「フィクションである」って書かなかった作品のこと
以下の文章は、断片的な情報の組み合わせで結論急いでいるから、間違いもあるかもよ。
ダヴィンチコードが、問題になったのは、「これはフィクション」っていう一文を書かず、「現実です」で書いちゃったことが問題だったわけだ。
とくに問題になったのは、キリストが結婚してたってこと。宗教やイデオロギーの基本として、偉大な人物の人生をなぞったり、真似をしたりするところになるわけ。
キリストやマリアの人生の行いをなぞることが、神に仕えるものの役目になるわけ。それなのに、キリストが結婚していたとなると、そりゃ大変
この一文はつまり、生涯結婚をしていなかった、キリスト教徒の行いを否定することになるからね。
「とある禁書」でかかれたことが、問題にならない、っていうといいすぎだけど、大きな問題になっていないのは、フィクションっていう前提を崩していないからか、だと思う。
原理主義っていうのがあるの。聖典に書かれていることがすべて正しいっていう思考を持つ人たちのこと。だから、化石が発見されたら、ノアの箱舟伝説の時代にできたものだって考えるらしい。
科学的立証が、聖書と反する場合、聖書を優先で考えてしまう。中世に比較的広がっていた考え方だよね。ガリレオさんの考えを否定したのも、この考え方に近いだろうね。
ちなみに、ダヴィンチコードの過去の話として出た「天使と悪魔」はここに直撃をかけているわけ。勇気があるというか、なんというか・・・
宗教的前提を踏まえてみると、面白いんだけど、映画を見る限りよくわからない。見る側の、知識を前提としていたのがダヴィンチコード。日本人の宗教観にはあいにくい作品だと思う。
ヨーロッパでは、ダヴィンチコードが問題になった。
だけど、キリスト教圏、イスラム教圏という広い視野で見た場合、ナルニアの方が問題が多かったらしいです。
日本じゃほとんどニュースにもならなかったけど・・・。




