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表現への配慮というもの
表現の壁っていうのはどこにでもある。PG-12とか、R指定なんてのはレーティングかされているしね。宗教や理念にも表現の壁があって、ダヴィンチコードなんかは、この壁にかなりめり込んでいたと思うな。
ダヴィンチコードの問題は、フィクションですって認めなかったこと。事実ですと書いたこと。もう一つは、キリストが結婚していた説を書いたことです。イスラム教、儒教、キリスト教他の宗教でもイデオロギーでも、完成された個性を中心にすえることがおおいのね。
信者とほぼ同じ立場で、信者と同じように修練し、その上でたたえられるようになった個性。キリスト教のイエス、儒教の孔子、イスラム教のマホメットなどがそうなんだ。だから、信者は彼らの行いをなぞることで、正しい信仰を実践していることを確認できるわけ。
もしも、イエスキリストが結婚していたら、彼に倣って未婚の立場で修行を続けてきたすべての人々の行うを否定することになるんだ。これは、問題になっても当然だよね。
マリア様に関しては、【イエスの遺伝子】で書いてます。




