議題2.理想と現実――フィクションとリアル。その面白さの境界線はどこ?
友人の作品に、私が添削していたころの話です。
フィクションである物語を、どこまで現実的に書くべきか、という議論です。
ところどころ記憶が怪しいので、ここに書く話自体が、フィクションになっているかもしれません。
【このシーンの状況】
仲良し四人組で、四角関係の恋愛小説です。
主人公(男)→女の子→親友(男)→幼馴染(女)→主人公……という関係です。
このシーンは四人で海に遊びに来たところです。
詳しく解説すれば、『かなりいいシーン』なのですが、長くなってしまうので手短に。
主人公の彼と幼馴染の彼女のふたりだけが、「岩まで競争だ」と海に飛び込みます。
かなり沖まで来たところで、彼は彼女が足をつって溺れていることに気づき、助けます。
しかし、彼女は足が痛くて泳げません。
助けを求めたくても浜に残った二人の姿は見えず、愕然と海上に浮かぶ二人。
そこで彼女が言います――「万が一のときは、私を見捨てて泳いで帰って」
そして、子供の頃のことを語る彼女……。告白の一歩手前で思わず遮る彼……。
私
「……ちょっと待て。ここ、『海上』だよね? 大海原のど真ん中だよね? けど、会話しているよね?
って、ことは、こいつら『立泳ぎ』しながら会話しているわけ?
――というか、彼女は泳げないんだから、彼は自分と彼女のふたり分を支えながら、立泳ぎで会話?
無理だろう?
いや、シーンとしては、ドラマチックだよ?
ここで死ぬかもしれないと思いからの、彼女の告白。いいと思うよ?
でも、この状況じゃ、会話することすら不可能なんだよ!
ちょっと都合いいけど、近くに小島があって、そこに上陸して会話、じゃ駄目?」
友人
「小島でも、『陸』に上がっちゃったら、安心感が出るじゃないか!
海の中で、不安定で、もう本当に、今にも死ぬかもしれないという恐怖が差し迫っているからこそ、彼女は告白する。
普段なら決して自分を優先しない彼女が、思わず! そこに意味があるんだ」
私
「あぁ……。確かに……。
うーん……。そうだよねぇ……」
――数日後。
この間、私は、たまたま、海に行く機会があったので、人間ひとりを抱えながら立泳ぎができるか、そして深刻な会話ができるか、を実験してみた。
私
「実験した。無理だ。不可能だ。あり得ない!
彼女は「私を見捨てて」なんて、可愛らしいことを言っている。
けど、彼のほうは「見捨てるなんてできるわけないだろ! このままじゃ、ふたりとも死ぬ!」と、焦りながら必死に泳いでいるんだ。
そんな彼の本心は、「頼むから、ここでそんなデリケートで複雑な話を悠長に始めないでくれ! そんな余裕があるんなら、せめて力を抜いて自力で浮いてくれ」だと思う」
友人
「実践したのか……。 相変わらず現実主義だな。
でも、話を面白くするために効果的なら、多少、現実には不可能なことがあってもいいと思うけど」
【議題】
『海上で、深刻な話をする』というというシーンを書いていいのか。
ドラマチックな非現実と、実現不可能という現実。
より『面白く』するためには、どう書くべきか。
私
「効果的なら多少は……というのは、分かる。そこは同意。
でも、このシーンは会話も長いし、どう考えても不可能なんだ。
そこで無理を通すと、『作者のご都合主義』に感じられてしまうと思うんだ。
『感動モノ』って、状況を作り過ぎると『嘘臭い』になると思う。白けてしまう。
実際にありそうだからこそ、重みがあるんだ」
友人
「確かにね。
小説はフィクションだけど、でもリアルに感じられなかったら、読者は共感できない。
感情移入できるから、『面白い』んだと思う。
でも、このシーンはなぁ……。
流木が流れてきて、それに捕まるとかは?」
私
「ありがちすぎて、ご都合主義で、嘘っぽいと思う……」
【このシーンの目的】
極限状態で、幼馴染の彼女が告白する。
彼女は、子供のころの思い出話をして、「あのころから好きだった」と言う。
この遣り取りは重要なので、短くすることはできない。
友人
「あ……。どこかに捕まる、って――!
岩だ! もともと『岩まで競争』しているんだ。
そこに岩があるのは、必然なんだ!
これならどうだろう!」
私
「それだ!」
その後、海上のふたりは、頑張ってなんとか岩までたどり着き、そこで揺られながら会話しました。
ついでに、不意な波によって岩肌にたたきつけられ、擦過傷を負う、など、せっかく出てきた『岩』を臨場感たっぷりに活用しました。
私
「おまけの話ね。
聞いた話なんだけど、溺れている人を助けようとして正面から近づくと、「助けが来た!」と夢中になって必死にしがみついてくるんだそうだ。
その結果、助けに来た人も、溺れる羽目になることがあるそうだ。
だから、正しい助け方は、溺れている人の背後から近づいて、後ろから羽交い締めにして捕まえることなんだそうだ(真偽は知らない)。
ついでに聞いた話を加えると、助けて浜辺で人工呼吸……なんてことをした場合、ロマンチックな展開になるのはフィクションのみ。現実には、「痴漢を見る目で見られた」だそうだ。
さらに、人工呼吸の際には、嘔吐物を吸い出すはめに……(略)」
友人
「いくらリアルでも、それは小説には書けないなぁ……」
本当のところ、岩に掴まりながらだって、長くて深刻な会話ができるかどうかは分かりません。けれど、このくらいなら現実にありそうと思えるラインだと、私たちは考えました。
このシーンの目的が、「極限状態での彼女の告白」だけだったとしたら、海以外のシチュエーションも考えられたと思います。
ですが、友人の頭の中には海の楽しげなイメージや、水着姿の女の子たちの可愛らしさ、それを見た男ふたりの態度など、『海』が持つ他の要素も沢山ありました。なので、場所を『海』に限定した場合の議論です。
さて、このシーン。あなただったら、どうしますか?
手元にある議事録(?)はここまでです。
放置の状態になるのも見苦しいので、完結設定にします。
自分以外の人のことは推測でしかいえないけれど、書き手は誰しも迷いながら書いているのではないかと思います。
強く感想を求めている。けれど、できればそれは、否定的なものであってほしくない。かと言って、「面白かったです」だけでは、嬉しいけれど、物足りない。自分の作品に、深く突っ込んで欲しい――そんな我儘な存在が、物書きなのではないかと思います。
それでいいと思うし、そうでなければならないとも思います。より面白い作品を、より自分が求めている、目指すべき作品を作り上げるためには貪欲でなくてはいけない。そう思います。
――そう思っている人同士がうまく出会うことができたら、そして『批判』ではなく『ひとつの意見』を言い合うことができたら、それは物書きにとって最高に幸せなことだと思います。
ここは小説サイト。よい出会いと、上手な『意見』の言い方があれば、きっと面白い作品が生まれてくる――私の考え方が少しでも役に立てばよいなと思い、このエッセイを書かせていただきました。