第71話「深度」
森の奥。
いつもの場所より、さらに深い場所。
サクヤは一人で立っていた。
目の前にあるのは――
昨日までのものとは違う歪みだった。
「……デカいな」
空間そのものが、僅かにねじれている。
揺れも強い。
近づくだけで、肌に違和感が走る。
少し離れた場所で、ガルドが腕を組んでいる。
「今日から一段上げる」
「……これを?」
「ああ」
サクヤは歪みを見る。
中心。
周囲。
空気。
地面。
すべてが昨日までとは違う。
「……」
サクヤは目を細めた。
「やる」
ゆっくり歩き出す。
一歩。
二歩。
近づくほど、歪みが大きくなる。
音までおかしい。
木々の揺れる音が、少し遅れて聞こえる。
「……っ」
サクヤは立ち止まる。
『気持ち悪ぃだろ?』
ノクスが笑う。
「……ああ」
『なら帰るか?』
「帰らねぇ」
『即答かよ』
サクヤは歪みに向き直る。
「これを壊す」
『へぇ』
サクヤが観測を始める。
歪みの中心。
右。
左。
上。
下。
空気の流れ。
地面の振動。
周囲の音。
「……」
情報が多い。
小さな歪みとは違う。
見れば見るほど、違和感が増えていく。
「……ここじゃない」
右。
「……違う」
左。
「……」
さらに奥。
歪みの中に、別の揺れがある。
「……何だ?」
サクヤが一歩近づく。
――ズン。
頭の奥に鈍い痛みが走った。
「……っ!」
思わず額を押さえる。
「サクヤ」
ガルドの声。
「大丈夫だ」
「無理をするな」
「……まだいける」
サクヤは歪みを見る。
また観測する。
だが――
今度はさらに強い痛み。
「っ……!」
視界が一瞬だけ揺れる。
『おい』
ノクスの声が低くなる。
『見すぎだ』
「……黙れ」
『全部見ようとしてんじゃねぇ』
「分かってる……!」
『分かってねぇから言ってんだ』
サクヤは歯を食いしばる。
情報を減らす。
必要なものだけ。
空気。
振動。
歪みの揺れ。
「……」
少し楽になった。
「……そうか」
サクヤは気づく。
全部を見る必要はない。
でも――
今までの小さな歪みよりも、必要な情報そのものが多い。
「……なら」
もう一段。
意識を深くする。
歪みの中心ではなく。
その奥。
さらに奥。
――見えた。
「……!」
ほんの一瞬。
歪みの中に、黒い点が見えた。
それは中心ではない。
歪みの奥で、僅かに動いている。
「……あれか」
サクヤが踏み込む。
拳を握る。
だが――
黒い点が消えた。
「……!」
サクヤの拳が空を切る。
歪みが大きく揺れた。
――ゴォンッ!
衝撃。
サクヤの身体が後ろへ飛ばされる。
「ぐっ……!」
地面を転がる。
ガルドが動こうとする。
「立てるか」
「……ああ」
サクヤはゆっくり立ち上がる。
口元を拭う。
「……逃げた」
「違う」
ガルドが言う。
「お前が見失っただけだ」
「……」
サクヤは歪みを見る。
確かに。
さっきまで見えていたものが、もう見えない。
『くくっ』
ノクスが笑う。
『深く見りゃいいってもんじゃねぇんだよ』
「……」
『見えるものが増えりゃ、その分だけ迷う』
サクヤは拳を握る。
「……分かってる」
『なら、どうする?』
「……」
サクヤは答えない。
ただ。
歪みを見つめる。
全部を見る。
それは無理だ。
必要なものだけを見る。
それでも足りない。
なら――
「……待つ」
サクヤが呟いた。
「動くまで待つ」
ガルドが僅かに目を細める。
サクヤは歪みを見続ける。
追わない。
焦らない。
ただ待つ。
数秒。
十秒。
そして――
歪みが僅かに揺れた。
「……そこ」
サクヤの身体が動く。
拳を振り抜く。
――ドンッ!
亀裂が走る。
だが――
まだ壊れない。
サクヤは拳を下ろした。
「……あと少し」
ガルドが言う。
「ああ」
サクヤは歪みを見る。
頭は痛い。
身体も重い。
それでも。
昨日より深く。
確実に。
歪みの構造へ近づいていた。




