boyish
夏の夕暮れ時に中川の堤防で、乾いた車輪の音が空に向かって、船堀橋や都営新宿線、首都高中央環状線の音と混ざり合っている。その音の主は、川沿いに吹く風に撫でられたり、耳を塞いで鳴る音楽を聴きながら、その対岸には同じ音が鳴り響く聖地があることも知らず、何かトリックを習得しようとすることもなく、ただ靴底から伝わる振動を感じて、少しでも自らがオシャレであると悦に浸っていた。
そんな4つの車輪の付いた薄い板に乗って、何もない休日の日暮れを優雅に過ごしながら、夕食の献立を考えていたところで、ひたすら自らを眺める強い視線は、その一時を止まらせた。
「ずっと自分のこと眺めているけど、スケボーに興味でもあるのかな?」
そうその視線へ問いかけたとき、視線の主は非常に慌てた様子で、繰り出そうとする言葉に詰まりながら、こう吐き出した。
「私、スケボー、ずっと好きなので、眺めているだけですけど、すごく好きなので」
「好きなら、乗ってみる?」
「いや、私は、乗らなくていいです。ただ、この近くの大島東小松川公園は、様々なスケートボーダーの聖地で、そこでスケボーやればいいのに、なんでここでやっているのかなって」
「そうなの?自分はただ乗ってるだけで楽しいから、そういうこと知らなかったんだよね、スケボーのこともっと教えてよ」
そう言うと、堰が壊れたように言葉が溢れ出して、好きなスケボーのトリックや選手、スケボーカルチャーの聖地に、様々な歴史など、その知識は膨大で、止め処なく、日は落ち東京スカイツリーの煌めきが低地にひときわ目立つようになるまで、延々と語り続けていた。その言葉を少し遮ってこう言ってみた。
「それだけ好きなら、試しに自分のに乗ってみなよ」
「いや私は乗っちゃダメって言われているので」
何故か強く反発された。
「なんでダメって言われたの?」
「親から怪我をするからダメって言われてるので」
「じゃあ怪我したら自分が手当てするし、最悪壊れてもいい、それでも乗りたくないの?」
「ダメだから乗りたくないです」
「自分のだけだったら、スケボー乗っていいことになったら乗ってみる?」
そう言葉をかけた時に、言葉に詰まった姿を見て、板の持ち主はこう問いかけた。
「持ってみるだけでもいいんじゃないかな?ほら」
そう言ってボードを手渡してからしばらく経って、口が開いた。
「乗ってみてもいいですか?」
そう言って少しづつ地面を蹴り出した姿は、次第に軽やかになり、その持ち主よりも上手く乗りこなして、時折トリックを繰り出すなど、まるで自らが持っているボートであるかのように、疲れなど覚えることもなく、ひたすら乗りこなしていた。
そうしてすっかり空も黒くなって、下町の空にも一等星くらいは輝く様になった頃、散歩していたおじさんに邪魔だと怒鳴られて、初めて疲れを覚えたようで、大きく息が切れていることをその板の持ち主が微笑ましく眺めていた。
「やっぱ乗れるし、自分なんかより全然うまいじゃん」
汗だくになり、トリックに失敗した時の擦り傷もたくさん付いた手の平や肘を、ボートの持ち主が持っていたウエットティッシュで拭いながら、お互いに大きく鳴った腹の虫を聞いて、時刻は21時が近くなっていることに気づき、傷の手当てをするため、持ち主の部屋に誘った。
スケートボートの持ち主の名前は、百瀬圭、23歳のオシャレ好きな青年だ。そして軽やかなライドを見せたのは、菅原凪紗、オシャレとはほど遠い姿のボブヘアの21歳女子。家路に向かい、手当の終わった後、凪紗からお礼にと夕食に誘われたが、炊いていた米すら忘れてひとときを過ごしていたこともあり、圭は簡単な炒め物と汁物を作り凪紗に食べさせることにした。その料理の間、凪紗は一言も話さず圭のスケボーを念入りに磨いて、簡単なメンテナンスもしていた。
そしてできた夕食を、凪紗は貪るように食べ、炊飯器も空になるくらいに食べ尽くし、満腹で嬉しそうな無邪気で無垢な凪紗の顔を、圭も微笑ましく眺めていた。
あまりにも無邪気な姿に心配となり、圭が最寄りの船穂の駅まで送ると言ったとき、凪紗が東大島に住んでいて、歩いて来てしまった事を告げられ、連絡先を交換して、自宅まで送り届けることとした。その道中も、凪紗が大好きなスケボーが眺められるから東大島に住んでいること、本当は幼少期から小学生くらいまでの間はずっとスケボーに夢中になっていたことなどを一生懸命に語ってくれた。
夜も深く少し静かになった船堀橋の上を、夏の夜の生暖かい風が、二人の身体を撫でていた。