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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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王都裏町、剣のよろず屋 ――銅貨三枚の用心棒――

作者: Uアルジュナ
掲載日:2026/10/28


 六十八になっても、腹は減る。


 朝から何も食べていない日はなおさらで、鍋の中で煮える豆を見ていると、人間というものは情けなくなる。


「おやじさん。鍋を見たって早くは煮えないよ」


 煮売り屋の女将が、木杓子を握ったまま言った。


「見ておらん」

「さっきから豆が浮くたび、目で追ってるじゃないか」

「豆にも都合があろう。沈んだきりでは気の毒だ」


 女将のマルタは鼻で笑い、椀に豆と塩漬け肉の煮込みを盛った。割れ目の入った黒パンも添える。


 ガンツは懐から銅貨を四枚出した。


「五枚だよ」

「昨日までは四枚だった」

「今朝、肉が値上がりした」

「なら肉をひと切れ戻してくれ」


 マルタは老人を見た。


 擦り切れた灰色の上着。片方だけ紐の違う靴。腰には、場違いなほど手入れの行き届いた細身の剣。


 そしてまた、顔を見た。


「次に払っとくれ」

「そういう商売はいかん。店が潰れる」

「誰のせいだと思ってるんだい」


 椀が置かれた。


 ありがたいことに、肉は戻されていなかった。


     *


 王都では、十五になると神殿で天賦を授かる。


 火を起こす者。傷を癒やす者。遠くを見る者。


 剣にまつわる天賦が出れば、それだけで食い扶持に困らないと言われていた。


 もっとも、刃を光らせるだけでは玉葱も切れないし、よく切れる剣を持った男が、必ず戦から帰ってくるわけでもない。


 ガンツの天賦は〈灯芯〉だった。


 指先に、ごく小さな火をともす。


 若い頃はずいぶん落胆したものだが、いまでは重宝している。夜中に便所へ行くときなど、剣が光るよりよほどよい。


「おじいさん」


 豆を三口ほど食べたところで、声がした。


 店先に、薄汚れた少女が立っていた。十六、七だろう。痩せた肩に男物の外套を掛け、胸の前に細長い布包みを抱えている。


「剣を買ってくれるところを、ご存じですか」


「質屋なら橋の向こうだ」


「三軒、回りました」


「では四軒目へ」


「どこも買ってくれませんでした」


 少女が布を少し開いた。


 銀色の鍔に、片翼の鳥の紋章があった。


 ガンツは匙を止めた。


「騎士団の貸与剣か」


「父のです。戦死したので、遺品として下げ渡されました。証文もあります」


「名は」


「ニナです」


「父親の」


「エド・ヴァルト。北境守備隊の伍長でした」


 聞き覚えはなかった。


 北境では、聞き覚えのない者が大勢死んだ。


「なぜ売る」


「お金が要るので」


「それはそうだ」


 ニナは口を引き結んだ。


 マルタが、何も言わずに小さな椀をもう一つ置いた。少女はそれを見たが、手を伸ばさなかった。


「弟が、薬屋にいます。冬咳で。銀貨二枚あれば、あと五日、置いてもらえます」


「母親は」


「去年」


 ガンツは煮込みをひと匙食べた。


 肉が軟らかい。もう少し塩が薄いとよいのだが、借りのある身では言えない。


「この剣なら銀貨八枚にはなる。天賦を通す銀鉄が使われている」


「橋の手前の剣屋さんは、銅貨二十枚だと」


「ほう」


「買うんじゃなくて、処分料を払えと言われました。軍から盗んだ品を持っていると、捕まるからって」


 ガンツは椀を置いた。


「その剣屋、赤い扉だったか」


 少女がうなずいた。


 ダルグ武具店。


 表通りに二軒、裏町に一軒。近頃、ずいぶん商売を広げている店だった。


「証文を見せたか」

「見せました」

「返してもらったか」


 ニナの指が、布包みに食い込んだ。


「……調べるから、預かるって」


 ガンツは残りの豆を食べた。


 汁をパンで拭い、椀の底まできれいにしてから、ようやく立った。


「マルタ。銅貨を一枚、貸してくれ」


「いま一枚、貸したばかりだよ」


「今度のは現金で頼む」


     *


 ダルグ武具店の裏口には、剣が五振り並べられていた。


 どれも軍の紋章を削られている。


 ガンツは、それをちらりと見てから店へ入った。


 ニナは半歩後ろについてきた。


「おや」


 店主のダルグは、小さな眼鏡の奥で目を細めた。


「衛兵を連れてくるものと思っていたが、祖父さんかね」


「用心棒だ」


 ガンツが言った。


「この娘の証文を返してやってくれ」


「何のことかな」


「剣の下げ渡し証文だよ」


「預かってなどいないね」


 ダルグは卓上の帳簿を閉じた。


「それより、その剣は盗品の疑いがある。こちらには武具商組合を通じて調べる義務があってね。置いていきたまえ」


 ニナの息が浅くなった。


 老人は背中越しに、それを聞いた。


「娘さん」

「はい」

「おまえさん、いま幾ら持っとる」


「……銅貨、二枚です」


「出しなさい」


 ニナは老人を見た。


 それから剣を左腕に抱え直し、腰の小袋を探った。


 ガンツは受け取った二枚に、マルタから借りた一枚を足した。


 三枚を、掌の上に並べる。


「これで受けた」


「何をですか」


「用心棒の仕事だ。いまから片がつくまで、おまえさんと、その剣を守る」


「でも、それ、一枚……」


「細かいことを言うな。商売の縁起が悪い」


 ダルグが吹き出した。


「銅貨三枚の用心棒か」


 奥の戸が開いた。


 出てきた男は三十前後。革鎧の胸に、金糸で小さな獅子が縫われていた。


 右手には、抜き身の剣。


「爺さん。話は聞いた」


 男が剣先を床へ向けた。


「俺の天賦は〈三連閃〉だ。名前ぐらい知ってるだろう」


「知らん」


「一度振れば、三つの斬撃が飛ぶ」


「店の中ではやめておけ。棚が傷む」


 男の顔から笑みが消えた。


 ガンツは剣を見た。


 よい剣だった。重さの釣り合いも、刃の厚みもよい。柄の革だけが、まだ新しかった。


「いつから雇われとる」


「おまえに関係ねえ」


「そうか」


 老人は、腰の剣に手を掛けなかった。


 その代わり、ニナの肩を軽く押した。


「戸口まで下がっとれ」


 男の右肩が沈んだ。


 剣身に、青白い線が三本走る。


 ニナが何か叫ぼうとしたときには、ガンツはもう男のそばにいた。


 老人の左手が、剣を握る拳に添えられる。


 右の掌が、顎を押し上げた。


 それだけだった。


 男は自分から椅子に座るような格好で、後ろへ落ちた。椅子がなかったので、そのまま床へ尻を打った。


 光る剣だけが、不自然な角度で宙に残っていた。


 ガンツの左手が、その手首をつかんでいる。


「離せッ!」


「光を消せ」


 男が唸った。


 ガンツがほんの少し腰を落とすと、唸り声は悲鳴になった。


「消してからだ。危ない」


 三本の光が消えた。


 老人は剣を取り上げ、卓上に置いた。


 ニナには、何が起きたのか分からなかった。


 店主にも分からなかったらしい。半分開いた口のまま、動かなかった。


「さて」


 ガンツが言った。


「証文は、どこだ」


     *


 ダルグは賢かった。


 少なくとも、引き出しを開ける程度には賢かった。


 証文はすぐに出てきた。


 ただし、十枚ほどあった。


 遺族に下げ渡された剣の証文。古い軍刀の売買証文。それぞれに、売り手が受け取った額を記した紙が添えられている。


 ガンツは、そのうち一枚を拾った。


 銀貨十二枚。


 裏に目を落とすと、小さな字で「実渡し、銅貨十五」とあった。


「細かく記すものだな」


「帳簿には必要でね」


 ダルグのこめかみを汗が流れた。


「こちらにも、いろいろと付き合いがある。老人には分からんかもしれんが」


「分かるよ」


 ガンツは紙を戻した。


「誰に幾ら渡すか。忘れると怒られるからな」


 店の外で、靴音が止まった。


 四人の衛兵が入ってきた。先頭の男だけ、帽子に銀の縁取りがある。


「騒ぎを起こしたのは、どいつだ」


 ダルグの顔に血が戻った。


「隊長! 助かりました。この老人が押し入って、金を寄越せと」


 ガンツはニナを見た。


 娘は青くなっていた。


 次いで、戸口の向こうを見た。


 マルタがいた。前掛け姿のまま、腕を組んでいる。


「呼んでくれたのか」


「あんたの足じゃ、逃げ遅れると思ってね」


「こいつらは、あまりよくないぞ」


「分かってるよ。だから、もう一人呼んだ」


 衛兵隊長が振り返った。


 通りの向こうから、杖を突いた男が歩いてきていた。


 右脚の膝から下がない。


 代わりに、黒い鉄の義足が石畳を鳴らしている。


 胸には、王国軍の勲章が一つ。


「兵務局のハベルです」


 男は静かに名乗った。


「軍の下げ渡し証文が、こちらに何枚もあるそうですね」


 衛兵隊長の背中が伸びた。


 ガンツは、マルタに目を向けた。


「よく来てもらえたな」


「毎晩うちで煮込みを食ってるんだ。あんたと違って、ちゃんと払ってね」


 ハベルが店に入った。


 卓上の紙を一枚、二枚と確かめる。


 ある名前を見つけたところで、指が止まった。


「……この男の奥さんには、私が証文を届けた」


 誰も何も言わなかった。


「剣は手放したくないと、泣いていたよ」


 ハベルは紙を丁寧に重ねた。


「ダルグさん。詳しいお話は、局で伺います。隊長、あなたもご同行を。先月の苦情処理について、確認したいことがあります」


     *


 店を出ると、昼をずいぶん回っていた。


 ガンツは腰を伸ばした。


「立ちっぱなしは、いかんな」


「あの」


 ニナが言った。


「どうして、あの人の剣を止められたんですか」


「振る前だったからだ」


「でも、すごく速くて」


「剣は速かったな。あれが動きだしてからでは、わしなど真っ二つだ」


 少女は眉を寄せた。


 ガンツは、自分の右肩を指で叩いた。


「あの男は、斬る前にここを下げた。そちらは、ゆっくりだった」


 ニナは考え込んだ。


 ガンツは歩きだした。


 店の角を曲がったところで、背後から声がした。


「待てよ」


 革鎧の用心棒だった。


 右手首をさすりながら、路地に立っている。


 ニナが剣を抱え直した。


 ガンツは振り返った。


「まだやるか」


 男は唇を噛んだ。


 やがて、懐から革袋を出した。


「店に入る前に、娘から取り上げた」


 地面へ投げようとして、やめた。


 歩み寄り、ニナへ差し出す。


「中は、減ってねえ」


 ニナは袋を受け取った。


 ガンツは何も言わなかった。


「……あんなことをしてたとは、知らなかった」


 男が言った。


 老人は男の顔を見た。


「薄々は、知っとったろう」


 男は目を伏せた。


 路地に、鍛冶屋の槌音が響いた。


「次は知ってから雇われろ」


 ガンツはそれだけ言い、今度こそ歩きだした。


     *


 ハベルの手配で、剣は軍の買い戻し窓口へ預けられることになった。


 査定は銀貨十枚。


 ただしニナは、証書に名前を書く寸前で手を止めた。


「……やっぱり」


 震える声だった。


「戻してもらうことは、できますか。いつか、お金を貯めたら」


 担当の役人が困った顔をした。


 買い上げた剣は、補修をして兵に渡す。決まった一本を残してはおけない。


 説明を聞いて、ニナはうなずいた。


「そうですよね」


 ガンツは隣で鼻の頭を掻いた。


 しばらく掻いていた。


 それから、腰の剣を外した。


「こちらを先に見てくれ」


 役人が鞘を払い、目を丸くした。


 無銘の古剣だった。


 飾りはない。しかし刃の奥に、ごく薄い虹色の筋が通っている。


「古い竜鋼……! これほどのものなら、金貨でも――」


「売らん。質だ」


 ガンツは急いで言った。


「兵務局では、古参兵に貸し付けをしておろう。これを担保に、銀貨を三枚」


 ニナが老人を見た。


「駄目です」


「まだ何も言っとらん」


「分かります」


「分かるなら、話が早い。貸すだけだ」


「返せるか、分かりません」


「返せるようになってもらう」


 ガンツは役人から受け取った三枚を、少女の手に押しつけた。


「薬代に二枚。残りで、おまえさんも飯を食え」


「でも……」


「代わりに仕事がある」


 老人は、妙に厳しい顔をした。


「うちの屋根が漏る。洗濯物が乾かん。勘定を書くと、自分でも読めん。手伝いが要るんだ」


 ニナは、握らされた銀貨を見つめた。


「それで、銀貨三枚分に……」


「働きぶり次第だな」


 ガンツは顔を背けた。


「字は書けるか」


「書けます」


「計算は」


「できます」


「豆は煮られるか」


 少女は、初めて少し笑った。


「それは、練習します」


     *


 ガンツの家は、川沿いの古い長屋の端にあった。


 戸口には小さな板が下がっている。


 ――剣のよろず相談。


 その下に、


 ――研ぎ、稽古、用心棒。代金応談。


 文字はひどく曲がっていた。


「看板も書き直します」


 ニナが言った。


「まだ読める」


「『稽古』が『借金』に見えます」


「それはいかん」


 戸を開けると、雨漏りを受ける鍋が三つ並んでいた。


 ガンツはそれらを避け、壁際の木剣を取った。


 腰へ差そうとして、収まりが悪く、結局手に持った。


 ニナがその姿を見ていた。


「すまんな。大げさな質草になった」


「必ず、お返しします」


「急ぐな。あの剣は冬になると腰に冷える」


 少女は笑わなかった。


 ガンツも、今度は茶化さなかった。


 外で、夕餉を呼ぶ鐘が鳴った。


 ニナは戸口に父の剣を立て掛け、床の鍋を一つ持ち上げた。雨水を捨て、井戸で洗ってくると言う。


「弟のところへ行かんでよいのか」


「行きます。その前に、これだけ」


 老人はうなずいた。


 娘が出ていくと、懐から銅貨を三枚取り出した。


 本日の稼ぎである。


 マルタへの借りが二枚。


 残りは一枚。


 それを卓に並べているところへ、戸口から声がした。


「おじいさん」


 ニナが鍋を抱えて立っていた。


「私にも、剣を教えてもらえますか」


 ガンツは娘の手を見た。


 爪の間に汚れが入り、節々にあかぎれがある。父の剣を、質屋から質屋へ運んだ手だった。


「何のために」


「今日みたいなときに」


 ニナは少し考えた。


「何もできないまま、立っているのが嫌です」


「剣を覚えても、できんことは多いぞ」


「はい」


 ガンツは卓の銅貨を一枚ずつ重ねた。


「明日の朝、弟の顔を見てから来なさい」


 少女の顔が明るくなった。


「ありがとうございます。お師匠様」


「まだ早い」


 娘は頭を下げ、今度こそ井戸へ走っていった。


 ガンツは木剣を膝に置いた。


 明日は、庭の石を拾わねばならない。


 あの細い腕に合う木剣も、一本削る必要がある。


 しばらく使っていなかった鉋を探そうとして立ち上がると、膝が小さく鳴った。


「……やれやれ」


 声とは裏腹に、老人はそのまま道具箱を引き寄せた。


 川向こうから、夕餉の煙が流れてきた。

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