笑顔を作る。
「ごめん。眞有。始めからこうすればよかった。俺はお前が好きだ。だからいいんだ」
そう言うと彼女を抱きしめる。
それは彼女というよりも俺のためだった。
心に忍び寄る罪悪感が、俺を苦しめ、怖くなった。
「武……」
彼女は俺のそんな気持ちがわかるのか、涙を流し、俺の胸にしがみつく。
「眞有。泣くな。俺が決めたことだから。お前は気にしなくていいから」
彼女のせいではない。
俺が決めたことだ。
そう囁きながら、彼女の涙を拭った。




