絵を見に行った
くそみたいに暑い日だった。セミが鳴いていた。太陽の光線が影でない所すべてを覆っていた。俺は汗をかいていた。シャツが汗でびっしょり濡れていて、時々酸っぱいにおいがした。俺は二十時間程眠っていなかった。意識がどこかに飛んでいきそうだった。たまらん、と言った。たまらんという言葉にハマってぃた。たまらん、たまらん、何度も呟くと体に持った熱が少し口から出てマシになる気がした、俺は美術館へと向かっていた。
美術館の前には恐ろしく長い階段がある。神社みたいだと俺は思う。ヒィコラ言いながら一段一段登る、眠いし暑いしロクでもない、そう思いながら登る、階段を登りきるとすぐに美術館がある。おばさんが群がっていた。俺は、ゲッ、と思った。
ゴッホの絵が見たかった。力が欲しかった。
千五百円の券を買った。受付に券を渡し、美術館の中に入った。香水の臭いがした、こうるさい声があちこちから聞こえた。なんだこれは、と思った。おばさんとババアとジジイがたくさん居た。ゴミのような光景だった。
絵の前で皆スマートフォンを持ちひたすらに絵を撮影していた、あちこちからパシャパシャとうるさい、耳障りな音がなる、俺はスマートフォンを持ち撮影する人に阻まれ絵を見る事が出来ない。それが佃煮に出来るぐらい居る、俺ごとナパーム弾で燃やして欲しいと思った、モンキーだと思った。ゴミだと思った。たまらんと思った。美術館の中は冷房でよく冷えていたが、たまらん、だった。
何よりゾッとしたのは解説を書いている文字までを撮っている奴が居た事だった。
おばさん達はぺちゃくちゃ話している、ゴッホの絵を見ている、ほら見てこれ水面に映った船、船の色までしっかり書いてて何色かわかるのよすごいわねぇ、彼女たちはゴッホが知遅れだとでも思っているのだろうか?
ゴッホの自画像を見た。やはり、パワーがあった。初期の作品なのかもしれない、あまりパワーは感じられなかった、それでも、やっぱり、あった。ジジイの一人がこれは耳のある奴なんだねと言った。
ピカソの絵もあった、初期のキュビズム前の絵と、キュビズム初期の絵だ。ピカソも最初はまともな絵を描いてたんだねえとジジイの一人が言った。
結局あの人達は必要でないのだ。
絵を見に来たのではなく、ねぇ、なんだか近くにあのゴッホさんの絵が来てるらしいわよ見に行きましょうよと田舎の百姓みたいなマインドでとっておきのおべべを来て都会に出てきたに過ぎないのだ。
後からスマートフォンで撮った写真を田舎のクソみたいな喫茶店でこの間ゴッホさんの絵を見てきたのよおとおばさんの仲間とジジイの仲間に見せるためだけに美術館に来ているのだ。
好きな小説の一節を思い出した。彼らは公園が必要だから来ているのではない、公園でない所でも手に入る何かを求めて公園に来ているのだ。
うんざりした、俺だって絵の技法だとかそういうものはわからないし、絵が表現方法として陳腐化、というか、技術が発展した現代においては、劣ると思っているぐらいだ。
しかし、百年前にそういうすごい、パワーのある絵を、パワーのある人が、筆を右手に持ち、パレットを左手に持ち、悩み、真剣に、その筆に絵の具をつけて、その絵の具をキャンヴァスに塗りつける、その打ち込んだもの、その人が確実に前に立っていたものが俺の目の前にある、その空気を体験したく見に行った。
連中はそうでない。
美術館自体も大した絵がなかった、というと、悪い言い方なので、有名バンドのB面の曲ばかりあるような印象だった。展示点数も少なかった。
美術館の外に出た。太陽と、ほとんど雲のない青い空の方が、美術館の薄暗い中、人と閉じ込められ見た絵みたいなものよりも、よっぽど綺麗に見えた。




