画家
チャイムを押すと、ガチャリとドアが開き、若い画家が顔を覗かせる。紺のパンツに、白のカットソーの上に、ブルーのストライプのシャツを羽織っている。実物の有村劉生は、3割増しで男前だった。怒ったような顔をしているのはなぜだろう。
「お前が、咲神黒羽か」
低い響きの美しい声だった。
こんな声で耳元で囁かれたら、女性はいちころだろうなと、黒羽は思った。
有村は、無遠慮に黒羽を上から下まで眺める。彼は画家でモデルを吟味する資格があるのは分かっていたが、どうにも気まずかった。黒羽はどういった顔をしたらいいか分からず、ただ視線をさまよわす。人からじろじろ見られるのも、写真を撮られるのも昔から苦手だった。
どれくらい経っただろう。1分、それとも5分か。あるいはもっと短かったのか。
「シャンプーの匂い」
唐突な言葉に、黒羽は「えっ」と小さな声をたてた。
「いい匂いだ」
端正な顔が急に近づき、黒羽の髪にそっと口づけた。
思いがけない有村の行動に、黒羽は身をこわばらせた。顔が一気に紅潮する。有村が口づけていたのは一瞬のことだったが、黒羽には永遠にも長く感じられた。
「なっ」
なにをするんですかと言いたかったが、言葉にならなかった。混乱した黒羽はよろよろと後ろに下がる。あれ、今、僕キスされたのか?なんでだ?新手の嫌がらせ?なんで有村劉生が初対面の僕に嫌がらせなんかするんだ?錯綜した思考に、オーバーヒートしそうになる。
有村は、そんな黒羽を面白げに眺めている。
「こんなに綺麗なのに、うぶなんだな」
有村が肉食獣めいた余裕の笑みを浮かべる。こんなにも動揺している自分が情けなかった。
黒羽は、きっと有村を睨みつける。
「僕、帰ります」
いつも優柔不断で人に流されがちな黒羽としては珍しく、きっぱりと言い切った。