雪花、ボッシュート
「や……やっと戻って来たぞ、フラワリー地区……!」
ぜぇはぁと肩で息をしながら少女はよろけた足取りのまま、近くにあった木の幹に手をついた。
疲れた。
本っ当~に疲れた。
それなりに体力がある方だと自覚していたけれど、精神的な疲れも合わせるとそりゃもうとんでもない大冒険だったのだ。戻ってくるだけでも。
ミャウ、と肩に乗っていた黒猫が労わるように鳴くけれど、こちらもその声にはどこか疲れが滲んでいる。
「とりあえず、まずは宿でもとりますか?」
そういった旅の連れに言葉を返す余裕すら正直なかったのだけれど、それでもどうにか言葉を返す。
「うん……お願いしていい?」
「えぇ勿論ですとも」
お任せを、とどこか役者めいた様子で礼を取り、そうして旅の連れでもある青年はすたすたと先へ進む。
「……なんで目隠ししてるのに全然転ぶ感じとかしないのあの人……ねぇ何、あの……ねぇ?」
肩の黒猫へ問いかければ、
「それはこっちが聞きたいよ。ホント何なのアレ……」
猫もまた、疲れたようにこぼした。
――事の発端が果たしてどこだったのか、と問われると正直ちょっとよくわからない。
一番わかりやすい点を述べるのならば、橘雪花が手違いで異世界に召喚されたところ、からだろうか。
「ま、とにかくまずは宿でゆっくりしようか、ユッカ」
「そだね。とにもかくにもベッドで寝たい……」
黒猫――ロゼに促され、ユッカは一度大きく深呼吸をしてから青年の進んでいった方角へと歩き出した。
雪花は高校二年の夏休みに祖父母が暮らす田舎へ泊まりにやって来た。
小学生の頃は毎年夏休みが来るたびに一週間ほど泊まりに行っていたけれど、中学に上がってからは行かなかった。いや、一年の時は行ったけれど、小学校の時には出会わなかった友人もいたことで交友関係が広がり、更に高校受験について早めに対策をとっていたら、夏休みに遊びに行く余裕がなかったのだ。
高校一年の時も新しい友人たちと遊んだりしている方が楽しくて、夏休みの予定を色々と立ててしまったのもあって祖父母とは実に三年ぶりの再会である。
夏休みに遊びにいかなくても、年末年始にかけて祖父母は雪花の家に泊まりに来るのが定番だったので、別に顔をあわせなかった……というわけでもないのだが。
それでもやはり祖父母と言えばここ、という印象が強いのもあって、なんだかとても久しぶりに思えたのだ。
もっとも……それだけが理由ではなかったのだけれど。
「は~、もう駄目今日は疲れた、ので寝る」
宿で部屋をとって、ベッドに倒れ込んだ直後にはもう疲れがやってきて、ユッカの意識はあっという間に沈んでいった。
そうして夢で見たものは、自分がこの世界に召喚される前のもの。
祖父母が暮らす田舎には、山があって海がある。
少し遠くの方から波の音が聞こえてくるのは当たり前だったし、少しいけば山があってそっちには神社がある。潮風が強い日もあるからか、田んぼに畦道なんてものはないけれど、それでも漫画やアニメで描かれるような光景が、祖父母が暮らす場所だった。
「ただいまー、ばあちゃーん」
「あらまぁ、おかえりせっちゃん。麦茶飲むかい?」
「うんもらうー。もう暑くてへとへと」
胸元あたりの服を掴んでバサバサと中に風を送るようにしているけれど、そんなものは焼け石に水だった。
念のため、と家を出る前に祖母に渡された麦わら帽子は意外と役に立ったけれど、それだって気休めに過ぎない。
「それで、なんかみつかったのかい? その……ばけものあつめ」
「もののけあつめですぅ! やめてよなんかすっごいゲテモノみたいなタイトルじゃん」
「もののけもばけものもそう変わらないと思うけどねぇ」
「変わるよー。カレーライスとハヤシライスくらい違うよー」
「そうかい?」
「そうだよー」
あまりゲームに興味のない祖母に細かい違いなどわかれという方が無茶なのかもしれないが、それでも訂正だけはしておいて。
雪花は祖母からキンキンに冷えた麦茶を受け取って一気に飲み干した。
「ぷはー、生き返るー」
「まだ飲むかい?」
「いや、いいよ。またほしくなったら自分でいれる」
「そうかい」
ふふ、と微笑ましいものを見るように笑って祖母は台所へと引っ込んでいく。
何作ってるんだろ? 少し気になったけれど、できたらどのみち食卓に出てくるのだから、後のお楽しみってことで。
なんて思いながらも、雪花は一先ず充電ケーブルを手に取って、スマホの充電を開始した。
祖母が先程言っていたばけものあつめ――ではなく、もののけあつめをしていたせいで充電がそろそろ際どい感じだったので。
外を歩いて出没するもののけを集めるゲーム。
有名どころのパクリでは? と言われていたが、しかしゆるく遊べるのでそれなりに人気のあるアプリである。
この手のゲームは都会の方が色々と便利であるのが定石だが、しかしこのもののけあつめは田舎の方が何気にレアなもののけが出る確率が高いので。
都会でも出ないわけじゃないけれど、地方の方が少しだけ出現率が高い、と知って丁度このゲームにハマりつつあった雪花は、そういやそろそろ夏休みだし……となって久々に祖父母の家に泊まりに行く事を決めたのである。
家の近所でも見かけはしたけど捕獲には及ばず逃げられてそれきりだったもののけを数体捕獲できたので、来た甲斐があったというもの。
人の多い場所で出現しやすいもののけもいれば、人の少ない場所で見かけやすいもののけもいる。
昼夜でも出現率が変わるもののけもいるので、生活リズムの違いで同じゲームをしていても持ってるもののけが全然違う、なんてのもあるあるネタだった。
「いやでもぬっさん捕獲できたのは大きいぞ」
麦茶を飲んで多少冷えたがやっぱりまだ暑かったので、近くにあった扇風機のスイッチを入れて呟く。
ちなみにぬっさんはぬっへほふという妖怪であるので、祖母がいうばけものあつめというのも案外否定できないのだがそれはさておき。
「個体ステもそこそこいい感じだったから、育成して他の編成……うーん、何と組ませるのが正解なんだ……?」
攻略サイトをちらっと見ようかと悩んだが、充電したままのスマホを起動させるのもな……と思いとどまる。
年々異常気象だの温暖化だのと言われているせいか、夏の暑さは半端ないので充電しながらスマホを起動するともうそれだけで火傷しそうな勢いで熱くなるのだ。
それでも無理に起動を続けて壊れるのもイヤだし、そもそも壊れたからとてすぐに直せるわけもない。
自宅にいるなら近所にショップがあるけれど、祖父母が暮らすここはそういったものが近所にないので。壊れたら詰む。
ぼーっと縁側の方を眺めていても暇になってきたので、雪花はなんとはなしに立ち上がり、台所へ行って冷蔵庫から麦茶を取り出す。
コップに注いで、居間に戻って。
扇風機の温い風にあたりながら麦茶をゆっくりと飲んで……
「そーいやじーちゃんはー?」
台所にいる祖母へ声をかけた。
「川に行ってるよぉ」
返ってきた言葉に、川か……涼しそうだな、と思いはしても、じゃあ自分も行こうとは思わなかった。
また暑い外に出るのが億劫だったのだ。
山の方に行けばまた別のもののけが出るんじゃないか、と思わなくもないけれど、充電が全然な状態で行くのは得策ではない。あと正直暑すぎるのでせめてもうちょっと涼しくなってくる夕方くらいがいい。
ちら、と壁にかけられた時計を見るが、夕方というにはまだ早い時間だった。冬なら少し暗くなってくる頃合いだから夕方と言えなくもないけれど、夏の今はまだまだ全然お昼の範囲である。
祖父母の家に泊まる期間は一週間。今日は二日目。
まだまだ日数に余裕はあるけれど、この機会にたくさんもののけを集めたいな、なんて考える。
他のゲームは丁度イベントが終わったばかりで次のイベントがすぐに始まらなかった所謂虚無期間なので、今がチャンスなのだ。他のゲームのイベントが始まれば、もののけあつめだけに集中できないので。
汗でべたついてるから、お風呂にも入りたいけれど、しかし夕方にもう一回外に出る事を考えると今お風呂に入るのも無謀な気がした。
どうしようかなー、中途半端に暇になっちゃったなー。
なんて思いながらも、コップの中にまだ残っていた麦茶をもう別に喉なんて乾いていなかったがそのまま流し込んで。
「ん?」
何かが聞こえた気がした。
「ばーちゃん、なんか言ったぁ?」
「なぁにー? 何にも言ってないよぉ」
少しばかり距離があるので大きめの声で問いかけたけれど、祖母が何かを言ったわけではなかったらしい。
「あれー?」
おかしいな、声だと思ったんだけど……
今この家にいるのは祖母と雪花だけ。祖父が帰ってきたのなら、もう少し騒がしくなるはずだ。
けれどもそうではない。
じゃあ、聞き間違いかなぁ? なんて思っていたら。
「あれ?」
ふと見たら、手が透けていた。
んっ!? と思ってもう片方の手も見れば、こちらも薄くなっている。あっ、なんかこれ、ヤバいかもと思って手にしていたコップを卓袱台の上に置けば、コップは透ける事もなく普通にコトンと音を立てて卓袱台と接触した――が、雪花の手はそうではなかった。
コップを置いた手とは反対の手を卓袱台の上に置いたものの、そちらはすり抜け見事に空振ったのだ。
「えぇえ?」
驚きすぎて叫びたい衝動に駆られたけれど、こんな事象を祖母が目撃したらどうなるか。
驚きすぎて心臓止まらない? 嫌だよそれでばあちゃん死んだら。
そんな風に思ってしまった雪花は、だからこそ声を最小限に抑えた。卓袱台をすり抜けた腕どころか、このままでは座布団の上にいる自分はそのまま座布団もすり抜けてしまうのではないか――
そんな風に思っていたら。
案の定、座布団を、畳をすり抜けて下に落ちていったのである。
地面もすり抜け、そうしてひゅーっと落ちていく感覚。
あまりにも現実離れした展開に声を出そうとしたけれど、その頃には謎の状況に声すら出なくなっていた。
かひゅっ、と声にならない音だけが漏れる。
一体どこまで落ちるんだろうか。地球の反対側にまで行っちゃったり……? まさかでしょ!?
そんな風に思っていれば、視界が暗くなり、そして次の瞬間一転して眩しくなる。
思わず目を閉じて、瞼越しに落ち着いてきた頃合いを見計らって恐る恐る目を開けば。
「あら……?」
「あれ……?」
雪花は正座した状態のまま、見知らぬ場所にいたのである。
「ボッシュート先のここはどこ?」
「ぼっしゅーと?」
なぁにそれ、と言わんばかりに首を傾げた女の事を雪花は知らない。
雪花にとっても女の事は知らないのは言うまでもなく。
二人はしばらく「あれぇ?」と言いそうな表情のまま、お互いに見合う形となっていた。




