東の国へ
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
北の国で何人もの乙女とカエルを引きあわせててみたが、思うようにはいかず、今度は東の国へとホウキを飛ばした。
「国を変えれば人も変わるわ。次はきっといい娘が見つかるわよ」
「ええ、そうですね……はあ……」
元気づけようとするセレネーに抑揚のない返事をした後、カエルからため息がこぼれる。
(何度も期待を裏切られて、時には好意を持っていた娘から罵声も浴びせられて……そんな状況で落ち込むなって言うほうが無理な話よね)
早く呪いを解いてくれる乙女を見つけなければ、カエルが体中の水分を涙で全部出してしまい、干からびそうな気がした。
東の国にたどり着いて、即座にセレネーは水晶球を取り出した。
「クリスタルよ、この国でカエルにキスしてくれそうな、自分の家族よりも伴侶を選んでくれる、気立てのいい娘を教えておくれ」
セレネーが囁きかけると、水晶球は淡い水色に光る。
そこへ映し出されたのは、探検家のような服装で、森の中を探索しているメガネをかけた女性だった。
背丈は小さく、クセのありそうな茶い髪を三つ編みにしており、ちょこまかと動く度に揺れている。
決して美人ではなかったが、いつもニコニコ笑っており、会う人々をホッと和ませてしまうような魅力があった。
森でなにをしてるのだろうか疑問に思い、セレネーはしばらく水晶球で様子をうかがう。
女は歩いていたと思ったら、急に腰を屈めて藪に顔を突っ込んだり、ポケットから小さなノートを取り出し、一心不乱に書き込んだりしていた。
(この人、ちょっと変わってるわね。何者かしら?)
セレネーが疑問に思っていると、水晶球を見ていたカエルが「あっ」と気づきの声を上げた。
「セレネーさん、この方はきっと学者さんですよ。東の国はあらゆる物事を知りたいと、国を挙げて研究に力を入れて、男女問わずで学者が大勢いるという話を聞いた事があります」
「なるほどね、そう考えれば彼女の行動も理解できるわ。……でも、ずーっと森で探索してるみたいだから、クリスタルで見てるだけじゃあ、どんな人なのか分からないわね。ちょっと話しかけてみるわ」
言い終わらない内に、セレネーはホウキの柄を下へ向ける。
――ギュンッ、とホウキは急降下し、ノートに書きこんでいる最中の女の隣へつけた。
突然の登場に驚くと思いきや、女はノートを取ることに必死で、まったくセレネーに気付かなかった。
「こんにちは、お嬢さん」
セレネーが話しかけてようやくこちらに気づき、女は顔を上げた。
「はい、こんにちはー……わあ! そのホウキにローブ、貴女はもしかして魔女様?」
「そうよ、アタシはセレネー。よろしく」
「嬉しい! 初めて魔女様に会えたわ。あ、私はキラと言います。王立研究所の生物学専門で研究してるんです。魔女様は知の象徴ですから、私たちの国では尊敬すべき人なんですよ。ああ、本当に嬉しい」
そう言ってキラは両手を組み、赤みがかった瞳を輝かせてこちらを見る。
好意的に見てくれるのは嬉しいが、こんな眼差しを向けられるのは滅多にない。様なんて付けられると恥ずかしくなってくる。
セレネーが思わず立ち去りたい衝動に駆られていると、フードに隠れていたカエルが肩に登ってくる気配を感じた。
(相手を近くで見たいのは分かるけど、まだ早いわ!)
ただのカエルを喜んで受け入れる人間なんて、普通は考えられない。ジーナの時のように特典をつけなければ、嫌がられるのは目に見えている。
咄嗟にセレネーは肩のゴミを払うように見せかけ、カエルの頭を叩く。
するとカエルが体勢を崩してしまい、セレネーとキラの前に、ピョーンと飛び出してしまった。
(ヤバい、キラに逃げられちゃう)
どう誤魔化そうかとセレネーが考えていると、
「まあ、まあまあまあまあ!」
キラが瞳の輝きをさらに強め、自らカエルに近づき、地面へ伏せるような形で顔を近づけた。
「こんなきれいなカエル、初めて見ました。それに顔もどこか品があってカワイイ。この子、魔女様のペットですか? 羨ましいなあ」
……この娘、かなり変わってるわ。
想像を上回る反応に戸惑いつつも、セレネーの心が明るくなる。
(妙な娘だけれど、王子の呪いを解くには好都合ね)
浮かれそうになりながら、セレネーは平静を装って微笑んだ。
「実はアタシちょっと急用があって、カエルを森へ置いていこうと思ってたところなのよ。でも、カラスやヘビに食べられないか心配で……よかったら、しばらくこの子を預かっていてくれるかしら?」
こちらの提案に躊躇どころか、キラは勢いよく頭を上げ、「ぜひやらせて下さい!」と頬を紅潮させながら了解してくれた。
ホウキに乗ってカエルたちから離れると、セレネーは毎度のごとく様子を見るために宿を取り、水晶球で二人の様子をうかがう。
映し出されたのは、さっきまでいた森だ。
あのまま二人は木陰に座り、キラが次々とカエルに質問して、メモを取っていた。
(すごい興味持ってくれているわね。カエル好きの目の前に、喋るカエルがいるんだもの、当然か)
この調子なら安心して見ていられると、セレネーはのんびりくつろぎながら水晶球を眺める。
期待通り、キラは半日も経たずしてカエルと仲よくなってくれた。
大切にしてくれているようで、キラは自分の携帯食を分け与えたり、テントで一緒に寝たりと、ほとんど離れる事なく過ごしていた。
カエルも自分を気味悪がらず、心から喜んで接してくれることが嬉しいようで、キラと過ごす時間はずっと楽しそうな表情を浮かべていた。
そんな二人が心を通わせる事に、時間はかからなかった。
一週間も経たずに手応えを感じたカエルが、セレネーの指示を待たずに「実は」と真実を告げた。
そして呪いを解くための口づけを願いながらプロポーズすると、
「私で力になれるなら喜んで。あ、でも結婚した後も研究はさせて欲しいな」
あっさり了承して、キラは笑顔でカエルに口づけた。
「よし、手応えありね! しかも今までの中で一番早くキスにこぎつけられたわ。これで王子も元に戻るハズ」
思わずセレネーから喜びの鼻歌がこぼれる。
ようやく呪いが解けると、水晶球の前で解呪を待ったが――。
――またしてもカエルの呪いは解けなかった。
カエルもセレネーも、きょとんとなってその場で硬直する。
そんな二人とは裏腹に、キラの表情は明るかった。
「残念ねーカエルさん。でも、その姿のほうが好きよ。むしろ私、人よりもカエルのほうが好きだから」
この一言にセレネーの顔が引きつった。
(王子の中身じゃなくて、カエルの姿に惚れ込んだなんて……なんなのよ、その歪んだ考えは!)
おそらくカエルが人に戻れば、キラの心はあっという間に離れてしまうのだろう。
姿が変わっただけで揺らぐ愛情が、呪いに打ち勝てる訳がない。
期待が大きかった分だけ、落胆も大きかった。
宿へカエルを呼び寄せた日の夜。
延々と部屋でむせび泣くカエルの横で、セレネーは気疲れからベッドへ突っ伏して脱力していた。
いつもなら落胆しながらでもカエルをなだめられるのだが、今回ばかりはその余裕がない。むしろ自分が泣いてしまいたい。
「……こんなに王子の解呪が難しいとは思わなかったわ。ここまで期待をことごとく裏切られちゃうと、人間不信になりそう」
セレネーがぼやくと、カエルの号泣がやんだ。
「すみません……私の呪いを解くのために、セレネーさんを振り回してしまって」
「謝らないでよ、王子が悪い訳じゃないんだから」
セレネーは首の向きを変える。
泣きやんで紅玉のような目のカエルと視線が合い、小さく苦笑してみせた。
「また明日から新しい乙女を探しに行かなくちゃね。世の中にはまだまだ乙女はいっぱいいるんだから、これぐらいでめげていられないわよ」
自分へ言い聞かせるように話をしていると、カエルはセレネーに向かって頭を下げた。
「これ以上セレネーさんに迷惑はかけられません。……今までありがとうございました。自分の呪いは自分で解いてみせますから――」
咄嗟にセレネーは体を起こし、立ち去ろうとしたカエルを上から手で押さえつけた。
「カエルの足で、どこまで歩けるって言うの? 王子ひとりじゃあ、あちこちさまよって野垂れ死にするだけよ。アタシは王子の呪いが解けて喜ぶ顔を見たいんだから、死なれたら困るわ」
「でも……」
「気にしないでよ、アタシが好き勝手やってるだけだから。王子が一生カエルのままでいいって言うなら引き止めはしないけれどさ……元に戻りたいんでしょ?」
ほんの僅かにカエルがうなずく。
その動きを手で感じると、セレネーはカエルから手を離し、体を再びベッドへ横たえた。
少し間を置いてから、カエルは声を震わせながら「ありがとうございます」とつぶやいた。
「私が人間に戻ったら、今度はセレネーさんの願いを私に叶えさせて下さい。どんな願いでも必ず叶えてみせますから」
「アタシの願いはただひとつ、王子の笑顔が見たい。それだけよ。他にはなんにもいらないわ」
見返りが欲しくて助けている訳ではない。
ただ、苦しんでいる人がずっと苦しみ続けるのだと思うと、居ても立ってもいられなくなる。そういう性分なのだ。
急に眠気が訪れ、セレネーはあくびをする。もう少し話したかったが、眠くて仕方なかったので「おやすみ」と一言伝えて布団の中へと潜り込んだ。
カーテン越しに朝日の和らいだ光をまぶたに感じ、セレネーは目を覚ました。
ゆっくり起き上がって辺りを見渡し、カエルが枕元で眠っているのを確かめて安堵する。
ふと、部屋に備え付けてあった机に目をやると――。
――そこには一輪の白い花が、水を張った小さなお皿の上に活けてあった。
(アタシ、活けた覚えないわよ。ってことは、これ王子が……)
人が眠っている間に窓から外へ出て、わざわざこの花を摘んで来たのだろう。
今の自分にできる、精一杯のお礼をしようと思って。
そんな事が、当たり前のようにできる人なのだ。
セレネーは柔らかな微笑みを浮かべ、しばらく寝ているカエルを見つめていた。