6-2
「池垣!今日の夜は付き合え」
午後五時、今日は帰れるぞと帰り支度を始めていると、上司からそう誘いがかかる。
こ、断りたい。
が、口から出た言葉は「わかりました」だ。
仕事は真面目にこなしてる。営業成績もなかなかだと思っている。
が、一番俺が気を使っているのが上司の機嫌とりだ。
なんせ、俺の上司、山田部長は社長の甥っこだ。機嫌を損ねるととんでもないことになる。そんな俺の苦労とわからないというか、どうでもいい後輩の上野は『俺は約束があるので』と頭を下げると帰ってしまった。
「本当、池垣くらいだよな。俺の苦労をわかってくれるのは」
部長に会社近くの居酒屋に連れ行かれ、店の奥の座敷で俺逹は飲み始めた。
今日も絡み酒の部長は焼酎を煽りながら、そう言う。家庭がうまくいってないのか、部長の酒はなんだかいつも愚痴ぽく、付き合うのも一苦労だった。
だからいつも他の奴はそそくさと逃げるように部長の誘いを断ることが多かった。
面倒だけど、これも仕事だよな。
機嫌とってるといろいろまずっても救ってもらえるし。
にこにこ愛想笑いを浮かべ、空になったコップに焼酎を継ぎ足して氷を入れる。そして早くつぶすために焼酎はちょっと多めに入れる。
家まで送るのは面倒だが、酔わせないとどこまで付き合わされるかわからない。
そう思い、自分のコップには少なめに焼酎を入れた。
ああ、今頃、眞有何してるんだろう。
まさか、撫山と一緒にいるとか?
まさかな。
「あ、氷ないですね。俺、入れてきます」
「池垣、何もお前がいかなくても」
「いやいや、行ってきます」
いい口実ができたとアイスペールを持って座敷を立つ。そして店員に氷のお代りを頼み、キッチンの近くで待ちながら電話をかけた。
「武?」
電話に眞有がすぐ出てほっとする。
「今どこ?」
「家だけど……」
「そうなんだ」
その答えにさらに安堵を覚える。
「どうしたの?」
「なんでもない。今日は会えると思っていたのにな。部長のお守りは俺しかいなくて。ごめん」
「別にあやまらくても。前もそんなに会ってなかったでしょ?」
「前は、付き合ってなかったからな。今は毎日会いたい」
「………」
電話口の眞有が無言になる。
今のまずったか? でも正直な俺も気持ちだし。
「眞有?お前はどう?毎日会うのは嫌?」
「そんなこと……」
戸惑う彼女の声が聞こえ、続きを聞こうとするとアイスペールがぐいっと視界に入る。
「どうぞ」
店員がアイスペールを差し出しており、自分に渡すように伝えていたことを思い出す。
部長をあんまり長く一人にさせておくと、怒るからな。
「眞有。悪い。部長のお守に戻る。また電話するから」
続きが聞きたいと思ったが、そう口にする。
「うん、わかった」
すると眞有がそう答えた。
「じゃ」
俺は名残惜しく思いながらも電話を切り、アイスペールを片手に座敷に戻った。
とりあえず眞有が家にいてよかった。
あの撫山は油断できない。
しかもあのルックスだ、美形ウォッチャーの眞有の好みにぴったりだからな。
でももしかした俺はうざいとこ思われてるのか?
っていうか俺もキャラ違うしな。
こんな風に毎日会いたいと思うなんて驚きだ。
「池垣~。遅いぞ。トイレにでも行ってきたのか?」
座敷に上がった俺に部長がむくれてそう言う。
「ははは。すみません」
愛想笑いをすると向かいに座り、焼酎を継ぎ足した。
「つ、疲れた!」
午後十一時、やっとつぶれた部長を家に送り届け、マンションに戻ってきた。そして冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出し、どかっとソファに座る。
部長、重すぎ。
飲ませすぎたな。
かなり酔った部長は全体重を俺に掛けており、必死に部長に肩を貸して、奥さんに言われた部屋に部長を寝かせた。奥さんが色気を帯びた視線を俺に向けたような気がしたが、面倒はごめんだと愛想笑いを浮かべ、そそくさと家を出た。
誤解されても困るしな。
シャツのボタンを緩め、ペットボトルの水を煽る。乾いた喉にそれは潤いを与え、ほっとする。
げ、十一時半か。
もう眞有寝てるかな?
携帯を握り、眞有に電話かけるか迷う。
っていうか、今かけるとやばいか。
数時間前に話したばっかりなのに。
ふいに手の中の携帯が震え始める。なぜかサイレントモードになっている俺の携帯のディスプレイを見ると実家からだということがわかった。
「もしもし?」
「兄ちゃん。ごめん、こんな時間に」
電話口から元気のない弟の声が聞こえた。
おかしいな。
ずっとかけてきたことなんてなかったのに、なんで最近?
「兄ちゃん、やっぱり実家に帰ってこないのか?」
「……悪いが、そのつもりはない」
学の問いに俺はきっぱりとそう答える。
あの場所は嫌な思い出がありすぎだ。だいたい父さんも俺と会うのが嫌だろうし。
「……俺たち、引っ越すんだ。まだ行き先は決まってないけど」
「引越?なんでだ?」
「それは……」
「学?誰に電話してるんだ?」
「父さん!」
言いよどむ学の声にかぶさり、電話口から父さんの声が聞こえた。そして二人のやり取りが俺の耳に届けられる。
それを聞きながら俺の心臓は早鐘を打っていた。
父さん……
「あいつには関係ないことだ。話すんじゃない」
学が何かを言おうとするのを遮り、父さんはそう言う。そして次の瞬間、がちゃんと音がして、電話が切られた。
なんだ?
なんなんだ?
あいつって、俺のことか。
ふん、父さんらしいな。
やっぱり十年たっても俺のことは嫌いらしい。
悔しい思いを抱え、目を閉じる。そしてソファに体に預け、天井を仰ぐ。じわじわと胸に痛みが広がり、両手で顔を覆った。




