私の打ち切り恋愛小説が、再連載した瞬間、最終回を迎えました
ナツ様主催の共通プロローグ企画参加作品です。
恋愛初心者が書いた恋愛物なので、苦手な方はお戻りください。
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
***
深々と雪が降り、その雪が、足音すらも消していく。
いつもは騒がしい廊下なのに、今日に限っては誰もいない。
神秘的なその雰囲気を持つ廊下に……1人の女性が、バタバタとこの場に似つかわしくない音を立てながら走っていた。
その女性は、1つの扉の前で止まり、1つ、深呼吸をした。
そうしてから、扉へと拳をあて……
コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン
……すごい勢いで、ノックし始めた。
ココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココ
さっきよりも素早く、ノックし始めた。
「王子ー!おーうーじー!!おーじさまー!!!なーに籠ってんですかー!いい加減、あの……なんでしたっけ?……そう!薄氷姫!薄氷姫探し、もうやめてくださいよー!もうすぐ王様になるんですから、これ以上続けるなら、私のノック魂が唸りますよー!!」
しかも、普通の女性ではありえないだろう大きなガラガラ声で、王子の部屋の扉と思しき場所の目の前で、叫んでいる。
ついには、聞くに堪えない歌を歌い始め、沈黙を返していた部屋の主も、とうとう観念したのか、部屋から出てきた。
……眉間にしわを寄せ、見るからに怒っていますという顔をしながら。
「お前!新入りの癖になんでそう王子の俺にあれこれ言えるんだ!忠誠を誓ってるくせに意味わからないんだが!!」
「えー、だってー、私ただの下っ端ですから、王子の傍にいる騎士さんみたいに、忠誠誓ってませんし、ご飯食べるときも、皆と同じようにこの国の王族じゃなくて、私が知る、私だけの神様に感謝してますから」
「だが、お前はこの城の下働きだろう!俺の愛しの姫への夢想時間を邪魔するなら、お前の首、速攻刎ねる事だってできるんだからな」
「おー怖い怖い。ま、妄想……おっと、夢想時間でしたね。その時間に浸り過ぎて、職務すらきちんとまっとうしなかった前科がある王子を、唯一正気に戻せる私が、そう簡単に刎ねられるわけないですよ。だって私がこの部屋に来るの、王様の命令ですもん」
「な……んだと……!?」
そういってから、怒りのオーラを全身に漂わせ、お腹から出したよく通る声で、自分の父親の名前を叫びながら、王子は廊下を走って行った。
王子が無事部屋から出たのを見届け、去っていく後ろ姿に礼をしながら、女性は、微笑みながら言った。
「いってらっしゃいませ。お早いお帰りを、お待ちしております」
***
私には、一年前の記憶がない。
最初に目覚めた時に見た景色は、窓の外側に見える、今日と同じように深々と降る、雪だった。
赤々と灯る暖炉と、暖かい毛布を被されて布団に寝ていた時は、自分はいったいどこへ来てしまったんだと思った。
それと同時に、それ以前の記憶が、名前すらも一切思い出せない事に気が付いた。
その事実にどうしようもなく怖くなって、私は、窓の外側に見える雪の世界に、入った。
今の私だったら、食費が減る!できるだけ長く居座ろう!とか考えるんだけど、昔の私は、行動力はあるのに、驚くほど繊細だったから、思わず逃げ出したのだ。
そうして、寒い中歩いていると、今の私の親友であり、命の恩人であるリアに出会ったのだ。
たぶん、ここで彼女に出会わなければ、私は死んでいたに違いない。
彼女に助けられ、彼女に今の職場……お城の雑用係という仕事を紹介してもらい、今の私がいる。
ただ、長かった黒髪も、邪魔だから切っちゃったし、綺麗だとリアに褒められた声も、ガラガラ草のココアを毎朝飲んでいるからか、声もガラガラになっちゃって、あの時の面影なんて一切ないんだけどね。
そんなある日、私にお偉いさんから声がかかった。
なんでも、次期国王となる王子様が、最近部屋から一切出てこないらしい。
艶やかな黒髪を持った姫君を保護し、一目ぼれしたものの、逃げられたらしく、ずっと、行方が分からない姫君のことを呟いているらしいのだ。
そんな物語の中でしかないような出会いをしたら、一目惚れするのも無理はないと思うけれども、さすがに部屋から出てこないのは、どうかと思う。
王子の仕事は、部屋から一歩も出ないで姫君の事を呟くせいで、机の上に積み上げられている状態。
誰が声をかけても返事をせず、いろんな人を試したがまったく反応しないらしい。
お偉いさん方は、気落ちしながら毎日を過ごしていたところ、ガラガラ草のココアを毎日飲む、世にも酷い声の下働きがいると聞き、その人物ならばと思って私の所へ来たらしい。
確かに、とっても美味しいが飲むと声がありえないくらいのガラガラ声になるガラガラ草で作ったココアを飲む私は、世界に二つとないくらいの酷い声の持ち主なのだろうけど、さすがに酷いと思う。
そんなことを考えながらも、高額な給料に釣られて、私はそれを二つ返事で答えた。
最初は、控えめな声量とノックだった。
けれど、まったく反応がなく、帰ってくる返事は、どこかの姫君への想い。
短気で粗雑だけれど、いざというときには頼りになる、優しい、姉御肌なリアと共に住み、いつの間にか似た様な性格になっていた私は、そうそうに堪忍袋の緒が切れた。
庭の方へ周り、そこから、王子の部屋に繋がる窓を、素手で叩き割った。
手に突き刺さったガラスの破片を抜き、痛いなーとか呑気に思いながら窓枠をよじ登ると、そこには驚いたように目を見開いてこちらを見る王子様。
とりあえず、なんて返したらいいのかわからないので、血まみれの手を上げて挨拶をしたら、悲鳴を上げられた。
なんでだ。
というか、王子なんだからこのぐらいの血で悲鳴あげんなよ。
……とか思ったのだけれど、この国は女子に大量の血を流させてはいけない、みたいな規約があるらしく、大量の血を手から流していた私を見て、反射的に声をあげたそうだ。
その悲鳴を聞いて駆け付けたお偉いさん方も、私の血の量に悲鳴を上げながらも、王子があのよくわからない姫君の事以外を話してくれる事に、涙していた。
その日から私は、彼のお目覚め係となった。
***
「リサ、あんた最近どう?苛められてない?きちんと休み貰ってる?」
「大丈夫だってば!リア!皆の憧れの女騎士、リア様直々に紹介されたんだから、そうそう手出ししてくる人はいないし、そもそも、そんなのやられて黙ってるほど温厚じゃないし。休みに関しては、むしろ、騎士やってるリアより貰ってるよ」
繊細で、いかにもお姫様みたいな感じだった私を知っているからか、私に対して過保護なリアをなだめながら、ガラガラ草のココアを入れる。
今日も美味しいと満足しながら飲んでいると、リアが再び声をかけてきた。
「そういや、あんた、出るの?」
「?出るって何に?」
「王子様主催の、愛しの薄氷姫探しの舞踏会よ」
「!?」
その言葉に、思わずココアの入ったカップを落としそうになる。
あの王子……そんなことをしてまで探し出したいのか!?
いや、でも、これで王子がその姫様を見つければ、とりあえずはあの妄想時間も終わるかもしれないし、でも、そうすると私のお給金……。
グルグルと頭の中で考えていると、何を勘違いしたのか、リアが嬉しそうに声をかけてきた。
「迷ってるなら、出なさいよ!有力貴族や、他国の王族なんかも来るって聞くし、条件の黒髪ってのはクリアしてるんだから、いっそこのさい、出て、良い人見つけて、玉の輿に乗っちゃいなさい!」
笑顔で私に詰め寄ってくるリア。
リアにとって私は、可愛い妹分なのだから、身を固めて欲しいって思いはあるのだろう。
けれど、リアの家に来るまでの記憶がなく、自分の名前すらも思い出せない、不審人物。
そんな人を嫁に貰ってくれるお貴族様なんて、いるわけがない。
リアは騎士だから、それを十分わかっているだろうけれど、それでも、私にチャンスを与えたいのかもしれない。
そんなリアの思いを無駄にしたくなくて、私は、ちょっとだけならと思って、頷いてしまった。
……今思えば、それがダメだったのかもしれない。
次の日からリアは、家に仕立て屋を呼んで、私が唯一もっていたドレスを舞踏会様に少し手を加えたり、マナーの講師を呼んでマナーを覚えさせたりと、私に舞踏会のための知識を習わせ始めた。
……正直言って、辛かったし大変だった。
けれど、リアの為に逃げずに頑張った……なんてことはなく、幾度となく、仕事を理由に逃げ出した。
今だって、1時間は耐えたが、それ以上は死ぬと全身が警告を出してきたため、仕事なんでと理由をつけて、全速力で逃げてきた。
…………今日、お休みだけどね。
予定にない人間が仕事場にいるのは、ただの邪魔にしかならないが、かといって帰るのも嫌なため、私は、王子の部屋の所にある庭にいた。
ここは、王子とその専属の庭師以外は人が滅多に訪れない場所なので、暇をつぶすには絶好の場所なのだ。
なんども、ここに来たことがある。
けれど、見つかったことはないし、見つかっても咎められることはないだろうから、基本、自由気ままにしている。
今日は、どうしようか。
私の好きな恋愛小説でも読もうか。
でも、ほとんど読んじゃったし……そうだ、歌でも歌おう!!
そんな風に決めたことを、なんとなくやり始める。
「炊事ー、洗濯、風呂掃除ー!皆が嫌う、この仕事ー、私はとっても大好きだー!綺麗になってく過程が好き、気持ちがいいお風呂が好き、そして何より、家族の笑顔!私がどんどん頑張ればー、皆がどんどん、笑顔になーる!それに比べてマナーは……マナー、は……」
「マナーが、どうしたんだ?」
「うひゃっ!王子!?なんでここに!!」
後ろからかかってきた声に驚きながら、振り向く。
そこには、毎朝見る、見目麗しい王子がそこにいた。
いや、性格は、恋愛対象にしたくないくらい残念な性格だと思っているけれど。
けれど、そんな残念王子でも、あんな即興で作った歌を聞かれているとは……恥ずかしすぎる!!
自分の意思とは逆に、赤く染まっていくとわかる頬にさらに恥ずかしくなりながら少し俯くと、興味深そうに王子がこちらを見ていた。
「へー……お前も、恥ずかしいなんて言う感情があるんだな」
「ありますよそれくらい!ってか、私の質問に答えてください!なんでここにいるんですか!……はっ、まさか、執務をサボって……」
「違う!違うからな!?」
この時間帯にはいない王子を、もしやサボったのではないかと睨み付けると、慌てた様に否定する王子。
それでも睨み付けていると、微妙そうな顔で王子は言った。
「……今度ある舞踏会、知ってるだろ?」
「はい。愛しの薄氷姫を探すために王子が開いた、黒髪の姫君以外参加禁止の、あの舞踏会ですよね?」
「……なんか色々語弊があるな。あれは、俺が開いたんじゃない。父上が開いたんだ」
「……王様が?見ず知らずの姫君に心を寄せるとは、何事じゃ!とか喚いていた、あの王様が?」
「わめっ……お前、一応国王だぞ?まぁ、その国王がだ。なんでも、一度だけチャンスをやるから、それで見つけられなかったら、あの姫君の事は、綺麗さっぱり忘れて、隣国の王女と結婚しろっていう事らしい」
「ふーん。そうなんですか。まぁ、いいんじゃないですか?嫌なら、何が何でも見つけ出せばいいわけですし」
「ふーんって……。興味なさそうだなお前……」
呆れた様に私を見つめる王子。
いや、だって、私に関係ないですし、王子の姫探しなんて、これっぽっちも興味ないですし。
そんなことを思いつつ、ぼそりと呟いた。
「……私も舞踏会出ますけど、一欠けらも関係ないですし」
「……はぁ!?お前、舞踏会でるのか!?」
「へぅっ!!王子!ビックリするんで大声出さないでください!!」
ビックリして王子に言い返すと、悪いと言いながらもそう思っていないような顔で謝罪を返され、何かを呟いていた。
そしてから、私の方をじろじろと不躾に見て……溜め息をついた。
「な、なんですか……勝手に人をじろじろ見た挙句、ため息って」
「いや……お前が会場にいたら、他の人々と違って作法とかしっかりしてないから、化粧で誤魔化しても、すぐにわかるなと思って」
「な、な、な、なんですとーー!!私だって、マナー位できますよ!それにお化粧が加わったら、化けますからね!変幻自在ですからね!むしろ化け物ですからね!!」
「いや、化け物はダメだと思うんだが……。だが、お前みたいな粗雑な女が、他の方々と同じようにお淑やかに、大人しくできるとは思わないが?」
「私だって、その気になれば、猫ぐらい被れますよ!王子が見破れない位、厚い猫被ってやりますよ!!」
「……その言葉、ほんとうだな?」
そういった王子は、楽しそうに口角を上げ、目を細めた。
なんか、売り言葉に買い言葉の勢いで、いらんこと言った気がするけど……けれど、売られた喧嘩は買うしかない!
そう思い、その場の勢いで、私は言った。
「もちのろんですよ!!」
「なら、楽しみにしてるぞ」
「望むところです!!……いや、でも、それは猫かぶれると思いますが、私、ダンス苦手なんですよね……。そこでバレそう……」
そんな風に、本音をポツリと漏らしたのが悪かったのか。
それを聞いた王子が、私に言った。
「なら、俺が練習相手になってやろうか?」
……この王子、何言ったんだ?
私と、ダンスの!ダンスの!ダンスの!練習しようって言った!?
一歩歩くごとに相手の足を踏み、二歩ごとにバランスを崩し、三歩ごとにリズムを狂わせ、マナーの先生もこればっかりはと匙を投げた私と、ダンスだって!?
唖然としている私にお構いなしに、王子は窓枠をヒラリと飛び越え、私の元まで来る。
やっと私が我に返った時には、王子はもう、私の腰と腕を掴んで、踊る体勢を取っていた。
「あ、え、あの、私、マナーの先生に見放されたくらい、酷いダンスしかできないんですけど……」
「王子が下の者に教えられないでどうする。それに、俺だって最初はそうだった」
そういいながら、踊り始める。
悲鳴を上げそうになった私は、想わぬ事に、悲鳴を思わず飲み込んだ。
う、うまく……踊れている……だと……!?
一歩ごとに踏みそうになる足を、王子は華麗に避け、二歩ごとにバランスを崩しそうになる体を、王子は華麗に支え、三歩ごとにリズムが狂いそうになるダンスを、王子は華麗に立て直した。
あまりのリードのうまさに、踊っている当事者でなければ、拍手喝采を浴びせたいくらいだった。
驚きながら足元を見ていると、上から笑い声が降ってきた。
「な?言った通りだろ?」
その笑い声に、初めてまともに踊れた感動と共に笑顔を返すと、ビックリしたかのように目を丸くした。
何故そんな表情を浮かべるのかわからなくて、頭上に疑問符を浮かべると、それに気が付いたのか、首を振り、何かを振り払うような仕草をした後、私に向かってニヤリと笑みを返した。
「にしても……本当に下手だな。さぁ、ここからは、地獄の特訓だぞ?」
そういって、ペースを……ペペ、ペースを……ペースを、落としてくださぁぁぁぁい!!!
そんな風にして、私の地獄の特訓が始まった。
***
もはや日課のようになってしまったダンスの特訓をしながら、私たちは話をしていた。
最初は慣れなくて、息も絶え絶えで、話す余裕なんで欠片もなかったのだけれど、慣れてしまった今となっては、おちゃのこさいさいである。
「……今夜の準備、整ってるか?」
「何言ってるんですか!あったりまえですよ!私の自慢の友人に、抜かりはありません!」
「……お前自身には抜かりがあるんだな……」
呆れた様な顔をしながら、いつもと同じステップを踏む。
こうやって王子とダンスの練習をするのも、今日で最後と思うと、なんだか日課がなくなって寂しい気持ちになる。
その気持ちを振り払うために、前々から思っていた疑問を王子に問いかけた。
「そういや、どうして王子は、私のダンスの練習に付き合ってくれるんですか?」
「……俺にもよくわからないんだ。ただ……いや、なんでもない」
「え、なんですかー!そこで切らないで下さいよー、気になるじゃないですかー!」
「そういわれても、言わないものは言わないから」
そういって教えてくれない王子に腹が立って、わざと足を踏みつける。
声を抑えながらも、痛そうに顔を歪める王子の姿に、ざまぁみろと内心笑いながら、素知らぬ顔でダンスのステップを踏み続ける。
そうしてステップを踏んでいると、ゆっくりと王子の足が止まっていき、それに合わせて、一緒に踊っていた私の足も止まった。
不審に思って王子を見上げていると、王子が真剣な顔をしながら私の顔を見ていた。
いつもは見ないその顔に、少しビックリしながらこちらも見つめ返していると、王子が閉じていた口を開いた。
「舞踏会でお前を見つけることができたら、求婚していいか?」
「……は?球根?埋めるなら1人で勝手に埋めて下さいよ」
「え、いやいや、そっちの球根じゃなくて、結婚を求めるで求婚だからな?」
「……なんですか、薄氷姫が見つからなかったときのキープですか最低ですね」
王子に軽蔑の視線を向けながら、王子に背中を向ける。
大丈夫、鐘の様に大きく鳴り響くこの不規則な音は、冬の暖炉の様に赤々としているこの火照りは、気づかれていない。
自分に言い聞かせながら、それでも背中は向けたまま、王子と言葉を交わし続ける。
「そもそも、なんでそんなこと聞くんですか」
「……この前、俺にもわからないような猫被ってやるって言ってたろ?見つけた時の褒美ぐらい、貰ってもいいんじゃないかと思ってな」
「図々しいですよ王子のくせに」
「お前、王子をなんだと思ってるんだ……?……まぁ、薄氷姫が見つからなかったら、嫌な相手と結婚させられる可能性も否めないし、それなら気心が知れてるお前ならいいかなって」
「…………そうですか」
一言私は呟いて、黙り込む。
私は、王子にとって薄氷姫の代わりでしかないし、王子にとっての2番手でしかないのだろう。
自分自身に負けるなんて、とんだ笑い種……自分自身?何を言っているんだ私は。
……いや、素知らぬふりはもうやめよう。
私が、彼の言う薄氷姫だ。
けれど、彼に言うつもりはないし、言った所で、嘘だと言われるに違いない。
私が今まで素知らぬふりをしていたのは、あの頃の、繊細な、まさしくお姫様と言える風貌の私に負けたことが悲しかったのもあるし、王子があの頃の私しか見ていないのに、気づきたくなかったから。
……こんなこと言ってると、私が彼に恋をしているみたいだ。
恋というものはよくわからないけれど、本で見た限りだと、嬉しくって、楽しくって、気分が良くなるものだったと思う。
だから私のこの苦しい気持ちは、恋ではないのだろう。
こんな苦しい気持ちばっかの恋愛小説なんて、即連載打ち切り間違いなしだろう。
……そういえば、もう一つ、彼に言うつもりがない事があったが、別に、言ってしまっても構わないだろうと思い直し、不安げにしている彼に向けて口を開く。
「急に黙って、どうしたんだ……?」
「王子、そういえば、言うつもりなかったことがあるんですけど、やっぱいいますね」
「言うつもりがなかったこと……?」
「私、今日でこの仕事辞めるんですよ」
「…………は?」
「言おっかなーと思ってたら忘れてて、このまま言わないで去るのもありかなって思ってたんですけど、なんか気分変わりまして」
「……なんで言わないで去ろうとしたんだ」
「だから、忘れてたって言ったじゃないですか。王子なら止めるだろうって思ってたのもありますけど」
「当たり前だろ!だって、1年近くも一緒に居たんだ……。それに、俺はお前が……」
「もう決めたことです。だから、会うのは今日の舞踏会が最後……。まぁ、王子が見つけられたらの話なんですけどね」
そういってから、私は彼に背中を向けたまま、小さく、彼に聞こえないぐらいの大きさで、呟いた。
「……まぁ、見つけられたら、求婚されてもいいですよ。受けるかどうかは別ですが」
私を見つけたらきっと、彼は薄氷姫だと気づいてしまうだろう。
なんせ舞踏会で私は、あの時の私と、まったく同じ姿で出るつもりなのだから。
彼が薄氷姫として私に求婚してくるなら、その時は……。
「待てっ!!!」
後ろから声が聞こえてきて、私は足を止める。
振り返る事もなく、私は彼に返事をする。
「どうしたんですか?王子」
「……お前の名前を、知らない」
「あ、そうなんですか?もう知ってるもんだと思ってました。でも、今さらですし、教えなくていいですよね?」
「名前ないと、見つけた時呼べないだろ……」
「……それは、王子命令ですか?」
王子命令というならば、私は、断るつもりだった。
私は、王様に命令されてこの仕事をやっているため、私の上司は王様、ということになる。
だから、王子の命令を受ける義務はないと、そういうつもりだった。
だけど。
「……俺の、個人的な、お願い」
……そんなこと言われたら、断れるわけが、ないじゃないですか……。
内心でそんな事を思いながら、小さく呟く。
「……リサ」
「へ?」
「リサ、です。もう一回はいいませんからね。ちゃんと覚えといてくださいよ。王子」
そういって振り向いた私は、たぶん、ちょっと笑ってたと思う。
***
あの頃と、同じくらいの長さのウィッグをつけ、同じようなドレスを着た。
体型はほとんど変わっていないが、それでも、あの時外を歩いていたことでほつれていたところを直していなかったため、急いで仕上げた。
これがドレスじゃなかったら、服装の違いで気づきにくかったかもしれないが、ここまで完璧にあの時の私を再現しているのだから、気づくはずだ。
けれど、こんな生地の良いドレスを着て、雪が降る中、1人倒れているだなんて、過去の私は、一体なんだったのだろう。
もしかしたら、亡国のお姫様とか、捕らわれていたお姫様とか、身分が高い人だったのかも……なんて、ふと思ってしまう。
……そんな人だったら、彼と……王子と、もっと別の、恋愛小説の様な、甘酸っぱい、恥ずかしくなっちゃうような出会い方をしていたかもしれない。
……そんなことを思っていると、なんだか、私がそれを望んでいるような気がしてしまう。
別に、望んでいるわけじゃない。
だって、もし私がそんな人物だったら……もし私に、過去があったら、彼とはこんな楽しい出会い方も、こんな楽しい日々も、こんな楽しい関係も、築けなかった。
だから、別に望んじゃいない。
1つ溜め息をついて、大広間の扉の前まで来る。
それを見た扉の傍で控えていた使用人が、扉を開けてくれる。
それにお礼のつもりで軽く会釈してから、すでに結構な人が集まっている大広間へと入って行った。
私が入った途端、何故か止まるざわめきを不審に思いながらも、挨拶の為、王様と王子のいる場所へと向かう。
コツコツを靴の音を響かせながら辿り着いたそこでお辞儀をすると、何故か固まっていた王様が、口を開いた。
「お、おぉ……そなたの様に可憐な姫君は、生まれてこの方、初めてだ……。もしや、そなたが王子が言っていた、薄氷姫か?」
「……雪の降る夜、助けて頂いたにも関わらず、逃げ出した、黒髪の人物が薄氷姫だというのならば、それは私にございます」
この日の為に治した、ガラガラでない声でそう一言申すと、俯いて動かない王子の肩が、ピクリと動いた。
そんな王子の様子に気が付かないまま、王様は王子に声をかける。
「そうかそうか!そなたならば、王子の嫁に相応しい容姿と気品を持っておる。まさか見つかるとは思っていなかったが……どうしたのだ?王子」
そこで、やっと王子の様子がおかしいことに気が付いたのか、王様が心配そうに王子に声をかける。
それにも気づかず、王子が俯いたままでいると、心配になったのか王様が給仕の者を呼ぼうとした。
私も気になって、少し、ほんの少しだけ、王子に近づいた。
そして、手を取られ、王子の元へ引き寄せられた。
「……ずっと待ってた。ようやく見つけた」
耳元で告げられるその言葉に、彼は、薄氷姫が私だと、気づいていないのだと思った。
だって、私に、“リサ”にはそんな甘い言葉、向けられた事がない。
苦しくて悲しくて、連載したら即打ち切りの“私”と、甘酸っぱくて胸が高鳴るような“私”
おまけに向こうの方が同じ私であるにも関わらず、自分で言うのもなんだが、声が綺麗で、艶やかな長い黒髪で、容姿、気品共に優れている。
比べたら一目瞭然に決まっている。
あの時彼が言ったのは、本当に薄氷姫が見つからなかったときの為の、保険だったんだ。
そのことに悲しくなって、なんだか視界がぼやけて、引き寄せられたままに彼の胸に顔をうずめる。
周りから見た私たちは、どこからどう見ても、お似合いのカップル、みたいな感じなのかもしれない。
私がやったところで、そんな雰囲気には微塵もなったことがないのに。
ふと、耳元で再び、声がした。
「……あの時言った言葉、忘れた、なんて言わないよな?」
あの時?
今の私が彼にあったのは、一年前で、しかもその時、私たちは話をしていない。
じゃあ、何のことなのだろうか。
私の心の中の疑問に答えるかのように、彼は言った。
「結婚してくれ。リサ」
……………………な ん で し っ て る ん で す か ?
あれ!?なんで王子しってんの!?いや、あの時教えたけども、え、何、私と薄氷姫が同じだって、気づいてなかったんじゃなかったの!?
ってか、なんで薄氷姫じゃなくて私の名前……いや、薄氷姫と私、同じだから!同一人物だから!自分で言ってて別人みたいな気がしてきた……。
というか、言葉って、あれっすか?見つけれたら球根植えようって奴でしたっけ!?違う!求婚!求婚させてくれって奴だ確か!たぶん!
で、その時はまだ薄氷姫ってたぶん知らなかったはずだから、私に言ったわけで、この求婚は、薄氷姫じゃなくて私……!いや、薄氷姫って可能性も……でも、リサって名前で呼んだし!
……というか私、なんで自分自身に嫉妬してるみたいな感じになってんだ意味わかんない。
混乱した頭で彼を見つめていると、私の顔から何かを感じ取ったのか、呆れた顔で、それでも嬉しそうに笑いながら言った。
「俺が言ったのは、昔のお前……薄氷姫じゃなくて、今のお前だよ。リサ。だから、そんな不安そうな顔するな」
不安……不安そうな顔を……していたのだろうか?
けれど、彼にそう告げてもらって、真実なのだとわかって、私の両目から、大きな水の粒が落ちてきた。
それに困ったように笑いながら、私の頬を伝った粒を、指で掬い上げる。
「リサが薄氷姫だってのは、結構前からわかってた」
「……え、じゃあ、なんで……」
「……でもさ、水仕事で手に怪我したり、埃だらけになりながら掃除して、それでも笑顔で仕事をこなすリサを見て、俺が好きになった、あのお姫様じゃ、できないなって思った。それと同じように、そんな笑顔のリサを見て、なんだか苦しくて、でも、嬉しくて、ああ、俺はあの人が好きなんだなって思った」
そういう笑顔を見せる王子に、つられて私も笑顔を見せる。
なんだか、嬉しくて、楽しくて、仕方がない。
でも、私、王子の言葉を聞いて、思ったことがあるんだ。
「……結婚、してくれるか?リサ」
苦しくて、嬉しくて、それで私が好きだと思った王子。
じゃあ、私のあの時苦しい気持ちも、恋じゃないと思っていたけれど……訂正しなきゃいけない。
今更自覚なんて、遅いけど。
笑顔で、王子に返答する。
「……はい!!」
私の打ち切り恋愛小説が、再連載した瞬間、最終回を迎えました。