10、小淵沢にもどる日
九月に入ったばかりの小淵沢は、もうすっかり秋だ。
コスモスが咲き乱れて、ススキの穂が揺れている。赤とんぼがうるさいくらいにあちこち飛び回っている。車の窓を開けると、どことなくひんやりとした風が吹き込んできた。
夏休みの公演を終えてから、かりんは、帰る日まで少し間があったので、ぼくの家で家族と一緒に過ごしていた。かりんは、凛や芭瑠登にすっかりなつかれて、まるで西条家の長女になったみたいだった。
「マークのファミリー、とっても楽しい! うらやましい」
かりんは、そんなことを何度も言っていたので、かりんの家族はきっと、ぼくの家のように、にぎやかではないのだろうなと、想像できた。
住んでもいないおじいさんのところに来たなどとうそをついてまで、ぼくに付いてきたくらいだから、これまでも何か言えない事情をかかえて、ひいばあちゃんのことを頼ってきていたのかもしれない。
九月の最初の日曜日は、ひいばあちゃんの四十九日の法要が行われることになっていた。まだ森の中の洋館にあるひいばあちゃんのお骨を、お墓に収める納める日だそうだ。
偶然に、かりんが『帰る』と言っていた日と重なっていたため、かりんは、ぼくたち家族と一緒に小淵沢に帰ることになったのだ。
それでいま、みんなで小淵沢にやってきたというわけだ。
「しまった! また渋滞にはまった……」
ひいばあちゃんのお葬式の時と同じように、高速のインターを下りたお父さんのセレナは、別荘地前の道路で身動きが取れなくなってしまった。
「夏休みは終わったからって油断していたよ。秋の小淵沢は行楽シーズンだった……」
「お父さん、少しは学習してよ」
隣で嫌味を言ったお母さんに、お父さんがブツブツと文句を言っている時、いちばん後ろの席に座っていたかりんが、声を張り上げた。
「あのっ! ここで降ろして! グランパのおうち、ここからすぐ近い!」
「「「えっ?」」」
お父さんとお母さんと、ぼくの声が重なった。
「いくら近いといっても、女の子をひとり、ここに置き去りにするのも、なあ……」
お父さんが、かりんを振り返って、困ったように頭をかいた。
「じゃあ、マークと一緒に降ろして。マーク、ワタシを送ってよ」
「ええ? それじゃあ、ぼくが帰れなくなっちゃうじゃないか!」
「ダイジョウブ! ちゃんと帰り道、教える」
「本当かなぁ……」
「魅登嘉! 女々しいこと言ってないで、かりんちゃんを送り届けてあげなさい!」
突然、お父さんがぼくに命令した。確かに、渋滞でなければ、ひいばあちゃんの家までも歩けない距離ではないけれど。道が分からなければ、話にならない。お父さんは、これまでのかりんの適当さを知らないから、簡単に言うけれど。
結局、ぼくはその場で、かりんとともに車から降ろされてしまった。
逆に、凛と芭瑠登は、かりんと別れたくなくて、大騒ぎだった。
車を降りて、車道を外れ、かりんは林の中をずんずん進んで行った。道なんてほとんどない。木々の間をぬって、誰かが踏み固めたあとがなんとなく付いているくらいだ。そんな悪路を、トランクを持ったかりんはどんどん大またで進んでいってしまう。ぼくはぬれた土ですべりそうになりながら、必死にかりんに付いて行った。
やがて、もう一本の通りに出た。お父さんの車が渋滞にはまっている道路ではなくて、舗装されていないデコボコ道だが、その道に沿って、別荘やコテージが並んでいるので、別荘地のメインストリートなのだろう。
かりんは、ほとんど車の通っていないその道のど真ん中を歩いて行く。やがて、少し道がカーブする辺りに、木々の上に頭を出しているとんがった屋根が見えた。
屋根の上には十字架が立っている。教会だ。
かりんは道に沿って曲がらずに、その教会へと続く木々の間の道をまっすぐに進んでいった。
木立ちを抜けると、芝生におおわれた小さな庭があり、その先に木造の小さな教会があった。
教会の入り口へと続く階段の上に、人影がある。白いワンピースを着た小柄な女の人が、入口の扉の方を向いて立っていた。白髪の混じった髪を後ろにまとめ上げて、和柄のバレッタで留めている。その髪型には、見覚えがある。
かりんは階段の下まで行くと、その場にトランクを置き、女の人の背中に声を掛けた。
「おまたせ」
振り返った女の人の顔を見て、ぼくは思わず声を上げた。
「ひいばあちゃん!」
そこに立っていたのは、ぼくがよく知っている腰の曲がったひいばあちゃんが、少し若返って背筋をまっすぐにして立っている姿だった。
「……ひい…ばあちゃん……だよね?」
女の人は、しっかりとした足取りで、階段を下りて来た。曲がった腰に片手を当てて、ゆっくりと歩くひいばあちゃんとは違うけど、しわのある顔からにこにことこちらを見つめている、とろんとした優しい目は、確かにひいばあちゃんのものだ。
「そうだよ、まーくん。大きくなって」
「ひいばあちゃん!」
ぼくは、階段を下りたひいばあちゃんに飛びついた。
「うわあぁぁ」
ぼくは思わず声を上げて泣いていた。
ひいばあちゃんが亡くなったと聞いたときも、お葬式のときも、ぼくはほとんど泣かなかったけど、こうしてひいばあちゃんに会ったら、ぼくはその時我慢していた涙を一気に流さなくてはいられなくなった。本当はとても悲しかったのに、悲しくないって思おうとしていただけだったんだ。
「ごめんね、ごめんね。ずっと会いに来れなくて」
「いいんだよぉ。会えなくても、テレビに出ているまーくんを見るのが、何よりの楽しみだったんだから。ずぅっと会えなかった祐五郎さんに会えたみたいで、うれしかったよぉ。まーくんは、ひいばあちゃんの自慢だよ」
ひいばあちゃんが、ぼくの髪をなでながらそう言ってくれたので、やっとぼくの気持ちは落ち着いてきた。
「マークは、ユーゴの『マジック・ドール』やったんだよ」
かりんが横からそう教えると、ひいばあちゃんは何度もうなずきながら言った。
「知ってるよ。ちゃんと見たよ。本当に素晴らしかった」
「え? どうやって?」
ぼくは思わず、ひいばあちゃんから離れて、ひいばあちゃんとかりんの姿を交互に見つめた。
ひいばあちゃんが、どうやって『マジック・ドール』を見たのか、どころか、なぜここにひいばあちゃんがいるのか、なぜかりんがそれを知っていて、ぼくを連れてきたのか、そもそも、おかしなことばかりじゃないか。
「マーク、ちゃんと説明するよ。ハナのおうちに帰りながらね」
かりんはそう言って、トランクを持ち上げて先に立って歩き出した。ひいばあちゃんもかりんの後について歩き出し、「まーくんもおいで」と、ぼくに手招きした。
ぼくはあわてて、ひいばあちゃんのとなりに走りよった。
秋の木立ちの中を、ぼくたちはひいばあちゃんの館に向かって歩いて行った。




