理不尽にも種類がある
うまく世の中をわたっていきたいですね。
常識とは18歳までに 溜め込んだ偏見の集大成である、とアインシュタインが言ってましたぞ!
そうなら、「普通はこうである」っていうのは、偏見の塊。グローバル社会じゃ通用しないってわけだろうな。上司の言うことだから、従えって言うのも同じか。
「バカ」って言う言葉の語源は、秦の始皇帝の時代に生まれたんだ。鹿を宮殿の中に引っ張ってきて、「これは馬だ」という。「いえ鹿です」といったら、首を切られたそうな。
「秦のチョウコウ」馬鹿の語源 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E9%AB%98
20年ほど前の高校や職業訓練の場では「上司が黒といったら白でも黒と言え」という指導が全部じゃないけど、たまーーにあったらしいぞ。初任者研修ならかなーーりだけど。
これだけ言うと、単なる酷い話だけど。この時代の上司は、問題があったら上司がきっちり責任も面倒も取るのが筋って時代だったんだ。つまり、失敗がある程度容認されていた時代ね。
人に絶対の命令を出して、自分が間違っていたりしたら大変だから、命令を出すほうも大変だったに違いない。
実行者は部下だったけど、責任は上司のもの。こうなった場合、上司の考え方は残酷な半面で、安心なところもあるよね。秦の時代の馬鹿のほうは本当にバカみたいな話だけどさ。
今は、間違いを犯すと即効で首筋が寒くなる時代。上司に従うだけはいけないが、自身の判断で間違うと組織から切り捨てられる恐れがある。真に恐ろしい時代かもしれない。
過去は会社の歯車となって生きるのがつらかった時代、今は会社の歯車になりたくってもなれなくってつらい時代。どっちがマシなのか・・・比べて答えがでる性格のものでもないかな。
個人でできることは知れているし、個人で責任を取れる範囲のことしかできない、となれば選択の幅は更に狭くなるだろう。全体で考え、責任を取る思想が衰えるのは怖いよね。
10年やそこらの昔を、古きよき時代として見送らねばならない時代が今かもしれませんね。
変化の時代になりあがった人たちに、劉備とか劉邦とかいるよね。このあたりの人々が大切にしたことを、いずれまとめていきたいな。