夢想遊泳
懐かしい匂いがする。
誘われるように目を開くと、普段は見上げているはずの空が手が届きそうな程近くにあった。
柔らかな風が身体を包み、ゆっくりと上へ誘う。
下に視線を向けると、足下のさらに遠くに自宅の屋根が見えた。
空を、飛んでいるらしい。
驚かなかった、と言えば嘘になる。
けれど現に眠りに就く前に着ていた寝間着は風を孕んではためき、足の下に地面の感触はない。
何よりもふわふわと漂う感覚を味わってしまえば、さすがに認めないわけにはいかなかった。
夜明けを迎える前の空は、薄墨を垂らしたような色をしている。
空を飛ぶ、なんて誰もが子供の頃に夢見たことじゃないだろうか。
それを今、自分が体験しているというのは不思議な気持ちだったが、嫌ではなかった。
緩やかに身体を運んでいた風が、吹くのをやめた。
それに気づいて、うつ伏せのような格好から椅子に座るように体勢を変える。
顔を上げると、目の前の地平線から光が溢れだした。
世界の目覚め。
そんな言葉がぴったりだ、と思う。
きっとこれは、世界で最も価値のある景色なのだろう。
身体を洗い清められるような夜明けの光を浴びて、心まで清浄な空気に包まれる。
晴れやかな気持ちで朝の訪れを見つめていると、唐突に下から突風が吹いてきた。
腕で顔を庇いながら目をきつく閉じ、身体が上に巻き上げられていくのを感じる。
不意に、子供が手を離してしまった風船の末路を思い出した。
どんどん上昇していった風船は、気圧が低くなることで中の空気が膨張し、最後には割れてしまう。
もしかしたら、内臓という風船を体内にいくつも持っている人間の末路だって同じかもしれない。
背筋が凍った。
上昇は止まらない。
身体の中身がどんどん膨らむ感覚がする。
そうして膨らんだものは、やがて中からの圧迫に耐え切れずに──
目を開くと、見慣れた天井があった。
聞き慣れた目覚まし時計の音が鳴っている。
身体を起こして辺りを見回しても、眠る前と特に変化したところはないように見えた。
夢、だったのだろうか。
ほっとして、うるさいアラームを止める。
そろそろ動き出さないと危険な時間だ。
すっきりしたような疲れたような、変な気分で後にした自室で、開けたはずのない窓のカーテンが風を孕んでふわりと揺れた。
お題:ファンタジー