ユッカとロゼ
自分自身の事がある程度落ち着いた――とは完全には言えないものの、それでもローザによって大抵の事はなんとかなりそうだぞ……? と思えるようになったユッカは、ふと浮かんだ疑問を口に出した。
「そういえばローザは今猫の姿になっちゃったけど……そのままローザの事をローザって人前で呼んでも大丈夫な感じ?」
深く考えたわけではない。他意があったか、と言われるとそれもない。
ただなんとなく、うっかりで猫の姿になった、というのをユッカは知っているので、そんな状況になった事をもしローザの知り合いが知るような事になったら、思いっきり笑われたりしないのか、という純粋な疑問からだ。
声はローザそのものなので喋れば知り合いにはバレるだろうけれど、猫の振りをして鳴いてる時ならローザがローザとそう簡単に気付かれないのではないか、とも思うわけで。
魔法がある世界なのでもしかしたら、簡単に猫の姿であってもローザをローザと認識できる何かがある可能性もあるけれど。
ローザの知名度がどれくらいかにもよるので何とも言えないが、そこら辺を気にしないまま人前でやらかすよりは事前に確認の一つくらいはしておいた方がいいのかなぁ……? とユッカは思い至ったのだ。
「あ、言われてみれば」
そしてローザも言われて気付いたらしい。
今の今までユッカの事に意識が向いていて、自分の事は後回しだったのだろう。
「うーん、別に問題ないとは思いたいけどでもなぁ……もしかしたら問題あるかも……?」
ハッキリと言い切らないのは、ローザ自身具体的な悪い例が浮かばないからなのだろうか。
「たとえばローザに魔女として他にライバルみたいなのがいたとして、猫の姿の今のうちに! みたいな考えになったりしそうな相手とか」
「いないとは言えないかにゃあ……」
「じゃあダメ元で他の名前で呼んだ方がいい?」
「うーん、まぁ、悪足搔きにしかならないだろうけど……念のため?」
「普段はローザって呼ばれてたんだよね? ローザローゼシカ……ゼシカもなんかすぐ浮かびそうだし……間とってロゼにする?」
「うん。いい感じじゃない」
「じゃあこれからはロゼって呼ぶね」
「あ、そうだ」
これで後はもう完全に安全な場所についてから今後の話し合いをするだけかな、と思っていたら、ローザ――ではなくロゼが思い出したような声を上げた。
「ちょっと簡易テント出すから、その中で着替えておいた方がいいかも」
「着替え?」
「うん。その服のままであちこち移動するにはちょっと……こう、防御力的なものが足りてないかなって。素材は悪くないけど、何の加護もついてないっぽいし」
「そりゃ魔法のない世界の既製品の服だからね」
言われてユッカは自分の服を見下ろした。
季節が夏というのもあって、腕も足も露出しているし薄着であるのは自覚している。薄着といっても下着同然とかではないのでこれで外を歩くのが恥ずかしいとかではないが、それはあちらの世界での事であってもしかしたらこっちの世界ではこの服装は痴女扱いになるのかもしれない。
……いや、流石にそれはないと思いたいけれど。アウトドアに向いているかと言われれば若干不向きかもしれないが、虫刺され対策さえすればまぁ問題の無い範囲の服装で痴女扱いされたら流石に困る。
「破れたりしても魔法で治せなくはないけれど、そうなるとその服に魔力が染みついて向こうに戻った時に何らかの異変が生じるかもしれないからね」
「魔法のない世界で魔法が使われた服がある、って事でどんな事象が起きるかわからないって事ね、オッケー」
とはいっても。
「でもロゼ、私着替えも何も持ってないんだけど。フラワリー地区に戻って、そこで服買うとかじゃないの?」
「家を出る時にある程度の持ち物はその鞄の中に収納する魔法をかけてあるから、着替えは入ってると思う。
家具とかは流石に全部回収できなかったと思うけどね。さっき魔法で見た限り、もうほぼ崩壊しちゃったみたいだから」
どういう仕組みなんだとは思いつつも、ユッカはロゼに言われるままにリュックの中に手を突っ込んだ。
するとまず出てきたのは、簡易テントである。既に組み立てられた状態で出てきたそれに、
「いや魔法ってすっごい」
としか言えなかった。既に一度見ているにもかかわらずだ。
どう考えてもリュックより大きいテントが当たり前のように飛び出てくるのだから、そういう反応になるのも無理はないだろう。
「ロゼの服借りるって事? サイズ合うかな」
「ある程度魔法でサイズ変更可能だからそこは問題ないよ」
「魔法ってスゲー。動きやすそうな服とかあるかな……?」
流石に最初ユッカがローザと出会った時、彼女が着ていたイブニングドレスのようなものしかない、と言われたら困る。なんていうか動くだけなら問題はないかもしれないが、服を傷めそうで怖い。
「それは大丈夫だと思うよ」
テントの中に入って着替えるための服を取り出せば、ロゼの言葉の通り、中々にスポーティーなデザインの服が出てきた。リュックとも合うデザインなので、ドレスにリュックなんてコーデにならなくて一安心である。
ついでに靴も軽くて頑丈なのを出してもらったので、ユッカは下着から何から何までロゼに新しいのを用意してもらって着替える事となったのである。
脱いだ服は魔法で綺麗にしてもらって、厳重かつ丁重にリュックの中にしまわれた。綺麗にするときに魔法をかけたけど大丈夫か聞けば、これくらいなら戻る事には魔力も抜け落ちてるから問題ないとの事。破損した場合などは魔力で修復するので痕跡が長く残り続けるが、あくまでも洗浄程度なら数日あれば魔力も抜けると言われて、ま、そういうものかと納得する。
鏡がないのでなんともいえないが、それでも着替えてみた感想は、旅に憧れて外の世界に飛び出した冒険ものの主人公の初期装備みたいだな……である。
こちらの世界の物なので、激しく浮く事はないとは思うがユッカの中で若干のコスプレみを感じていたとしても、それはあくまでもユッカの気持ちの問題でしかない。
少しばかりの躊躇いはあったけれど、それも数秒の間だけですぐさま「まぁ着てて楽だし動きやすい分には全然いっかー」で納得した。
サイズがきついとか、歩くたびに靴が合わずに痛いだとかでない限りは用立ててもらった身だ。文句を言える立場でもない。
そうして着替えた後は、テントを再びしまい込み、落ちていない方のフラワリー地区を目指す事となったのである。
道中、ロゼがある程度この世界の常識などを教えてくれた。色々な違いはあれど、多分日本より海外の方に近い感じかなぁ……と思う程度でユッカにとっても常識からかけ離れているような事はなさそうだったのが救いだ。
そうして進むことしばらくして。
気付けば日が沈みかけて、いくらなんでも夜に歩くのは危険だからと言われ、またもやテントを引っ張り出して夜を明かす事となった。
リュックの中にはいくつかの食料も入っていたのでお腹が空いたとか、そういう心配はない。
火を熾すのもロゼの魔法でやってくれたし、灯りも魔法。夜であっても周囲が明るく照らされた状態で、視界が限られるような事もない。
祖父母の家の夜はすっかり暗くなってしまうのだけれど、そこと比べると今は室内にいると言われても納得できてしまいそうなくらい明るかった。不安に思う要素がまるでない。
「ここで一晩明かして大丈夫? 寝てる間に崩壊しない?」
それでも完全に不安がなくなったわけではない。
ロゼの魔法で見せてもらったロゼの家付近が崩壊する様は、勢いこそなかったがじわじわと消滅していく様子が映っていた。寝ている間にもし自分たちがいるところもそうなってしまったら。そんな不安がどうしたってよぎる。
「大丈夫。来た道見る限りはこのあたりはまだ安全だから。明日の朝起きて、周囲にそれらしき痕跡があるようなら急ぐ必要もあるけれど……このあたりが崩壊するまであと二、三日の猶予はあるはず」
寝ている間にもしも……という不安はあるけれど、寝ないで夜道の移動はユッカとしても不安だし、ましてや睡眠不足のまま移動するのも色々と危ない。
いくら簡単に怪我をしないようにロゼが魔法でユッカを守ってくれているとはいえ、だから無茶をしていいという理由にはならなかった。
不安はある。
あるけれど、それでも人間案外どうとでもなるもので。
気付けばユッカはテントの中で、ぐっすりと眠りに落ちていたのである。




