名乗る時は堂々と。それが偽名であったとしても
今更ではあるが雪花はどこにでもいるような日本人的な外見の女子高生である。
ギャルのようなお洒落はしていないが、それでも多少身だしなみに気をつかうスクールカーストも大体真ん中くらいの可もなく不可もないような立ち位置にいる、平凡な人間だ。
黒い髪に黒い目。
髪は染めてみたい気持ちはあったけれど、しかし校則があるのであれこれ言われるのが面倒で、なおかつゲームに課金したいとなるとあまり懐に余裕がなかったのである。
バイトをするのも考えたけど、あまりいい条件のがなかったので保留中。
そんな程々に真面目で不真面目な人間。
夏休みだったのもあって今は制服なんて着ていないけれど、彼女は確かに女子高生だ。
たとえ今着ている服がオシャレさの欠片もない着ていて楽なやつ、というのが優先されていたとしても。
対する女はこてんと首を傾げたまま雪花を見ていた。
こちらも艶やかで真っ黒な髪をしているけれど、瞳はルビーのような鮮やかな真紅だ。
カラコンかな? なんて雪花はぼんやりと思ったけれど、恐らくそれは違うのだろうともどこかで理解していた。
現実逃避をするように視線を女の顔から下の方へと移動させてみれば、雪花の日常では絶対着ないであろう服。いや、いっそ衣装と言ってもいい。
ドレスである。
フリルにレースがごってごて、みたいなくどいものではないけれど、夜会とかならそのまま参加できそうな印象が強めなドレスである。それなりにシンプルではあるけれど、それでも雪花の日常では着る事のないような――着るとするなら誰かの結婚式に招待でもされなければまず無理そうな、下世話な話だが一体いくらくらいするのかすら雪花にはわからないような、いかにも高級そうな気配が漂っている。
恐る恐る女から視線を外して周囲を見るが、見覚えなどあるはずがない。
大体自分は祖父母の家にいたはずだ。
居間で扇風機の風を浴びて冷たい麦茶をかっ込んで。
それでもまだ暑いなぁとじわりと滲んだ汗が引くのを待っていたはずなのに。
あの暑さが嘘のようにここは涼しい。
「イシェル……では、ないわよね?」
「違いますね」
「でも、貴方が呼ばれた……?」
「呼んだんですか……?」
「そう、ね……?」
お互いがお互い頭の上に「?」というマークを思い切り浮かべていそうな会話だった。
女にとって雪花は不法侵入者として扱われてもおかしくはなさそうだが、しかしその気配はない。
いや、こちらはこちらで相手を誘拐犯扱いしてもおかしくはない、というのがあったからなのかもしれないけれども。
何がなんだかわからなかったが、それでも最初に気を取り直したのは女の方が先だった。
「つまり不幸な事故ねこれは!」
ババーン、と効果音でもつきそうな勢いで宣言される。
雪花の脳裏にはいくつか読んだ事がある異世界召喚系ラノベが浮かんだけれど、ああいうのは大体世界の危機を救って下さい勇者様ー! だとか、聖女様ー! だとか、そういう展開になる。まぁその勇者や聖女に奴隷っていうルビがつくかどうかは別としても。
けれども女の反応はそれとは違った。
イシェル、と雪花には全く聞き馴染みのないそれこそが、恐らく彼女が呼びたかった相手なのだろうな、とは理解できたけれど。
(これ、一体どこまで聞いて大丈夫なやつ?)
秘密を必要以上に知ったら死ねとかそういう展開になったりしない?
そんな不安があったので、雪花から話は中々切り出せなかったのだ。
そうでなくとも雪花は別にフレンドリーなわけでもない。
陰キャと言われる程でもないが、陽キャに分類されるでもない。
見知らぬ人にぐいぐいいける度胸は流石になかった。
対面じゃなきゃ――それこそネット上で文字だけのやりとりだとかであればもうちょっとぐいぐいいけたかもしれないが、見知らぬ美人なお姉さんにあれこれ積極的に声をかけられるような勢いは、今の雪花には生憎存在すらしていなかった。
どうしたものかな、と戸惑っていれば、目の前の彼女の方が先にやるべき事を理解したのだろう。
「ごめんなさい、どうやら巻き込んでしまったようね」
立てる? と聞かれ手を差し出されたので思わずその手を取って、ぐいと引かれるように立ち上がった。
「巻き込んで……? え? あの、これってもしかしなくても」
ラノベ知識から、異世界召喚だろうなとは思うのだけれど、さも知った風に言うのもなんとなく怖かった。
概ね合っていたとしても、細かい部分が異なる可能性を考えれば、自信満々に知った風な事を言ったのに実際は全然違っていたけど、相手はこちらがそれを理解していると思った上で話を進められる可能性があるからだ。
知ってる前提で話を進めたら相手は全然わかってなかった、となれば情報のすり合わせを途中でやり直さなきゃいけなくなるだろうし、だったら最初から何も知らないつもりで話を進めた方がいい。
雪花は漠然とだがそう感じたのである。
ここじゃあなんだから、と女に促されて雪花は場所を変える事となった。
雪花がいたのはゲームの錬金術師がアイテムを作るような工房めいた部屋だったけれど、そこから出れば今度は思っていたよりは普通の場所だった。
窓の外は暗い。どうやら既に夜のようだ。
(いやでも、さっきまでばあちゃん家にいた時はまだ全然明るかったし……冬なら確かに暗くなってもおかしくない時間帯だけど、でもここは寒いわけじゃない……)
あえて室内で暖房をつけているような様子はない。うだるような暑さもなければ凍えるような寒さから逃れるためにストーブがついてるわけでもなさそうだ。
……いや、ここにストーブはないようだが。
見回すと暖炉が見えたが、しかしそこに火はついていない。
これは本当に信じられないけれど、異世界召喚ってやつっぽいぞ……? なんて思いながらも女の手に引かれながら、雪花はふかふかのソファーに案内された。
この後お風呂に入ろうと思っていた程度には汗をかいていたので、この状態で座る事に抵抗をおぼえたものの女はそんな雪花の心情も何も気付いていないのか、少しばかり強引に座らせると軽く手を振った。
目の前のローテーブルに突如としてお茶の入ったカップが出現する。
「ま、魔法……?」
「そうよ、だってわたくし、魔女だもの」
ふふ、とどこか得意げに笑う彼女に、冗談でもなんでもなくやっぱ異世界召喚かぁ、と納得するしかない。
異世界産の食べ物を口にするにはまだちょっと躊躇いがあった雪花は、ひとまずカップをそっと両手で持って飲むつもりはありますよ、という態度でもって女の話を聞く事にした。
彼女はローザローゼシカと名乗った。
長い名前、とつい呟けば彼女はそうねと頷いて、それから呼びたいように呼んで、と言ってくれた。
「じゃあ……ローザ?」
「えぇ、それでいいわ。大体他の皆もそう呼ぶから」
それで、貴方のお名前は?
そう聞かれて、雪花は一瞬言葉に詰まった。
ライトノベルや漫画やゲーム、そういった物なら異世界転生も異世界召喚も、うっかり異世界に迷い込む言わば異世界転移や異世界トリップ、なんてものも受け入れる事はできるけれど。
そんな空想上の何かがよりにもよって自分の身に起きたのだ。
それだけでもにわかには信じがたいのに、では、他の創作物のお約束がここで適用されないなんてどうして言える?
ローザは悪びれもせず自分を魔女だと言った。
魔法のある世界。雪花にとっては創作物の中だけの不思議な力が当たり前のようにここでは存在しているというのは間違いない。
とある創作物では、名前というのは自分の魂と繋がっている、なんて設定があった。
本当の名前を知られるといけないだとか、知られたら元の世界に戻れなくなるだとか。
異世界に召喚された平凡な高校生たちを勇者と持ち上げ実際は奴隷にしたてあげようとする極悪な国の人の話、なんてものも、相手の名前を知った上で隷属の首輪をつけるだとか、そういうのがあったような気がする。
そういった知識のせいで、正直に名前を名乗るべきか雪花は一瞬迷ってしまった。
ローザは自分を騙そうとしているようには見えないけれど、でももし他の悪い人がそういう事をできてしまうのであれば?
ここは自分が住んでいた世界とは違うのだから、そういう可能性が絶対にないなんて言いきれない。
「えっと、私は……ユッカ」
だから雪花はまだどこか戸惑った様子のままそう名乗った。
自分とは一切関係のない名前を名乗るというのも考えたけれど、しかしこういうのは咄嗟の時に出るものだ。
呼ばれてもすぐに自分だと気付けず反応が遅れれば、一度くらいはよく聞き取れなかった、とかの言い訳も可能だが何度もやらかせば相手が不信感を抱くのは言うまでもない。
何かの漫画で読んだ。偽名を名乗る時は自分が反応できる程度に、自分に馴染みのあるものを使え――と。
だから雪花は『せつ』を『ゆき』に変えた上で『ゆきか』を『せつか』と同じような呼び方にして『ユッカ』と名乗る事にした。
友達からはせっちゃんとかゆっちゃんと呼ばれる事もあったので、これなら呼ばれても自分が呼ばれてると思わず……なんて事もないだろうと思ったのだ。
響きもそこまで悪くないと思うし。
いくら自分の名前に寄せた偽名であっても、自分が好きになれないものでは呼ばれた時にそれが微妙に態度ににじみ出るかもしれない。
ネタでおかしな名前を名乗るにしても、時と場合は流石に選ぶ。そして今はそんな場合ではなかった。
そんな内心の警戒にはどうやらローザは気付かなかったようで、お互い名乗ったところで、早速とばかりに本題に入った。
言ってしまえばユッカがここにいるのは、人違いで召喚されたから。これに尽きる。
ローザがここに呼び寄せたかったのはイシェルという人物で、ローザの弟子でもあるらしい。
その弟子を呼び寄せようとしたものの、向こうも恐らく立て込んだ状況だったのかそれに拒絶の意を示した。
結果として、召喚は不発に終わるはず……だったのだけれど。
けれども何故だか魔法は別の道を切り開いて、ユッカを呼び寄せてしまったというわけだった。
世界を救うべく勇者や聖女として呼ばれたわけでもなく、完全に人違いというかとばっちり。
言ってしまえばユッカは完全なる被害者である。
ごめんなさいね、と謝るローザは、でもきちんと元の場所に帰すからとあっさりと言ってのけた。
「帰れるの?」
「? 勿論。呼んだ以上は帰れるに決まってるじゃない」
「え、でも本当はその、イシェルさんを呼ぶつもりだったんだよね?
それとは全然違う場所にいた私が何故か呼ばれたから、本来の道とは別の道ができてるんじゃないの?
召喚した後その道って残ってるものなの?」
ゲームの知識でしか魔法なんて知らないユッカは、それでも疑問を口にした。先程は異世界召喚について余計な事は言わないようにしようと思ったが、今回に限っては合っていようと間違っていようと、ローザが教えてくれるだろうと判断して。
「それについては大丈夫。きちんと痕跡が残ってるならそれを辿るだけだもの」
「うーん、でも、その、ね?
私、多分恐らく間違いなく、この世界じゃない別の世界から来てるんだけど」
「? 別の地区から、って事?」
「地区? いや、そうじゃなくて、私の住んでるところには、魔法なんてないの。お話の中だけのものなの。
だから随分と非現実的な状況だなぁって思ってるんだけど、その、ローザの言う地区、っていうのは……?」
「……もしかしなくても、ロウェルフィセール以外の場所って事?」
「そのロウェルフィセールっていうのは……この世界の名前かな? だとしたらそう。私が生まれ育ったのは地球っていう惑星だから」
惑星って言って通じるかな……? なんて思ったもののそれでもユッカは何をどう言えば正確に伝わるのかすらわからない状態なので。
そう言う以外になかったのである。
「ちょ、っと、待っててくれる?」
ユッカの言葉はローザにとっても予想外だったのか、彼女も言葉に困った様子で言うと急ぎ足で部屋を出る。
そうして向かった先がどこなのか、ユッカにはわからない。待ってて、と言われた以上勝手についていくわけにもいかないし、そうなるとドアを開けた状態でこっそりとローザが向かった先を眺めるのが精一杯だった。
先程ユッカが出てきた部屋の方へと向かったところまでは見えたけれど、それ以上はわからない。
けれども。
「ま、まさか本当だなんて!
えっ、ちょっと、異世界!? ボクってば異世界から人呼び寄せちゃったって事ー!?」
そんな叫び声が聞こえてきた。
それから間を置かずにまたもローザが駆け戻ってくる。
「うわーんごめんよー、ボクまさか他の世界から人を呼ぶなんて思ってなくてえ!
あっ、でもでもちゃんと帰すからそこだけは心配しないでねええええ!?」
見てるこっちがなんだか逆にもうしわけなくなる勢いでぺこぺこと頭を下げるローザに。
最初にわたくしって言ってたのはかっこつけてただけなのかなぁ……なんて。
ユッカは場違いな事を考えていた。
言ってしまえば現実逃避である。




