ラノベは社会学です
今回はツイッターでつぶやいたことを、そのまま記事にしました。
徒然草なんで、なんでもありということで。
【創作】ファンタジー小説で、バトルが半分以上を越える作品って、少ないのかな。
【創作】卵王子カイルロッドの受難っていう作品は、一冊だけ後半全部バトルしてたけど、幻影に地形攻撃に、心理攻撃に、多彩だったもんな。単純にどんぱちしているだけじゃ、間がもたない。
【創作】アニメだったら、長い時間バトルでも退屈になりにくい。ゲームだったら、バトルを操作するから苦痛になりにくい。小説の場合は、短く切り上げるのを心がけるべきなのかな
【創作】ゲームのロボット大戦なんかは、バトルに継ぐバトルだけど、面白さが続く。ロボットファンの人にとって、感情移入ができる環境が整っているのと、間のインターバルの会話がうまくテンポを作っているのかな。
【創作】と、すると、戦っているキャラクターに如何に感情移入できるかが、バトル物の大切な部分かもしれない。西洋の騎士や王様のバトルがあんまり深く描かれなかったり、忠義と高潔さに偏るのは、日本人が西洋の騎士や王様のことを良く知らないからなんだろう。
【創作】つまり、日本人は日本が日本らしく改変したものを受け入れる傾向があるみたい。そのなかで、西洋のかなりリアルなシミュレーターとして小説を書くと、うけなかったり、危険だったりするのは良くわかる気がする。
【創作】ライトノベルで学生物が、バトルとして成立しやすいのは、感情移入が容易だからと思える。大人の事情で学校の背景はワンパターンで使い回しがきき易いのもあるんだろうけど。
【創作】80年代から90年代で、リアルなファンタジーを日本でやるのは鬼門だって話を良く聞いた。リアルに書けば書くほど、日本人の感性とはかけ離れてゆくものらしい。日本で流行っているファンタジーは西洋の哲学とか、歴史とかをすごくコンパクトにまとめたもので、世界的には異質なものらしい
【創作】そもそも、日本っていう環境が世界的に特殊らしい。行基が仏教を持ち込んだときから始まって、日本国憲法からクリスマスにいたるまで、外国から日本に文化的なものが入るとき、日本風に書き換えられる傾向が強い。
【創作】SFになると、科学的な考察が入るものは、大半が売れにくいか、中古屋で積み重なっているのが多い気がします。批判するわけじゃないけど、宇宙で恋愛したり、ロボットで戦ったり、宇宙で三国士しながら、戦艦で打ち合ったり。日本人の理解の範疇でやるのがよく売れるのかも。
【創作】そもそも、日本で世界を表現するためのシミュレーターとして、小説という媒体を選んでヒットした作品ってあるのかな。指輪物語とか、プラトンのアトランティスとか、教育書のエミールなんかは、研究目的の物語なんだけど。
【創作】「精霊の守人」っていう小説のあとがきで書いてあったけど、アジア風の世界をリアルに書くと西洋FTよりも日本人の心に響くはず、らしいのです。実際に、精霊の守人は面白かった。でも、学校の図書室と、図書館の子供室で置いているけど、ヒット作品といえるのかな?
【創作】売れるための小説を書く場合、ファンタジーというプラットホームを選ぶと、海外の知識よりも、国内の作品からテンプレートやフラグやお約束を勉強したほうが最短距離でライトノベル小説家に近づくのかもしれない。だとすると、これは創作能力以上に社会学としての研究分析能力が必要な気がするな。