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ビー玉と破片

作者: 三郷 柳
掲載日:2026/03/18

幸せの匂いって、形ってこういうものなんだとクラタは思った。彼女はチコと名乗った。やわらかい甘いお菓子みたいな声で。


可愛くて、良い子なんだろうと思ったし、実際そうだった。気立てはよくて賢く、それでいて完璧なバランスで抜けているところが、一層彼女の魅力を引き立てた。


クラタとチコはすぐに友達になった。チコは聴き上手で、嫌厭されがちなクラタの理屈っぽい話すらも楽しげに聞いてくれるのだ。そして失言の多いクラタのフォローも抜かりない。チコはどこまでも性格がいいのだ。チコ自身、人や出来事に不満を洩らすこともあった。しかし一瞬で自分を咎め、周囲の人間に「不快にさせて申し訳ない」と謝るのである。


クラタはいつの頃からか、チコのことを怖いと思うようになっていった。自分と目の前の事実しか見えていないクラタと違って、いつも周りが見えているチコ。優しさゆえだと思っていた行動も、クラタの失敗に目を光らせているかのごとく思えるようになった。


「優しいチコ」の隣にいるクラタという人間を、他人はどう見ているのだろうか。


気になった。


気になり始めたらチコの優しさが疎ましく思えてくる。ふわふわで甘くて、美味しそうだと思っていたチコの話のひとつひとつが癪に障る。


専業主婦の母は料理が上手いらしい。年の離れた姉とも仲が良く、一緒に買い物に行くらしい。甥っ子は最近「チコ」と言えるようになったのだとはしゃいでいた。一軒家に住んで、学費の心配はなく、バイトをしているのも社会勉強なのだと聞いた。


どうでもいいと、クラタは思いたかった。羨んで惨めな思いをするのはごめんだと。


けれど、綺麗だと思ってしまった。パズルがぴったりとはまったような人生で。チコはビー玉みたいにきらきらしていた。


クラタはどうだ。離婚寸前の両親に、狭いアパート、借金だらけで後期の学費も危うい。バイトは生活のためでしかない。クラタのパズルははまるどころか、何ピースも失くしてしまったようだ。光ったような気がしたのは硝子の破片。


チコの屈託のない笑顔を見るたびに、クラタはドロドロした感情を覚えた。


甘くてカワイイ声で話す家族の話がいちばんキライになった。クラタのことを好きだというチコのことをトモダチだと思うことで自分を保った。


ある日、チコはクラタに相談事を持ちかけた。


『両親の結婚記念日を姉妹でサプライズしたい』


どうでもいいどうでもいいどうでもいい。


クラタは心の中で盛大に舌打ちした。お前の幸せなんか見たかねぇ、と。


きっとチコは何ひとつ間違えたことなど言っていない。仲のいいクラタにアドバイスを貰いたかっただけだ。それにチコはクラタの事情など知らない。やさしいチコは汚いクラタを知るはずもないのだ。


しかしもう、クラタは自分の汚さも、チコへの憧れも、手が届かないことも、泥沼に足を取られてしまっていることにも気づいてしまった。


傷つけたくなった。


壊したくなった。


あのカワイイ、チコの笑顔を歪めたくなった。


幸せというものをクラタが望んでしまわないように、砕いてしまおう。


やさしいチコに、痛みを与えてやろうか


「ねぇ、チコちゃん。ごめんね。私、もうすぐ家族がなくなるの」


幸せしか知らないチコは、クラタの顔を見つめ続けた。

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