1-3
なんか腹いっぱいになったら、眠くなってきたぜ。
欠伸をしながら青い空の下、会社に戻る道を歩く。
近くで働く友達に誘われ、昼食を共にした。この年になると、所帯持ちが増えてくる。面倒な話を聞きながら、食べることに集中してしまった。
おかげでいつもより食べ過ぎたよう気がする。
本当結婚なんて馬鹿らしいよな。
独身時代と違い変わってしまった友人の姿を思い出し、溜息をつく。
まあ、尖った感じがなくなって、付き合いやすい奴にはなったけどな。
ポケットに手をつっこみ、青い空を見上げた。
雲がゆっくりと流れる、いい天気だった。
その青さをまぶしく感じ視線を落とす。
一緒にいると心が癒されるか。
照れもせずそんな台詞を吐いた所帯持ちの友人の顔を思い出す。
馬鹿らしい。
癒しよりもなんていうか、女と一緒にいると狩りをする動物のような気持ちになって、ぞくぞくするんだよな。
その楽しみを忘れるなんて、もったいない。
ああ、でも。
眞有といるとなんていうか不思議な気持ちになるよな。
男友達とは違う、女と一緒にいるときとも違う、あれはなんだろう。
ま、それだけ好みじゃないってことか。
なんで眞有のことを思い出したのか苦笑する。
ああ、でも昨日は違った。
一度彼女のことを考え始めた俺は、昨日の夜に思いを馳せる。
あの時、彼女に色気を感じ、ぞくそくした。
だから抱きたいと思った。
俺は重ねた唇の感触を思い出し、口元が緩むのがわかった。
柔らかかった。あいつの唇……
あんなに柔らかいなんて知らなかった。
手首も意外に華奢だったよな。
あのまま、後輩の奴が起きなかったら、俺の知らないあいつを感じることができたかもしれない。
ちっ
まったく、間が悪いよな。
舌打ちをすると、周りを見渡す。
いつの間にか繁華街に入っていた。
通り過ぎる人は私服姿ばかり、スーツ姿の俺は人目を引くようで行きかう人が視線を向けた。
まあ、そのうちまたチャンスがあるか。
今後の楽しみにしておこう。
しばらくはこれで楽しめそうだ。
そう決めると足を早めた。
さっさと会社に戻って、今朝からかかってる報告書を仕上げるつもりだった。
「興味ないの。人を待っているので」
しかし、ふいにそんな声が耳に入ってきて、足を止めてしまった。視線を向けると店の前で女の子が数人の若者に囲まれているのが見えた。
女の子はオレンジ色に近い髪のボブが似合う、猫のような可愛いな子だった。その子は男たちを睨みつけている。
どうしようか。
あれはまずいよな。
小さく息を吐くと、彼らに近付いた。
「すまん。待たせたな。アミ」
この際名前はどうでもいい、彼氏の振りをしようと思い、彼女の肩に手を回す。
「俺の可愛い彼女なんだ。悪いけど他を当たってくれよな」
「本当かよ?」
降って湧いたような俺に若者達は疑いの目を向けた。
「そうよ。アキラ。待ちすぎちゃって疲れたわ。行きましょう」
彼女は疑惑の視線を向ける彼たちの前で俺の演技にのり、腰に手を回す。
彼女が意外に大胆であることに驚いたが、芝居を続けることにした。
「そういうこと。じゃな」
彼女を連れると、男達に背を向ける。
奴らが舌打ちをしたのがわかった。
これでもう追ってこないだろう。
こんな可愛い女の子を数人でナンパするなんてどうかしてる。
しかもいまいちな面で。
「もういいかな」
数分歩き、店からかなり離れたところで彼女を解放した。
「ありがとう」
彼女は先ほど若者に見せた強気な態度とは一変して、俺にぺこりを頭を下げる。その様子がなんだから可愛くて、俺は彼女をまじまじと見つめた。
小柄で猫のような可愛い彼女、ばっちり俺の好み。
この際、ナンパしちゃうか、俺が……
しかし、なぜか眞有の顔を浮かび、その考えは一瞬で消えた。
「いやいや、可愛いんだから色々気をつけたほうがいいよ」
そう言いながら、自分の不意に冷めた気持ちに驚く。
まあ、仕事中だし、ナンパは御法度だよな。
自分に湧き起こった気持ちを深く考えず、仕事中だと頭を切り替える。
「じゃ、俺は会社にもどるから」
そう言って立ち去ろうとした俺のシャツを彼女がぎゅっと掴んだ。
「待って。お礼をしたいんだけど!」
大きな瞳で見つめられ、俺の胸がときめく。
うわあ。
おねだりする猫みたいだな。
お礼って、いいよな。
乗るか。
『武』
しかし、また眞有の声が脳裏で響き、俺の気持ちは覚める。
どうしたんだ?
俺?
おかしいな
「いや、お礼はいいわ。会社に戻んないといけないし」
「じゃ、名前だけでも教えて。これ、私の名刺だから」
困惑する俺に彼女が名刺を取り出す。
「あ、じゃ、俺も名刺と」
俺は渡された名刺を受け取り、名刺入れを探す。そして鞄の中から見つけ出し、彼女に手渡した。
「池垣武……」
名刺を受け取った彼女は、そう俺の名前をつぶやく。
知ってるのか?
そんなわけないよな。
「そう、よろしくな。君は宮元玲美さんね」
「玲美って呼んでください」
おっと呼び捨て、OKか。
これはかなり脈ありだよな。
「じゃ、俺のことも武って呼んでよ。名刺に俺の番号も載ってるから、困ったことがあったら電話して」
やっぱり一緒にお茶でも飲もうかと迷いながらも、にこりと彼女に笑いかける。
「うん、武。必ず電話するから」
彼女はとびっきり可愛い笑顔を浮かべてそう言った。
「あ。うん」
うわあ、可愛い。
やっぱりここはお茶でも一緒に……
タララーン
しかし俺のそんな思いは着信音になって止められる。
誰だ?こんな時に。
ポケットから無造作に携帯を取り出すと、ディスプレイを確認するのも億劫でそのまま出る。
「武!」
それは、眞有だった。
「あ、眞有?」
かなり不機嫌そうだな。
少し戸惑いながら彼女の名を呼ぶ。
「今夜暇?ちょっと顔貸して!」
それは唐突な誘いだった。しかし断れるような誘いではなく、玲美のことを頭の片隅に思いながら頷くしかなかった。
そうして今晩会う約束をさせられて、電話を切ると玲美の姿ももうそこにはなかった。
どこにいった?
ま、いいか。
とりあえず、今夜は楽しくなりそうだ。
首を横に振ると、眞有を過ごす夜のことを考え心躍らせる。
そして会社に戻る道を軽い足取りで歩きながら、すっかり玲美のことを忘れていた。