年に一度
どうもすみませんお客さん、お手間をとらせるみたいで。ま、なんていうか、わけありというやつで、年に一度の恒例行事みたいなものなんですよ。あたしとしても、これだけはどうしてもはずすわけにはいかないもんで。
もちろん、それがすむまではメーター倒しゃしませんから安心しててください。それに、それさえ終わらせりゃ、すぐにお客さんの目的地まですっ飛ばしますから。いやぁ、お客さんがものわかりのいい方でよかったですよ。
なぁに、すぐすみますから、ちっとばっかしつきあってやってください。
それにしてもお客さん、あの辺じゃ、なかなかタクシー拾えなかったでしょう。人通りないし、淋しいとこですからね。ことに今夜みたいな雨降りじゃ、なおさらですよ。仲間内で噂があるんです。あの辺通ると変なもの乗っけちゃうってね。迷信深いやつが多くていやになりますよ。もちろんあたしは、これっぽっちも気にしちゃいませんけどね。
そういえばお客さん、まえに一度お乗せしたことないですか。そうですか。たぶんあたしの気のせいでしょう。
しかしよく降りますね。蒸し暑くて、かないませんや。これじゃ、少しばかり頭のイカレたやつが出ても仕方ないというもんですよ。あの夜も、ちょうどこんな雨の夜でね。あれさえなけりゃ、あたしもお客さんに、こんな迷惑かけないですんだんですがね。ま、年に一度のことですから、勘弁してやってください。
えっ、なにをするのかって。これがなんていったらいいのか、たいしたことじゃないんです、お遊びみたいなもんなんですよ。ただやっとかないと、どうしようもなくてですね。
そりゃ、お聞かせしないわけじゃありませんけど、あまり気持ちのいい話じゃないですよ。それでもよろしいんですか?
ええそうです。あたしが若いころの話です。
いまでは考えられませんが、そのころのあたしときたら若さに任せて無茶ばかりしていました。勤務が終わりしだい雀荘に行っては、そのまま一睡もせずにハンドル握るなんて毎度のことでしたね。勤務中に、ちっとばかし活気づけだといっては、アルコールを少しばかり口にすることもありましたっけ。若さっていうんですかね、それで間違いおこすことや、警察のご厄介になることは、自分にはぜったいないと信じ切っていましたから、ほんとおそれいったもんですよ。
あの夜も、そんな無茶やらかして、二晩ほどろくに寝ていなかったんです。血のめぐりをよくしようと、少しばかりアルコールも入れていたかもしれません。そこんとこは、あたしもどうもはっきりしないんですよね。ただおぼえていることといえば、遠方の客を乗せた帰り道で、ついうとうとしちっまったんです。雨で視界もわるく、じっとワイパーの動きを見ているうちに催眠術にでもかかったみたいなもんです。こっくりしちゃって、ハンドルがぶれたことには気づいたんですけど、そんときはもうあとの祭りでしたね。
ライトの先に白いもんが浮かび、慌ててハンドルきってブレーキ踏んだけど間に合やしませんでした。止まったときゃ、はねたあとでした。
一気に眠気もぶっ飛んで、急いで車からおりやしたよ。雨粒がざんざん顔に降りかかり、光る目ん玉みたいなヘッドライトだけが、真っ暗ななかで唯一の明かりでした。
その光んなかに、女がうつぶせで倒れていました。そう、はねたのは女だったんですよ。若い女で、長い髪して、青っぽい服着てました。そばによったとき、もうダメだとわかりましたね。首が変な形に捻じれているし、そのせいか身体もひん曲がってました。髪も服も雨でじっとり濡れて、雨水で流されているのか、血はほとんど出てないように見えました。少し離れたとこに、骨が折れちまって、もう使いもんになんない傘があって、その色が白でしたね。
大変なことしちまったと、あたしも最初は女を病院に運ぼうと思ったんですよ。しかし、どう見ても女は死んじまっているし、助かるはずもありませんや。それによく考えると、助けてほしいのはあたしのほうじゃないですか。さいわい淋しい道で、まわりに人家もなけりゃ、あたしと死んだ女以外誰もいない。車の傷もたいしたことなかったので、女を車のトランクに入れて、どこか遠くへ捨てることにしたんです。そうすりゃ、なんとか誤魔化せるんじゃないかと思ってですね。
うまい具合、その通りになりました。女は山ん中に捨てました。で、車戻す時に会社のブロック塀に軽くぶつけて、傷はなんとかしました。当然会社から怒られますが、それはどうでもよかったですね。あとどうなったか知りません。新聞も読んでいないなら、テレビなんかも見ませんから、ほんと知らないんですよ。もしかしたら、いまも女の死体はあのままかもしれません。とにかく、あたしんとこに、警察が来るなんてことだけは一度もなかったですね。そして、それであたしは十分だったんです。
ところが、やっぱ世の中そう甘くはないもんです。それから毎年出るようになったんですよ。一年に一度、女をはねた日の夜にね。
なにって? そりゃ、女の幽霊がですよ。あの女にしてみれば恨み骨髄でしょうから、化けて出たくなるのもわかるんですけど、あたしとしてはえらい迷惑でね。なにしろ、ぞっとしてさむけがするんですよ。やっぱ幽霊というやつは、怖ろしいもんです。歯の根っこまで震えがきますからね。ハンドルきって、道を変えても、行く先々どこまでもまとわりついてきます。その間、こちとら生きた心地もできやしません。
それで思い出したのが、幽霊船の話なんですよ。あたしのおやじは船乗りで、そのおやじから聞いたことがあるんですけど、幽霊船っていうのは、船の真ん前に現われてこちらに向かってくるらしいんです。そしてそれを避けようとして舵をきると、座礁したり、とんでもない災難や事故に合っちゃうんですね。それを防ぐには、そのまま幽霊船と正面衝突すればいいんです。そうすりゃ、幽霊船は消えちまうそうです。
その話を思い出したもんですから、あたしもそれじゃ、女の幽霊をそのままはねちゃえばいいんじゃないかと気づいたわけなんです。それで、怖ろしさを我慢して、ぐっとアクセルを踏み込んではねてやったら、思った通り、もうまとわりついてくることはありませんでした。
それでも、毎年一年に一度、判を押したように出ることは出ますけどね。
そして今夜がその日なんですよ。だから一年に一度、あたしもこうやって待ち構えているというわけなんです。時間からいって、そろそろなんですがね。とにかくそれさえすましゃ、あとは安泰というわけですから。
ねえお客さん、ほんとうに以前どこかで乗せたことありませんか。そうですか。やっぱ、あたしの気のせいというやつでしょうね。
ええっと、ここを左に曲がってと、それから右に曲がってみるか。
あっ、いやがったな。このやろう、毎年毎年こりずに出やがって。ほらほら、こうしてやる。これでどうだ。そりゃあ。逃がしてたまるか。ひっひっひっひっひっ……。
やあ、どうもすみませんでしたね、ご迷惑をおかけして。なんとかこれで、今年も無事終わりましたよ。さっ、お客さん、どちらまでお送りしましょう。
えっ、なんですって。大丈夫ですよ、たかが幽霊じゃないですか。そんなもん怖がってちゃ、やっていけませんよ。
しかしそれにしてもよくできた幽霊でしょう。はねたときの手応えといい、あの悲鳴といい――まるで、人間みたいなんですから。
吾妻栄子さんにご指摘をいただき、いくぶん訂正してみました。うまくいってればよいのですが。
吾妻さん、ありがとうございました。