8、ハプニング
『マジック・ドール』を公開してから、ぼくの公演は、毎回、超満員だった。マジックもそうだが、どちらかというと、『なぞの美少女』としてかりんに話題が集まったのだ。観に来たお客さんが、ネット上に感想を載せたり、かりんについて、いろんな説を立てたりして、それが広まっていったのだ。
今年のぼくの公演は、住んでいる東京の近辺ばかりだったけど、北海道や沖縄からも公演の依頼が来ていた。今年の夏が無理でも、お正月や、来年の夏のイベントをお願いしたいというところもあるそうだが、かりんがいられるのは今年の秋まで。その先の依頼を受けて、期待の『マジック・ドール』が出来なかったら、向こうもがっかりするだろう。
三峯さんは「そんなの、すぐに次の、もっとすごいマジックを考えればいいのよ!」と軽く言う。ぼくは、とてもそんなことができないような気がしていた。かりんがいなくなった先のことが、考えられなくなっていたからだ。
『マジック・ドール』を見てもらって、たくさんの拍手をもらうたびに、ますますその思いは強くなっていた。
こんな短い期間で、かりんが、なくてはならない人になっていたのだ。
「マーク、今日のお客さん、すごいノリ、良かったね~。ワタシ、アクトレスなったきもち、した」
「かりん、ちょっとノリすぎだったよ。自然に。ナチュラル! オーケー?」
回を重ねるごとに、かりんの『演出』が濃くなっていく。しかし、どうやらお客さんは、そんなかりんに期待しているようだ。なんだか、ぼくのマジックを見に来たのか。かりんを見に来ているのか、分からない。
せっかく、ひいばあちゃんのために作ったマジックが、かりんによって、違うものに作り替えられてしまうような気がするようになっていた。
そんなひねくれた気持ちになっていたからだろうか。
思わぬ事件が起こった。
八月も半ば、お盆休みに入って、これまででいちばん大きなホールで、いちばんたくさんのお客さんを相手に公演をする晩のことだった。
いつもと同じように、カーテンの前でぼくがひとりでマジックを行い、カーテンが開けられて、仕掛け箱が現れる。
すでにネットの書き込みや雑誌に紹介された記事などで、その後に何が起こるか分かっているお客さんもいるようだが、だからこそ、みんなが期待の視線を一点に集めているのが感じられる。
そんな緊張感がただようなか、ぼくは仕掛け箱を黒い幕でおおって、「ワン……ツー……」とカウントをしながら、足元のボタンを押した。
仕掛け箱は、びくともしない。ビスクドールの入ったケースが、黒幕のすき間からのぞくぼくの視線の先に、いつまでもある。
「スリー……フォー……」
せめて10カウントまで、なんとか箱を反転させることができればと、ゆっくり数字を唱えながら、足元のボタンを何度も押し続けた。
「ファイブ……シックス……セブン……」
ダメだ。最悪の場合、一回黒幕を落として、時間をかせぐ演出をしながら、もう一度チャレンジするしかない。
「エイト……ナイン……」
ぼくは、ボタンを思い切り踏み、思わず目を閉じて、さけんだ。
「テン!」
黒幕を落として目を開けると、正面に現れた箱には、かりんが座っていた。
ぼくが箱の横によけると、いつものように、はっと驚いたふりをして、辺りを見回す演技をするかりん。箱の横で突っ立っていたぼくに、ガラスをたたいて、早く脚立を持ってこいという合図を送ってきたので、主役であるはずのぼくが、あわててかりんの指示に従うというありさまだった。
それでも無事に、マジックは成功した。
カウントが長かった分、お客さんの緊張感も増したようで、これまでのどの公演よりも盛大な歓声と拍手が響いてきた。
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「ああ、ここの接触が悪かったんだな。これじゃあ、動かない」
仕掛けを作ってくれた舞台美術の職人さんが、公演の後に仕掛け箱の不具合を見て、そう言った。
「じゃあ、奇跡的に、最後に動いたんですね」
三峯さんが、身体をさすりながら言った。三峯さんは、ステージのすそで、心臓が止まる思いで見ていたそうで、もし箱が動かなかったときのことを想像して、ぞっとしたのだろう。
「いや、箱は反転しなかったよ。おれが作ったんだから、分かる。前を向いているのは人形の入っていたほうの箱だ。何で中身が入れ替わったかは、おれにもわからないよ」
ぼくと三峯さんは、言葉を失った。
しかしふたりとも、すでに楽屋でくつろいでいる、かりんに、その理由を確かめようとは、どうしても思えなかった。