11、ひいばあちゃんの過去
それはまだ、明治の終わりか、大正のはじめ。
小淵沢の小さな教会に、ひとりの宣教師がアメリカからやってきた。彼はアメリカに家族を残して、ひとりで日本に来たのだけれど、すっかり日本が気に入って、ずっと住み続けることに決めた。
アメリカに残してきた家族は、ときどき彼のところに遊びに来た。中でも孫娘のキャロラインは、とくにおじいちゃん子で、大きくなると、ひとりで船に乗ってやってきて、長く日本にいることがあったという。
彼女自身も、小淵沢がお気に入りで、もうひとつのふるさとだと思っていたくらいだった。
キャロラインが十八のとき、たまたま小淵沢に仕事でやってきた男の人と出会う。彼はかけだしの『奇術師』で、山梨の温泉宿を回って『奇術』を披露したりしていた。それを聞いた宣教師が、礼拝のあとに奇術を見せてもらおうと招いたのだった。
奇術師とキャロラインは恋に落ち、キャロラインは結婚して日本に住むことに決めた。
結婚してすぐ、新婚旅行もかねてふたりで行ったフランスで、奇術師は勉強のために、しばらくそこに住むことにした。そのとき、奇術師はキャロラインに似た小ぶりのビスクドールを手に入れる。
日本に帰ってきて、奇術師は、妻と妻にそっくりなビスクドールを使って、奇術ができないかと考えた。そこで人形が本物の女性になるという『マジック・ドール』を考えついた。
ふたりの奇術は話題を呼び、全国をかけ回る忙しい日々が続いた。
そんな時、キャロラインに赤ちゃんができたことが分かる。
奇術師は、あまりにも有名になってしまった『マジック・ドール』に、観客があきてしまうことをおそれていたので、ちょうど良い機会と、『マジック・ドール』を止め、キャロラインと子どものために、小淵沢に家を建てた。
やがてふたりの間に、女の子が生まれる。
奇術師も、仕事がひといきつくと、小淵沢に帰ってきては、家族で幸せな時間を過ごしていた。
しかし、キャロラインの身内である宣教師はすでに亡くなっていて、奇術師は仕事で全国を回る日々。ひとりで、しかも慣れない日本で子育てをするキャロラインのために、奇術師は、身の回りの世話をするお手伝いさんをやとった。
ところが、娘が十才になるころ、キャロラインが難しい病気におかされていることが分かる。
ちょうど日本が、アメリカと戦争を始めた頃で、アメリカ人のキャロラインに、周囲の人は冷たく当たるようになっていた。キャロラインの体をみてくれる医者も見つからない。
奇術師はつてをたどって、キャロラインをアメリカに帰すことにした。危険な旅だが、日本にいればキャロラインは助からない。娘を残して、キャロラインは泣く泣くアメリカへと帰って行った。
娘は、お手伝いさんが育てることになった。
やがて戦争がはげしくなって、仕事がなくなり、娘といっしょにいられるようになったので、奇術師はこれまでの時間を取り戻すように、娘をかわいがった。
しかし、それも長くは続かなかった。奇術師も、戦争に行かなくてはならなくなったのだ。
お手伝いさんに娘をたくし、奇術師は戦争に行った。
そして、不幸は起きた。
奇術師が戦争に行っている間に、娘がはやり病にかかってしまったのだ。
お手伝いさんは、娘を抱えて医者をたずねて歩いたが、キャロラインに似た髪や肌や目の色を持つ娘をみてくれる医者はいなかった。
それに戦争がはげしくなって、物が不足しているなかで、娘を治せる薬は手に入らなかったのだ。
奇術師の帰りを待たずに、娘は死んでしまった。
お手伝いさんは、娘をとむらって、奇術師が帰ってくるまで家を守り続けた。
****************
森の中を歩きながら、かりんがそんな話を延々と語ってくれた。いや、実際には、かりんが英語で話すのを、ひいばあちゃんが日本語に直して教えてくれたのだ。ひいばあちゃんが英語が分かるなんて、初めて知った。
かりんは、キャロラインという宣教師の孫娘以外の人物の名前を言わなかったけど、もうぼくには、それが誰だか分かる。
つまり、宣教師は、かりんがグランパと言っていたジョージさんで、奇術師はひいじいちゃん、そして……。お手伝いさんは、ひいばあちゃんということだ。
もう、ぼくにはすべての話が理解できていると思ったひいばあちゃんは、その続きを語り出した。
「本当はね、祐五郎さんが戻ってきたら、私は西条家を出るつもりだったんだよ。けれど、祐五郎さんは、戦争で耳が聴こえなくなっていたの。耳が不自由で、奥さんもいなくて、知らない間に最愛の娘を亡くして悲しみに暮れている人を、どうして放っていけるだろうね。
私は祐五郎さんの元を離れられなかったんだよ。
そもそも、祐五郎さんの家のお手伝いさんになったのは、祐五郎さんの奇術を見て感動して、祐五郎さんにあこがれたからなの。私の方から、どうかおうちのお手伝いをさせてくださいって、申し出たんだよ。まだ、本当に世間知らずの若い娘だったから、そんなことができたんだね。
でも、お世話をするうちに、西条家の人たちを、自分の家族のように大切に思うようになった。
だから、祐五郎さんをひとり置いて、家を出ることなど、できなかった」
「ひいばあちゃんは、ひいじいちゃんにたったひとり残された、大切な家族だったんだね」
「だから私は、一生、祐五郎さんを支えようと思ったんだよ。かりんさんとの約束でもあったからね」
ひいばあちゃんがそう言って、かりんの方を見ると、かりんもそれに大きくうなずいた。
「かりんとの約束? そういえば、かりんが、ひいじいちゃんの話をくわしく知っているってことは……」
「まーくん、もう分かったでしょう? かりんさんは、祐五郎さんとキャロラインさんの娘、カロリーンさんなんだよ。私とカロリーンさんは、一番長く一緒にいたの。キャロラインさんや祐五郎さんよりも、ずっと一緒にいる時間が長かった。いちばん大切な家族だったんだよ」
「お父さんはいつもいなかったし、お母さんは英語でお話してたから、おうちでは日本語より英語で話してた。はじめは、ハナも英語を覚えて、英語でお話してくれたんだけど、戦争が起きて、英語を話すことができなくなった。
お母さんがアメリカに帰ってから、ハナはいっしょけんめいワタシに日本語、教えてくれた。カロリーンという名前も、よその人に知られると、何を言われるか分からない。だからハナが、『かりん』って日本風の名前、考えてくれた。
ハナはそうやって、ワタシを守ろうとしてくれたの。ワタシには、もうひとりの大切なお母さん。そしてたいせつな友達。
Hana, You were Wizard of Oz for me who strayed into Japan. ―― ハナ、あなたは、日本という国に迷い込んだ私の、『オズの魔法使い』だった ――」
「そうだね、かりんさん。私たち、本当の親子どころか、友達みたいに仲良しだった。めったに外へ出られなかったから、いっぱいいっぱい、お話したわね。
だからこうして、真っ先に私を迎えに来てくれたのよね」
そうだったのか。
かりんは、亡くなったひいばあちゃんを、天国へ連れていくために、迎えに来たのだ。ひいばあちゃんが、この世にお別れをするのを待つ間、ぼくと『マジック・ドール』を復活させようと考えたのだ。
やがて正面に、ひいばあちゃんの館が見えてきた。
ひいじいちゃんが、かりんのママとかりんのために建てた家。そして、ひいばあちゃんがずっと守り続けてきた、その家だ。
「マーク。ここでお別れよ。ワタシたち、もう、行かなくちゃいけない」
「ここで? もう一度、家に入らないの?」
「もう、時間いっぱい。マーク、これ、マークにあずける。これ使って、新しいマジック、作って」
かりんは、トランクから、三峯さんからもらったオルゴールを出して、ぼくに手渡した。
ぼくはどう返事をしていいのかわからず、ただ、かりんを見つめていた。
かりんに替わって、今度はひいばあちゃんがぼくの目の前に立った。そしてそっとぼくを抱きかかえて言った。
「私はね、もう自由に、まーくんのショーも見に行けるの。だから、まーくんの活躍、楽しみにしているからね」
ひいばあちゃんがぼくの体から手を離すと、ぼくの目の前でかりんとひいばあちゃんの姿は、光に包まれ薄れていった。
「ひいばあちゃん! かりん!」
ぼくが呼び止めたときにはもう、二人の姿はすっかり消えて、キラキラとこもれびが輝く森の風景があるだけだった。




