2、森の中の館
初夏の小淵沢は、まだ夏休みには早いというのに、観光客であふれていた。駅前から別荘地へと抜ける道は渋滞ができていて、道の左右には観光客が広がって歩いているので、なかなか先へ進まない。軽快に高速道路を飛ばしてきたお父さんが、ハンドルをにぎりながら、少しイライラとしているのが分かった。
「ここを抜けると、すぐなんだけどな……」
ひいばあちゃんの家は、別荘地の外れにあって、長野県との境に近い。
お父さんの実家、つまりぼくのおじいちゃんとおばあちゃんの家は、長野県でキャベツを作っている農家だ。親戚はほとんどその辺りで農業をしたり、店を開いたり、中にはホテルを経営している人もいる。
近所には、たくさん親戚がいるが、ひいばあちゃんは、ひいじいちゃんの建てた家で、ずっとひとり暮らしをして来たのだ。
おじいちゃんの家に遊びに行くと、必ずひいばあちゃんのところにも顔を出していたのだが、ぼくが仕事をするようになってからは、ぼくだけ、ひいばあちゃんの家どころか、おじいちゃんの家にさえも遊びにいくことができなくなってしまった。
いつも、長野のおじいちゃんの家から向かうものだから、小淵沢の繁華街を通ることはない。なので、こんな渋滞に巻き込まれるのも初めてのことだ。しかも、今日は土曜日で、先日梅雨明けしたばかり。いちばんタイミングの悪い時に当たったと、お父さんはブツブツ言っている。
そんなこと言ったって、ひいばあちゃんだって、好きでこの日を選んだわけではないよ。ぼくはお父さんの背中を苦笑いしながら眺めていた。
ほとんど高速を走っていた時間とおなじくらいの時間を掛けて、車はようやく渋滞を抜けたけど、その時にはもう、辺りは薄暗くなっていた。
駅前のにぎやかさとはうって変わって、道路の両側は背の高い木が生い茂る暗い森だ。もう少し明るければ、木々の間にコテージやら別荘やらがぽつんぽつんと見えるはずだが、それさえも分からない。
突然、車は、森の中のけもの道に入り込むようにカーブし、しばらくゴトゴトとじゃり道に揺られてから、白い軽トラックの後ろに停まった。他にも似たような軽トラックや、乗用車やワゴンが何台も停まっている。その先に、家全体にこうこうと灯りをともした洋館が建っていた。
背の高い二本の柱に支えられた正面の玄関ポーチの上にとがった三角の屋根があり、その左右に翼を広げたような形で建っている二階建ての家。昼間に見れば、白く塗られた木の壁が、後ろの森の深緑に映えるはずだ。まるでおとぎ話に出てくる家のような、魚のうろこのような模様の瓦の屋根も、面白い。
懐かしい、ひいばあちゃんの家だ。
それぞれ荷物を持って、ぼくたち家族が車を降りると、開け放してあるテラスから、おばあちゃんが慌ててサンダルを履いて出て来た。
「ああ、雅史! 大変だったでしょう。幸子さんも、おつかれさま。まーくん、りんちゃん、はるくん、遠いところ、ありがとうね」
おばあちゃんは、ぼくたちきょうだいの顔をひとなでずつして、優しく声を掛けた。
うしろから、おばあちゃんの後を追って出てきたのは、お父さんの妹の、優子おばさんだ。ぼくの顔を見るなり、「まあ!」と大声で叫んで、家の中にいる人たちを振り返って叫んだ。
「みんなー! 噂のまーくんが来たわよぉ!」
それを合図にぞろぞろと、家の中から出てくるわ出てくるわ、しばらく会わなかったので誰だか分からないような親戚たちが、何十人も出て来た。
そして、ぼくたち家族を出迎えるように両脇に並んで、ざわざわと話をしながら、ぼくらが歩く様子をながめているものだから、恥ずかしくて仕方ない。
おばあちゃんが、ぼくらの後ろに回って背中を押してくれたから良かったけど。
居間には、前に会ったときと全然変わっていない、ひいばあちゃんが寝ていた。
変わっていないどころか、きれいにお化粧をして、ひいばあちゃんじゃないくらい、きれいで若い。だから、かえって別の人がいるみたいで、ぼくは緊張してしまった。
凛は、別人のようなひいばあちゃんの姿に、怖がって近づこうとしないし、芭瑠登なんて、お母さんの後ろに隠れて姿も見せない。
ぼくは、ひいばあちゃんの姿をしばらく見つめていて、なんだか嬉しくなった。
だってひいばあちゃん、若いときの話をするときは、本当に嬉しそうだったから。
森の中の教会で、近所に住む外国人の奥さんに白いワンピースを借りて結婚式を挙げたんだよとか、ぼくがまだ小さな子どもだってことを忘れて、夢中で話してくれたことを思い出したから。
その話に出てきたような、白いワンピースを着たひいばあちゃんは、九十五才だなんて、とても思えなかった。
ひいばあちゃんにあいさつを終えたところで、優子おばさんがノートパソコンを持って来た。
「さっきね、みんなで、これを見ていたのよ。そしたら、ちょうどまーくんたちが来たから、嬉しくなっちゃって」
そう言って、優子おばさんがパソコンの電源を入れる。
インターネットを開いて、『お気に入り』のアイコンを押すと、ずらりと『魅登嘉……』という名前が出てきた。そのひとつをクリックすると、ぼくの公演の様子が映し出されたのだ。
「おばあちゃんね、まーくんの動画、いっぱい集めてたのよ」
「え? ひいばあちゃんが、これを?」
九十五才のおばあさんが、パソコンを使いこなしていたなんて、驚きだ。優子おばさんは、ぼくの驚きを察して笑いながら言った。
「設定はやってもらったようだけど、こんな風にパソコンを利用できるなんて、すごい人よね!
私たち孫世代にくれたのは平凡な名前だったのに、あなたたちひ孫世代には、凝った名前をくれたのは、こういう風に、時代の流行をいち早く取り入れるのが得意だったからじゃないかしら?」
ええ? そういうことなの? そういえば、『雅史』や『優子』と、『魅登嘉』や『芭瑠登』なんて、同じ人が考えたようにはとても思えない。でも、うちの一族の名前は、子どもも、孫も、ひ孫も、ほとんどが、ひいばあちゃんが付けたようなものだ。流行をいち早く取り入れたと言われれば、そうなのかもしれない。
「まあ、それは置いておいて、おばあちゃん、私が遊びに来ると、必ずこれを見せてくれてね、『祐五郎さんが帰って来てくれたみたいねー』ってうれしそうに言っていたのよ。まーくんは、おばあちゃんのいちばん大切な祐五郎おじいちゃんの生まれ変わりだと思ってたのよ、きっと」
ひいばあちゃんが、たくみにパソコンを操作できることにも驚いたけど、ぼくが会えなかった間も、ぼくの姿を見てくれていたなんて、すごい驚きだ。しかも、ひいばあちゃんの憧れだったひいじいちゃんの生まれ変わりだなんて。
ぼくは、優子おばさんに替わって画面の前に座ると、ほかの動画もひとつひとつ確認していった。最初の方には、ぼくが初めてテレビに出たときの動画もあった。
ぼくは再び、ひいばあちゃんの顔をのぞき込んで、言った。
「ありがとう。ひいばあちゃん。ずっと会いに来れなくてごめんね」
ひいばあちゃんの顔が「いいんだよ」と言って、笑ったように見えた。




