『巨人の魂』
巨人の魂
ここの話は敷島の國〔「敷島の」が「やまと」にかかる枕詞であるところから大和国の別称。〕
の偉人の半生を辿る作者の未踏の領域である。甚だ不勉強なもので、吾人も呆れ果てる手法で執筆に挑戦である。日々不明の領域に踏み込む筆者の愚かしい愚挙をお笑い下され。此れは世間の物を知ったル賢人の皆様の連載やら、書き下ろしとは無縁の愚挙であります。精々挫折の無い様、話として完結せる様、お見守りくだされい。
ただし、左様な次第で話が進む内に、先に認めた箇所を書き換える不純さ、覚悟の貧弱さも合わせてご容赦くだされ。
はじめに
1838年(天保9年)清國の湖広総督・林則徐公は皇帝から欽差大臣として、イギリス商人によるアヘン密輸入根絶の命を受け、広東に向かった。時の英国は欧米列強の旗頭として極東アジアの富みを根絶やしにせんと、オランダ共々、東インド会社を設立し、清國の大量の銀を獲得した。
其の頃英國は産業革命時代で、労働者の食の習慣に紅茶が広がり手離せなくなった。
其れは英國の経済を疲弊させる程であった。
その高い交易の代価として多くの支払いを要した英國は茶の産地清國に圧倒的な力を持つ事になった。
其れは、清國にアヘン吸引の悪習慣を齎す事だった。そのアヘンは何処から来るかと云うと英國領の、東インド会社のアヘン栽培地からであった。結果的には清國は不実な英國の為、アヘン戦争に巻込まれ、亡国の憂き目を見る事となった。欽差大臣林則徐は自國高官の裏切りに会い、失政の汚名を着る事になった。
林則徐公は欧米列強に辛酸を嘗め、魏源に欧米諸国の亜細亜における覇権の実際を記録させた。
其れが《海國図誌》五十巻であった。幕末の偉人吉田松陰先生が1850年(嘉永3年)初めて藩外の旅に出掛けられた際、遥かに波頭を越えて日本國に辿り着いた《海國図誌》二冊の内の一冊を、奇跡的にも偶々目にする機会を得た。世界の情勢を初めて具体的に知る機会に、日本を取り巻く亜細亜の危機に慄然とされたのであろう。
1834年(天保5年)10月、武州多摩郡上石原村、宮川久次郎の家に慶事があった。
元気な赤子の産声は、家中に活気と、希望を持ち込んだ。
宮川勝五郎と名付けられた嬰児は波瀾に満ちた時代を知る由も無く、周囲の歓びを小さな一身に受けていた。
「ようよう、生まれた。ご苦労様じゃ。」
出産と云う大切な使命を終えた母親は、ほっと肩の荷を降ろして、微睡んで居た。
「男か。どんな男に育つかいな。」
「男前じゃ。」
「ぷっ、と云うより元気者じゃ。」
「まあ、何と乳の飲みっぷりの良い。」
「痛てぇ。勝が、俺の指ぃ噛みよるわい。」
「はっはっはっは。」
元気な弟に幼い兄達も大はしゃぎだ。
「これ。其れ位にしておけ。」
「はいっ。」
叱られても、ちょっかいしたいのは兄弟なればだ。
未だ若い宮川久次郎にとって何より嬉しい天からの贈物であった。
薄紫の黎明の中、静寂を引き裂く生命の雄叫びが聞こえた。其れは新生児の産声であった。自分が生まれた。生を受けた歓びを體一杯表現して居るかのように。
「よし、生まれたか。此れは元気が良いのう。」
天保七年御蔵奉行、小野朝右衛門高福の四人目の男児が生まれた。
当時は幕藩体制の末期で、凶作の為飢饉が多い時代であった。
國内の彼方此方で窮乏の為、悲惨な事も多かった様である。そんな中小野家では久方の慶事で賑わった。
小さな命は、あどけない笑顔に円らな瞳で見る者に、思わず微笑みを浮かせた。
「おっ。此れは凄い。」
赤ん坊は父親の節くれだった指を、ぎゅっと握り締めると、中々放さなかった。
「何と頼もしいお子じゃ。」
一座の大人達は夜更けまで其の歓びを語り会ったとか。
「さあて、一体どんなお侍になりましょうか。」
九つの頃であったろうか、鉄太郎は未だお母さん子で、甘えん坊であった。
そんな彼を武士の子として厳しく嗜めたりはしなかった。
膝の上で遊ばせながら、しっかりと文字などを教えて居た。
利発な鉄太郎は母の膝元で、甘えながらも、あれこれと実に多くの字を覚えた。
「嬶さん」
「なんね。」
「此の字は…。」
「其れは〝忠、孝〟と云って人間にとって最も大切なものよ。」
「たからもの?」
「そう、母にとって〝宝〟じゃ。」
「金銀、珊瑚綾錦…。」
「そうそう、鉄は賢い。金銀、珊瑚綾錦…そう、そんな物より大事じゃ。」
「ふぅん。」
「ほほっ。わかる。」
「…。」
教本を眺めながら尋ねる鉄太郎に母はじっと其の字を見つめ、ぽろぽろと涙を見せた。
鉄太郎は母の涙をその時始めて知った。
幼い鉄太郎に母の涙の判る筈も無いが、幼心にも、何時に無い母の心の高ぶりは記憶の底に残って居た様だ。
其の頃の武士社会と云えど、女性が忠孝の文字で涙する事は非常に稀であったろう。
軈て成人して名を成す鉄太郎。その幼児体験に掛け替えのない母の感性が有った事は間違いなかろう。
弘化三年秋、神影流を学ぶ鉄太郎は同年代の子に更に秀出る事、明らかで文武両道に余念が無かった。
季節柄、あちらこちらでは、鎮守の祀りが盛んであった。中々豊作とは云い難いが、季節季節の祭事は大切にされた。
街のあちこちで、祭囃子が聞こえる中、鉄太郎が祭で賑わう界隈を歩いて居ると、三歳程年上の少年達に取り囲まれてしまった。
「一寸、来なよ。」
「……。」
云われる侭に従いて行くと、或商家の裏手であった。
白い漆喰の壁と海鼠壁がどっしりとした。
静かな場所であった。
「お前な、一寸生意気だぞ。」
「…。」じろりと少年達を見据えると、後ろから羽交い締めにされ、腹を拳で殴られた。「むっ。」「ふん。しぶとい奴じゃ。」同じ武士の子達であった。幼いとは云え、腕に覚えのある鉄太郎であった。素手の争いに剣術を使用すろ事は御法度であった。又そうで無くとも鉄太郎の心が許さなかった。
鉄太郎の腕前を知らぬが佛…
鉄太郎は少年達の立ち去るのを待った。
其の時、一人初老の武士が
「これっ。お前達何しとる。」
張りの有る野太い声が叱った。
悪童共が立ち去ると、「何て奴等じゃ。一人に…」
憎らしげに云うと、
「大丈夫かい。何じゃ、鉄ちゃんじゃねぃかい。」
鉄太郎の父と同じく御蔵奉行の牧村だった。
「ふ~ん。鉄ちゃん相手に適う筈も無かろうに。しかし、どうしてやり返さないんじゃ。」
そんな大人を複雑な眼差しで、じっと見上げる鉄太郎であった。
鉄舟と云えば剣の達人と云われ、また禅の達人とも知られて居るが、小生は無学の徒なるが故、一歩踏み込んだ鉄舟の内面を伺い知る事は甚だ困難である。
禅と云えば最澄、空海の大師が大陸から持ち帰られた宝であります。そのみ教えは広大で佛や、自己の存在。又は世界観を、時間空間を越えて観念の世界で認識し、又その価値観を実生活に生きる。積極的で険しい道で有るらしい。よって〝いにしえ〟から文武と共に禅は多くの武人の身を以て学んだ、修した教えであった。
鉄太郎、後の山岡鉄舟も文武、禅にて多くの実りを得て大成した、我が國に於いて極めて貴重な人物の一人であった。
「これ、鉄。」
「はっ。」
禅の師が笑い乍ら鉄太郎に云った。
「一つ問答を仕掛けてやろう。」
「…。」
「お前の習って居る禅にはのう。
こんな問答がある。お前も考えて見よ。」
「はいっ。」
いつに無く緊張に構えて居た。
「…。」
「鉄太郎。お前には良い父母が居るの。」
「はい。」「その父母が未だ生まれて居らん昔…。」
「はい。」
「お前は何処に居たか、何をして居たか答えて見よ。」
突然の難問に鉄太郎は大きな眼を更に大きくして、驚いた様だ。
「…。」
「どうした。答えられまい。」
「…。」
子供相手と云え、決して冗談では無いらしい。
「…。寝て居ました。」
意外にも答えて来たので、和尚の方も目を丸くして感心した。
「おっほぅ。で、何処でじゃ。」
「お袋殿の肚の中じゃ。」
「あ~甘いのう。其のお袋様は未だ生まれて居らんのじゃぞ。」
鉄太郎は臆せず答えた。
「寝て居りました。佛様の肚の中で。」
「そうか。まあ、そんな処で良かろう。」
大人の修行者にとっても、生半可な答えでは、其れこそ警策の餌食である。
嘉永元年十一月、江戸市ヶ谷に新たな風が吹きわたっていた。
勇ましい気合いと、木刀の弾き合う音が、周囲の静かな空気を切り裂く音が響いた。
「やっ!。」
「ぅおぅ。」
「だっ。」
「はっはっはっはっはっはっは。腰が入っとらん。」
「どけどけっ。」
道場の片隅に眼光の鋭い若者が控えて居た。
「其処の若いの。相手をしてやる。」
「はっ。」
師範代と思しい男が若者を相手に荒稽古を始めた。
「きっ。中々やるの。」
「…。」
「近藤先生。中々です。つ、こりゃ良いや。」
「…。」
近藤周助は先ほどから、じっと食い入る様に若者の太刀筋を見つめて居た。
「其れまでっ。」
堂内にざわざわと声が沸き上がった。
「お主の名は。」
「は。宮川勝五郎と申します。」
道場主は、眼の底まで射抜く様な眼差しで勝五郎と名乗る若者を見つめながら。
「勝五郎とな。うむ。見事じゃ。」
「…。」
「じゃが、慢心するで無い。」
世の中にはのう、お前の様な者は五万と居る。
「はっ。」
若者は師の言葉を小気味良く聞いた。
師の言葉の意味より、師の関心を一身に受けた事で、心の中に何か今までに無かった風が吹くのを感じた。
「そなたの希望は。」
「…。はい。一端のサムライに成りとうございます。」
しかし、若者の眼に一端では満足しきれない、大きな野心の火を周助は見て居た。
「そんなに武士に成りたいか。」
「はっ。」
「はっはっは。其れも良かろう。」
何はともあれ、一途な若者を周助は愛した。
今日も山岡道場に激剣の音と、人が板壁にぶち当る重く鈍い音が響いた。
道場の横手に小さな母屋があり、其処に山岡静山が起居して居るらしい。
毎日聞こえる修羅の轟きに、台所で家事万端をこなす師範静山の妹、英子は驚く様一つ見せない。
そんな英子であるが、最近気掛かりが有るらしい。
兄静山の名声を伝え聞いて、日参している門弟の一人に不思議な人物が居た。
身の丈七尺程はあろうか、大男の割には、身のこなしは繊細で、又武道ばかりでは無く心も老成ていた。
若いが同じ年頃の若者には見ない見識を備えて居た。
「いぇ~~っ。」
「未だ未だ。」
と、どっし~~ん。突然の地震の様に家中の柱も、調度も震えた。
其の時ばかりは、流石の英子も家から飛び出し、兄の道場へと様子を伺いに往った。
「其れ迄。」
漸くの稽古の終了に、我に返るように道場内にどよめきが走った。
一時前から続けざま、打ち稽古に没頭する男達を他所に、英子は独り甲斐甲斐しく働いて居た。
軈て陽も暮れかかり、四方茜色に染まるころになると、
「其れ迄!」
張りの有る兄の声が堂内に響いた。
そして、がやがやと後片付けの様子が目に浮かぶ。
道場から出ると皆道場脇の縁側に腰を降ろして、剣術談義やら噂話しに夢中であった。
英子の兄師範は稽古の最中とは勝手が違い、にこにこ笑い乍ら一人の大男と何かしら話し込んで居た。
「皆様、白湯でございます。」
「おうっ、英子様。忝ない。」
「木村様もどうぞ。阿部さまも…。」
一人の二枚目の男が云った。
「英子様。どうぞ、ご遠慮無く。師範のおん前でお待ち兼ねでござるよ。」
突然、英子は耳迄真っ赤になって、後ろを向いた。
「知りませぬ。」
「はっはっはっはっは。こりゃ、不粋だった。すまん。」
又、前を向くと英子は顔を引き締めて、兄の処へ行った。
兄の静山が、にやりと笑った。
「英子、儂は後で良いぞ。」
又、顔を赤らめると、
「兄様まで…。」
と云いつつも、師を前にしてとり澄ました鉄太郎の後ろ姿に、憧憬を覚えるのであった。
と、師範の山岡静山は、
「今、何か聞こえなかったか。」
と急に顔を曇らせた。
「はっはっはっはっは。」と。
「小野鉄太郎氏。」
青白い顔をして静山は鉄太郎をじろっと睨んだ。
「ははーっ。人間誰しも、嫌なものは有り申す。先生。此の〝ぼろ鉄〟遠慮のう、叱り飛ばして下されぃ。」
「はっはっは。恐い者に弟子も、師範もありゃせん
槍の名人、山岡静山の弱点を見たり。
どうやら雷嫌いらしい。
可笑しさを堪え切れない英子は口元を袖で隠し乍ら炊事場へ去った。
嘉永二年近藤周助の養子となった勝五郎は島崎勝太と改め安政に入り、江戸試衛館ならびに、八王子近くで天然理心流を伝えて居た。
万延元年、松井ツネを伴侶と選んだ勝五郎は、翌文久元年〝勇〟と名乗った。
「御免。」
「あら、土方様。いらっしゃいませ。」
「ははっ。先生は…。」
ツネは奥へ下がると、
「貴方、土方様が。」
勝手知ったる屋敷に
「おうっ。お休みでございましたか。」
「いや、良く来た。」
「土方様が…。」
「おうっ。済まん。」
「はっはっはっはっは。儂も好き者故。」
大きな徳利を新妻に預け、どっかと腰を据えた。
「上洛、上洛と草木も靡くとか。」
じっと勇の眼を見る土方。
「時代は、人も上方へ流れて居りまする。」
「…。」
「儂は難しい事は知らん。」
「〝もののふ〟として乱世は好機でござる。」
ツネが肴を捧げて来た。
「おお、相済ませぬ。」
小声で
「あれ、の前じゃ、言葉を慎んでのう。」にっと笑うと。
「いつもツネ殿の肴は逸品でござる。」
ツネは笑って聞き流すが、油断ならぬ客と心はいつも醒めていた。
安政四年 鉄太郎二十二歳。『修身要領』を記す。
今日も鉄太郎は某剣道場を訪ふ。
「頼もう。」
の一声に奥から師範代の男がやって来た。
鉄太郎の顔を見るや、突然表情が強張り、云うべき言葉を失った。
小さな呻き声が、
「…ちっ。ぼろ鉄。」
思わず口籠る台詞に、鋭い鉄太郎の視線が痛い様に感じたらしい。
「はっはっはっは。此れはあの、山岡殿で…。
一寸待たれよ。」
そそくさと奥へ駆け込んだ。
待つ事四半時。先ほどの男が出て来ると、
「誠に、相済まぬ事では有るが、師範は本日先約が有ってのう。
ちと、都合が…。此れは、ほれ。志しで…。」
「儂は施しは要らぬ。師範代のお主でも済む用事なれど、要らぬ事の様じゃ。又に致す。失礼致した。」
鉄太郎は大いに失望した。泰平のぬるま湯に浸り切った、どう仕様も無い、似非侍の実に多い事か。
先頃迄は何処の道場でも相手をしてくれたが、鉄太郎の強さに、又太刀筋に恐れを成したか、この頃では人の顔を見るなり、立ち会いお断りの始末であった。
道場巡りで此の道を極めるつもりが、余りにも世間の多くの道場が其の腑甲斐無さに、流石の鉄太郎も些か嫌悪感に苛まれる訳であった。
独り静かに禅堂に籠る事も多くなった。
己を極めようと思えども、未成熟なる自己に充たされぬ思いはつのる侭であった。
更に強い者と立ち会う時に、備え自己の肉体と精神を錬磨せずには居られなかった。
そんな弱さが潜む自己自身は、求める不動心とは甚だ遠い存在であった。
江戸の鉄太郎の耳にも、遠つ國の噂が伝わって久しい。
時の阿片戦争により、西欧列強國が、強大な勢力で清國を陥す事態を相当な危機的事件として憂いて居た。
「……。」
江戸の新橋の表通りを独り歩いて居た鉄太郎は、思案に夢中で思わず人とぶつかりそうになった。
反射的に躱すと。
「おうっ。あんたじゃないかい。」
「…?」
鉄太郎には余り記憶がなかったが、相手の男には印象深く残って居たらしい。
「山岡殿。」
「…。」
「清川八郎でござる。」
「おうっ。玄武館で会うて居る。」
男は、にっこり微笑んだ。何にせよ、鉄太郎に覚えて貰った事が余程嬉しかったらしい。
「冴えないお顔じゃ。如何致した。」
「何、大した事じゃ無い。」
「道場破りか。」
「はっ。人聞きの悪い。儂はそんな似非武道者とは違う。」
「いや、悪かった。ほんの道化じゃ。許されよ。」
「何の、気にせんでくれ。」
二人は共に歩き乍ら語った。
「何をお考えかのう。」
「世の中は広い。」
「広い?」
「はっはっはっはっは。只其れだけじゃ。」
「だけでも有るまい。」
「まあ、そんな処じゃ。」
「未だ判らぬか。」
「いえ今、正に今知りました。」
「天下無双の剣とは。」
「天下無双の剣とは。両刃の剣じゃ。」
「両刃の剣とは、」
「両刃の剣とは。敵を切り、返す刀で己を切る。
己を切り、己を無に至らしめ、無の極みに至る。天下無敵の剣。菩薩の剣也。」
山岡鉄舟は二十歳の時に、武州芝村(川口市)願翁和尚から一つの公案を授けられた。
「本来無一物」
の徹見に鉄舟は十二年を要した。
山岡鉄舟の最も偉大な行跡は、有名な《江戸城無血開城》である。
当時は幕府壊滅の断末魔で、鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜公は謹慎。
東征大総督府参謀西郷隆盛が官軍を率いて駿府城(静岡県)まで迫り、幕府恩顧の大名は、徹底抗戦。
江戸城を含め百万の住民が戦火に飲み込まれる危機の最中。
幕府方の勝海舟の命を受け、慶喜公の意を伝えんが為に東征軍の敵勢の中を単身乗込んで行った。
その鉄舟の心胆、〝剣禅一如〟の悟り無かりせば、この歴史上の《江戸城無血開城》は江戸城百万の人命と引き換えになったであろう。
此れは単なる歴史上の出来ごとや、禅問答の所産では無く、活きた禅、人生の活人剣なのであろう。
趙州和尚、因に僧問ふ、狗子に佛性ありや也無しや。州云く、「無。」
参禅するからには、祖師の関門を通過するべし。本当の悟りは思考の究極を要する。
祖師の関門を通過しなければ、貴方の信仰は活きて居ないぞ。
祖師の関門を通過するとは「無」を知る事である。
祖師の関門を通過する事こそ宗門にとって大切な事である。
祖師の関門を通過したものだけが、歴代の祖師と同じ悟りの境地を共有
するものである。一切の物を振り捨てて、
「無」の関門を知る事である。
一個の熱鉄丸を飲み込む苦痛にあい似て、
飲み込むも不可、吐き出すも不可。
絶対絶命の関門を通り過ぎ
乱れる心を静め、一切の天動妄想、雑念を捨て斬る。
現象的に現れた一切を切り捨てる処、
己を捨て切った処に、
真の何物にも囚われない自由自在の境地が現れる。
武蔵野の大地に秋がやって来た。どこまでも続く土手の薄の生い茂る中に、男が二人寝そべっていた。
「あ~~っ。」
「どうした……何を考えている。」
「うむ、鉄さん。あんたは良い。腕は立つし…頭は切れる。何よりも、元々が侍じゃ。」
「ふっ、何の事じゃ。」
「俺達浪人は皆、三男坊や、貧しい喰い詰め貧乏侍…何時かは仕官をと望む、叶わぬ想いにしがみ付いたる哀れな男共。」
「ははっ。…夢じゃ、ちっぽけな。」
男は独り己の現実を嘆いた。
鉄太郎の心は其れとは別に、他の事を考えて居た。
「おい。鉄殿、聞いて居るのかい。」
「そんな事より、人と生まれて大義に生きるのはどうか。」
「…。」
男は突然醒めた目をして
「そんな事より…。大義より儂は…」
全てを聞かずとも鉄太郎には其の先は読めた。
無理は無かろう。
「其れも良かろう。」
鉄太郎は思った。
(良い奴だが、矢張り儂とは道が違う。)
鉄太郎は些か寂しい思いをした。
軈て陽は落ち、武蔵野の大地は黄金色に輝いて来た。
「御主人。御主人さま。」
鉄太郎は目が醒めると未だ、未明に屋敷内の寝室に居る自分に気が付いた。
「夢か。」
「何事じゃ。」
応えたのは屋敷の下男だった。
「危のうござります。近藤様が、旦那様と清川様を殺しに…」
「ふふっ。其れは面白い。」
「もおうっ。そんな場合じゃ有りませんがな。」
「判った君子危うきに近寄らず。お前もこっちへ来い。」
其の時表の方で、板戸がバタリ。
と押し倒される音がした。
「ひっ。」
「儂の後へ続け。」
「へいっ。」
「山岡は居るか。奴は何処だ。」
すると、聞いた様な使用人の低い声で、
「へいっ。お休み処は確か…。」
どうやら手引きは屋敷内に居ったらしい。
一軒のメシ屋の引き戸が、荒々しく閉められた。
「おうっ。どうした安の字。」
浪人達が屯をして居る。天井は高く、冷え冷えとした、傷だらけで煤で真っ黒な大黒柱が目立つ店であった。
「どうした。」
「……。」
一人の男が尋ねた。
「佐々木殿は…。」
「動いた。」
眼がぎろっと光った。
「おうっ。聞いたか。」
「愈々動くぞ。」其の精悍な男達は、いつも陽の目を見る事のない若い浪士達であった。
慶応四年(1568年)鳥羽街道は、あちこちの旧幕府の軍隊が、京を目指しては続々昇って来た。
街道の宿場の旅籠と云う旅籠は、旧幕府軍の将兵で入り乱れて居た。
「近藤殿、近藤殿。」
遥か後方から新撰組の近藤を呼ぶ声がした。
先を急ぐ軍旅に足留めを食らい、流石の近藤を始めととする土方歳三達も気が気ではなかった。
「何ごとじゃ。大江。」
「は、こりゃ、不味うござる。」
「何が。」
「此処は最早戦陣じゃ。されど我が軍勢、此の態勢じゃ危のうござる。いつ…。」
と、云う間も待たず、突然横合いから百雷の墜つる音が轟いた。
「うわっつ。」
「ぎゃっ。」
忽ち阿鼻叫喚の地獄絵図が広がった。
泰平の世の習いに、戦場の感性を忘れて居たのが幕府軍であった。
「御免。御免。」
夜半になって未だ就眠前ではあったが、山岡邸の門を頻りに叩く者が居た。
「旦那様。柏木様でござります。」
「…。座敷きへ。」
「へいっ。」
下男の案内で柏木某と云う男が、腰を低くして座敷きに上がって来た。
「鉄舟先生。夜分失礼の段ご容赦を。」
其の男の目を見て尋常の事では無い事を鉄舟は悟った。
「申されよ。」
「はっ。近藤様が……。」
「そうか。」
後は云うまでも無く。
鉄舟には分かって居た。
「実は近藤様。昨日お果てになられ…。」
歩む道は違えども、剣を頼りと共に、あの京の都へ登った仲間であった。
立場が違うとは云え、目指すものが違いはすれども。
「う~ん。惜しい男をのう…。」
鋼の男鉄舟も、其の心根は人一倍繊細であった。
もののふとして思わず憐憫の情に駆られ、涙するのであった。
あの天下に名を知らしめた新撰組局長も慶応4年4月25日板橋で斬首。
後首は京の河原に晒された。
あっと云う間、もののふの最後であった。
「花は櫻、人は武士…。」
「一端の侍に成りたかったそうな。」
近藤勇の夢は叶ったと云うものであろうか。
命も要らず。しかし、大義の為には命をも賭けて生き抜かねば…。
江戸を離れて数十里。此処は何処ぞ。迫り来る争乱を予感する中、街道と云う街道は、恐ろしい程に静まり返っていた。
「おいっ。」
「…。」
「鉄殿。」
「…。」
「もう直じゃぞ。」
「…。」
「恐くは無いのかい。」
「…。」
「此れは、失礼仕った。」
一人従者を従えた二人旅は周囲の通りすがりの者の目には、異に映った事であろう。
六尺に余りある大男と五尺足らずの小男であった。
勇ましい出で立ちでは有るが、小男の方は気が気では無い様子が見え隠れした。
大男の方は一貫して無口であった。
眼は半眼に閉じて、恐ろしい勢いで歩きつつも、歩き乍ら禅を結んで居る様であった。
「口を聞く間も有りゃしない。」
小男の方は暫し呆れた顔であったが、軈て話しかける事を諦めた様であった。
「もう直かのう。」
三島辺りの街道は彼方こちらに、見張り番が立ち要所要所に竹矢来が作られ、道行く旅人を隈無く検問していた。
鉄太郎らも行く先を三十人程の武装で身を固めた雑兵共に押し止められ、気が立った視線に、じっと見据えた前を通らざる負えなかった。
「お~~待て、待たれい。」
「何者じゃ。」
「江戸方か。」
「いや、待たれい。此処は官軍方の詰め所である。儂は此処を取仕切っとる益田と申す。で貴公は何者で、此のご時世に何故、此処を通られる。」
すると雑兵の中に
「おおう。益満休之助様ではなかね。」
休之助の顔馴染みが居たらしい。
「ん。おはんは、川路の公介か。いやぁ、懐かしかね。」
「ふ。馴染みか。」
《駿府城にて…》
(大先輩K氏からご紹介頂きましたM氏が
薩摩隼人とお聞きし、これは逃さじと袂に縋り付き、懇願致し
ました処、快諾頂き、下記の大西郷様の台詞を薩摩弁に翻訳頂
きました。西郷様のお言葉だけは、絶対正しい薩摩弁でなけれ
ばならないと常々思って居りました。M氏に心より感謝致します。)
駿府城は嵐を予期する如く、しいんと静まり返って居た。鉄舟
及び薩摩藩士、益満休之助ら二人は、並み居る官軍の要所要所
を静々と進んだ。
如何なる事態が行く手を阻もうとも、躊躇する鉄舟では無かっ
た。広い廊下は亡き大御所家康公の隠居城として、歴史ある建
物であった。
(西郷の側近)「お待ち下され。」
既に身の回りを丁寧に調べ上げられた鉄舟は、休之助を一人残
して
西郷隆盛の待つ座敷きへの入室を促された。
(鉄舟)「失礼いたしまする。」
(西郷)「……。」
(西郷の側近)「お控えなされ。」
(西郷)「……。」
小さな部屋を圧する小山の様な大丈夫が奥に座して居た。
(西郷の側近)「こちら、徳川恩顧の幕臣山岡鉄舟殿。」
(鉄舟)「山岡にござりまする。」
(西郷)「うむ…。」
大きな男が厳つい、しかし何故か優しい目で、じっと鉄舟を見
つめた。
山岡鉄舟の人物を射抜く様な澄んだ眼差しであった。
じっと平伏した鉄舟が面を上げると
(西郷)「山岡殿でごわすか。」
(鉄舟)「はい。山岡鉄舟にござります。」
(西郷)「俺どんに、何の話しでごわすか。」
鉄舟は面倒な挨拶は早々に、幕臣として。
いや其れよりも、国士として
此の喫緊の事態。
風前の灯火と化した大江戸百万が修羅の巷を思い、
勝海舟並び、君主慶喜公の命を受け、己の肚わたを全て曝す覚
悟であったに違い無かった。
身命を賭し、切々と語る鉄舟の赤誠の想いに西郷は思わず目頭
を熱くした。
しかし西郷の示したものは、
一、江戸城を明け渡す
一、城中の家臣団を向島に移動させる
一、持てる兵器を打ち捨てる
一、軍艦を官軍に引き渡す
一、君主慶喜公を備前へ預ける
の条件であった。
しかし、鉄舟は少しも怯むこと無く、全てを飲むと思うと、突
然はらはらと落涙し、東征大総督西郷南洲に熱き想いを語った。
(鉄舟)「一つ、此れだけは肚に収め兼ねまする。
鉄舟生命を賭けて、此れだけはお引き受け出来ぬ。」
(西郷)「何でごわすか。」
大きな目でじろっと睨む西郷に、
(鉄舟)「仮に大総督西郷閣下のご主君が他家にお預けとなれば、如何
なされます。」西郷はぐっと天井を睨み、
(西郷)「……。」
小半時程、低く唸って居た。
(西郷)「判り申した。」
そして
(西郷)「はっはっはっはっは。実に山岡殿は始末に困る御人じゃ。」
(西郷)「はっはっはっはっは。よう判り申した。海舟殿にお会い申そ
う。」
(西郷)「おうっ。山岡殿をお送り申せ。手厚くのう。」
(西郷の側近)「はっ。」
鉄舟は暫くの間、西郷の温かい心情に頭を上げ得無かった。
此の後天下に名高い江戸城無血開城があり、幕府方の勝海舟、と官軍の西郷南洲の巨頭会談が行われた。
その双方の掛け合いの前哨戦が、駿府城の西郷と鉄舟の会談であった。
当時無名の鉄舟に托された、将軍慶喜、勝海舟の期待。
其れは巨きかったであろう。
何しろ鉄舟の巨きさ、潔さ、至誠心そして
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ。」
の心情は西郷の心をいたく感激させたらしい。
鉄舟はその他多くの功績により、後にお上の(陛下)お側役をお勤めと成ります。
「鉄舟先生。」
屋敷の裏で畑仕事をしていた鉄舟に馴染みの巡査が声をかけた。
「良い日和ですな。」
「おおっ、巡査殿か。」
鉄舟は少々手を休め、
「何用かな。」
すると巡査は、
「この度は、宜しゅうございましたな。」
「何が。」
「…。」
「何か有ったか。」
「へい。未だご存じ無く。」
「…。」
「お噂だったんでしょうが、何でも先生にお上から、勲章をば…。」
「何、何処から其れを。」
「一寸、お待ちを。」
慌てた巡査は少々取り乱した。
鉄舟は巡査を残した侭、屋敷へと戻って行った。
「おいッ。出かけるぞ。」
「はいっ。」
いつもの静かな英子だった。
鉄舟の師山岡静山の妹は武人の妻であり、禅の道を極めた求道者の妻として、日頃の身仕舞いも華美を慎み、鉄舟の世話も万端行き届いて居た。
(お出かけですか。等の愚問はしない様だ。)
鉄舟が玄関先に出ると、既に力車が控えて居た。
「行ってらっしゃいませ。」
鉄舟は半時程、力車を走らすと或屋敷の前に車を止めた。
辺りはもう宵の口頃であった。
「御免。」
屋敷の小者が慌てて主人に取次いだ。
「おおっ。鉄舟先生。」
「先生は止して下さい。」
「ご存じですか。」
「何の事でしょう。薮から棒に。」
「此れは失礼。」
主人はにやりとして
「判りもうした。ピカピカの話しですな。」
「判っとるじゃないですか。」
「鉄舟殿のお上に対する一方ならぬご忠心」
すると鉄舟は、
「馬鹿を云え当然の事じゃ。
未だ未だ、尽くし足らん。勲章なんて。」
「其れ、皆欲しがっとるモノじゃ。」
「喰うて寝て何も致さぬご褒美に、蚊族(「華族」と同音語)となってまたも血を吸う」
「はっはっはっはっはっはっは。」
「そりゃ、出た。流石は鉄舟殿。鉄だけに固いの何の。ま、其れが貴方の美点じゃ。」
鉄舟はにこりともせずに、「貴方からも宜しく、御取り成しを…。」「判りもうした。」
◎若き日々の述懐その一 見果てぬ想い
蒼天はどこまでも澄んでいて、風は心地良く冷たかった。
白い砂埃の小路を一人の少年は駆けて居た。
走りながら何を考えて居るのだろうか。
紺の布子を身に付けて、肩に木刀を一振り担いで居た。
恐らく〝やっ、とう〟の稽古でもするのだろう。
路は軈て一本の長い石段に差し掛かった。
長い階段だが、少年は休む様子も無く、どんどんと登って行った。
百五十段程登ると流石の少年も肩で息をし始めた。
其れでも音を上げない処は、流石武士の子だった。
滔々、階段の一番上迄辿り付いた。
「烏天狗のお師匠さま。」
少年の呼び掛けた相手は思わず失笑した。
「わっはっはっはっはっは。烏天狗には参った。」
「お師匠さま。今日はどんな修行でしょう。」
「儂が烏天狗なら、お主は誰じゃ。」
「勿論…それより早く早く。」
「判った、判った。」
鬱蒼とした林の祠の前は格好の広場が有り、二人の稽古場であった。
暫く小半時程〝やっ、とう〟の稽古が続いた。
師匠と呼ばれた武士は飄々とした物腰で、少年を飽きさせない魅力があった。
「鉄も中々筋が良い。」
「本当ですか。」
「ああ。」
少年は小躍りして
「嬉しいな。」
たわい無い姿に師匠は目を細めるのだった。
「鉄。お前大きくなったら何になる。」
「勿論、世の為、人の為。立派なお侍になる。」
師匠はバツが悪そうに上目使いに少年を見つめると
「羨ましい。実に…。」
「何が…。」
「まあ、良い。夢は捨てず、しっかり仕舞っておけ。」
「はい。お師匠さま。」
◎若き日々の述懐その2二 さもあろうか…
「おいっ。聞いたか。」
一人の男が満面の笑みを浮かべて語った。
「何だよ、話せよ。なあ、おいっ。」
「そいつがよ。あの鉄が負けたとよ。」
「そんな馬鹿な話が有るかい。」
「ふんっ。其れが有ったって事よ。」
「あ~~。胸がすっとしたぜ。」
「お前も其の口かい。」
剣の上でも名の知れ渡って居た鉄舟が中西派一刀流の浅利又七郎に負けた、とあっては其れ迄鉄舟に負い目を待つ者は皆、溜飲が下がったものかも知れない。
「先生。」
「いや、云わせて於け。」
鉄舟らしき人物が居合わせて居る事を知りながら、余程に口惜しかったものか其れみよがしに語る者も居た。
鉄舟が浅利と剣を交わし敗退後、何年もその悪夢は鉄舟を消沈させて居た。
「鉄舟先生。」
「おう。貴方は確か柔術の柏木さん。」
「やあ、覚えて居てくれましたか。」
「どう為されました。時々浮かないお顔をしてなさる。」
「……。」
「あ。噂では剣禅の達人、鉄舟先生が負けを見たとか。」
「はっはっはっはっはっは。江戸中その話で持ちきりでしょう。」
「…。罪な事を申しました。」
「いや。宜しい。」
「…。」
「そう云えば、柏木先生の柔術の極意をご教授願えませんか。」
「…。お役に立つか存じませんが。」
「其れは、一口で云えば呼吸ですか。」
「…。」
「天地間、草も木も、人も動物も、皆呼吸をして居ります。人の生きるのも、柔術も呼吸が基本です。」
「ほう。」
「弟子共に柔術の乱取りの時も、決して相手の足を見ては成らんと申して居ります。」
「うむ。」
「相手の巧者が恐ろしいとて、其の足の動き等に心を惑わされて居る様では勝負に成らない。」
「…。」
「勝負の相手を前にしたら、相手の目を見よ。そして相手の呼吸を感ぜよ。」
「はっはっはっは。」
鉄舟の爽やかな笑い声であった。
「忝ない。」
柏木某の話に的を射た訳では無いが、其の武道への一途さ、善意に心が洗われたので有ろうか。