5、なぞだらけの少女
「で、どうしましょうかね……」
ひいばあちゃんの館のリビングで、ぼくたち家族、三峯さん、お店を終えてやってきた和江おばさんの夫婦が、かりんを囲んでいた。
英語のできる三峯さんに、かりんの事情をくわしくきいてもらったのだけど、それでもよく分からないことばかりで、三峯さんが困ってつぶやいたのだ。
和江おばさんたちが帰ってきて分かったことは、和江おばさんもおじさんも、知らない子だということだ。毎日お店を終えたあとにこの家に来ていた和江おばさんさえも、会ったことがないのだという。
しかし、かりんは、ひいばあちゃんの話にくわしいどころか、娘である和江おばさんでさえ、よく知らなかった話まで知っている。かりんが嘘をついているわけではないのは明らかだ。
この家にあっさり入ってこられたのも、玄関からではなく、ほとんど使われていない台所の勝手口から入ってきたからだった。勝手口の外には草木が生い茂っていて、正面からは回れない。かりんは、勝手口から、家の裏手にある森の中へと続くけもの道のようなところを通ってやってきたらしいのだ。
和江おばさんでさえ、そこがどこに続いているのか分からないという。
「かりんさんのおじいさんは、ほとんど寝たきりなんだそうよ。お手伝いさんが身の回りのお世話をしているらしいわ。ご家族はアメリカにいらっしゃって会えないから、かりんさんが長期の休みにはおじいさんのところに来て、しばらくいてあげるんですって。
でも、かりんさんも退屈してしまうから、ハナさんのところに遊びに来てお話するようになったそうよ。この辺りは別荘地だから、あんまり同じくらいの子どももいないし、いたとしても、旅行者か、短い間だけ別荘を利用する家族連ればかりだし。
ハナさんは、むかしのことも、今のことも、何でもよく知っているから、良いお話相手だったそうよ」
三峯さんが説明する横で、かりんは何度も大きくうなずいている。自分では上手に日本語で説明ができないが、言っていることはよく分かるようだ。
「だから、ワタシ、この夏は、マークのマジックのお手伝いをしようと思うの! 迎えが来るのは、学校が始まる秋だし、たっぷり時間があるもの。
それに、ハナがいなくなっちゃって、とっても悲しいし、さびしいの。ここにいたら、ワタシ、おかしくなっちゃう!」
「それなら、今年はおうちの人に、早めに迎えに来てもらえばいいんじゃないの? まーくんのマジックの手伝いをするなら、東京に行かなくちゃいけないんだし、どちらにしても、おじいさんのそばにいてあげられないでしょ?」
和江おばさんがそう言うと、かりんは必死に頭を振った。
「ダメよ! おしらせできない。電話のかけ方分からないし、手紙だって、どこに出せばいいか分からない」
「それくらい、お手伝いさんにも教えてもらえるでしょ? 無理なら私が教えてあげるから」
「ダメよ。おしらせしても、迎えに来れる人いない。いつも、決まった日に家族が来ることになってるの」
「うーん。フクザツな家庭事情ってヤツか。それにしても、いくら身内のところとはいえ、小さな女の子を遠い外国に置き去りにして、平気な家族って……。他の国のことなので、よく分からないがな……。理解できないよ」
お父さんが、ため息をつきながら言った。
「だから、ね。オネガイシマス!」
どこで覚えたのか、かりんは祈るように手を合わせて首をかしげてみせた。
「でも、未成年を親族の許可なしに連れていって、営業させるわけにはいかないし……」
ひとり言のようにつぶやいたあと、三峯さんは英語でかりんに何かを説明した。かりんはそれに、首を横に振ったり、うんうんと真剣にうなずいたりしているが、その表情はずっと、何とかなると思っているように、にこやかだ。
やがて三峯さんは、持っていた大きな営業用バックの中から、紙を一枚、取り出した。言い含めるように何やら伝えると、それをかりんに手渡す。かりんはそれを受け取って、うれしそうに顔をほころばせ、「オーライ! アイム、オーケー!」と元気よく言った。
そして、おもむろに立ち上がり、「じゃあ、明日! 待っててね!」と、その場にいたみんなに手を振ると、再び勝手口から出て行った。
「……で、三峯さん、何て言ったんですか?」
お母さんが心配そうに聞くと、三峯さんは少し眉間を押さえて疲れたように言った。
「どうしてもと言うなら、おじいさんに会わせてくださいと言ったら、おじいさんの具合が悪くなるからお客さんは呼べないと。それならおじいさんに、保護者の承諾書にサインをしてもらってきてくださいって、言ったんですけど……。それがおじいさんの筆跡か、確かめるすべは、ありませんよ、ね……。」
明日、ぜったいに、かりんは承諾書を持って現れるはずだ。それが、かりんが書いたものであっても、今さら彼女のことを疑って、連れて行かないというわけにはいかない。
そこに集まっている大人たちは、どんよりと頭を垂れてしまったが、ぼくは逆にワクワクしていた。
ひいじいちゃんの伝説のマジックが、ぼくにも出来るかもしれないのだから。
大人たちが心配したとおり、かりんは次の日、承諾書を持って、朝早くに現れた。
それも、きちんと玄関から。大きなトランクを片手に、ビスクドールが着ていたような、フリフリの白いワンピースを着て、似たようなフリルだらけのつばの大きな帽子をかぶって……。
「なに……その格好……」
はじめに玄関で彼女を迎えたぼくは、開いた口がふさがらない。いつの時代にタイムスリップしたのだろうか。逆に現代だからこそ、こういう趣味の人たちが、東京にはいっぱい歩いているけれど。
「ビスクドールに合わせてみた。持ってる服で、いちばんイメージ、近い」
「そこまでしなくても、いいよ」
何から何までかん違いだらけのかりんに、いくらあこがれのひいじいちゃんのマジックを手伝ってくれる人だといっても、不安を覚えないわけにはいかない。かりんは、相変わらず、そんなぼくの気持ちなどまったく気づかずに、ぼくがほめてくれるのを待っているのか、ニコニコしている。
「とにかく、入って……」
かりんは、三峯さんに得意げに承諾書を渡した。なかなか達筆な文字で、サインが書かれている。それだけ見れば、大人が書いたように見えるが、子どもだって、そのくらい書ける子はいるかもしれない。
「ジョージ・ミドルトン……おじいさまも、アメリカの方なのね」
「もうアメリカに帰ることはないけどね」
かりんが付け加えた。
三峯さんを納得させたのは、そのサインの下に、ローマ字で住所が書かれていたことだった。三峯さんは、それをカタカナに直してメモすると、お店に行く前に立ち寄ってくれた和江おばさんに渡しながら言った。
「すみませんが、お時間があるときに、この住所を訪ねてみてくださいませんか。和江さんに連絡役になっていただいて、かりんさんに何かあったときはこちらから連絡させていただきたいのですが」
和江おばさんは「お安いご用よ」と言うと、三峯さんと連絡先を交換して、あわただしく出かけて行った。
ぼくたちは、その日のうちに、ひいばあちゃんの館を出なくてはならなかった。
お父さんもお母さんも、これ以上仕事を休めないし、ぼくも凛も芭瑠登も、一学期の終業式には出たかったし、ぼくは、夏休みに入ったらすぐ、続けて公演があるからだ。
かりんはしばらく、三峯さんのマンションで暮らすことに決まった。
忙しい日々が始まるというのに、またひとつ、たいへんな仕事をかかえてしまった。公演の合間に、何とかしてマジック・ドールの仕掛けを考えなくてはならない。かりんが日本にいるうちに。
でもそれは、ひいばあちゃんの遺した、いちばん大事な遺言のような気がしていた。