「きみを愛することはない」と言った旦那の妹が、同じことを言われて出戻ってきた
侯爵家嫡男ユリウス様との結婚は、お互いの両親が決めたものだった。私、マーガレットの家は伯爵家で、格上の家のしかも後継者との縁を、私の両親はとても喜んだ。いいところへ厄介払いができると。
両親は華やかな容貌の妹のデイジーをひいきして、私は蔑ろにされていた。
やっとマトモな家族が持てるのね、と喜んだものよ。
「君を愛することはない。夫人としての最低限の役割だけを果たしてくれれば、好きにしていい」
初夜に言われたわ。
顔合わせでも余り話さないし、どう思っているのか不安だったけど、まさか堂々とこんな発言をするなんて。
呆然とする私を置いて、ユリウス様は部屋を出ていった。
そんな形ばかりの妻を、使用人たちが大事にしてくれるわけもなく。
お付きのはずの侍女は姿が見えない時間の方が長く、食事は使用人と同じようなもの、やることもなく出掛けようとしても「護衛がいない」と外出を阻まれる。
刺繍をしたり本を読んだり、ため息ばかりの毎日を過ごしていた。
そんな暮らしが半年に及ぼうとしていた時だった。辻馬車が侯爵邸の馬車止めまで乗り入れた。
珍しいこともあるのね。ユリウス様のお知り合いが訪ねてくるなら、護衛を連れたきらびやかな馬車でやってくる。窓から眺めていたら、若い女性が降りて足早に侯爵邸へ入った。
……もしかして、愛人かしら?
愛人が乗り込んできたのね! だから「愛することはない」なんて言ったんだわ。
さすがに本宅に押し入る愛人を放置はできない。私は足早にエントランスホールへ向かった。階段に差しかかると、メイドがいつになく急ぐ私を不思議そうに眺めている。まだ邸内の人間は気付いていないみたい。
そこに、若い女性の高い声が響いた。
「兄様、兄様はいないの? わたくし、今日からここに住みますわ! もうあんな男の元になんて帰りませんからね!」
兄様? 妹さんなの? 彼には確かに、コスモスという名の妹がいたわ。
女性はかなり憤っていて、ヒールのかかとを響かせながら階段をのぼる。そこで私と鉢合わせになった。
「……あ、兄様の奥さまだわ! マーガレット様ですわね、お久しぶりにお目にかかります。コスモスですわ」
階段だったので、軽くスカートの裾を摘まんで挨拶を交わした。
彼女は私たちのとーっても簡素な結婚式に、旦那様と参列してくれていた。言葉は交わせなかったけど、覚えているわ。
「こうしてお話しするのは初めてですわね。マーガレットです、結婚式にはわざわざご足労いただき、ありがとうございました」
「いえ、まさか高位貴族の体面も考えない、あんな簡略化された式なんて……。あとで兄様を叱っておきますわ」
「まあ、ありがとうございます。ところで、今日はどうされたのですか? 旦那様は……」
嫁いだ娘の突然の帰宅に、邸宅内は騒がしくなる。馬車から荷物が運び出されていた。帰らないなんて言い方をするくらいだから、宿泊をするつもりよね。それにしては、荷物が少ない。ドレス一着でもかさ張るので、滞在日数を決めていないなら、かなりの量になるはずなのに。
「お義姉さま、聞いてくださいまし! 旦那様ったら酷いんですのよ!」
今にも叫びそうなコスモス様のご様子。階段ではよくないので、応接室で話を聞くことにした。
まずは荷物をコスモス様が元々使っていた部屋に運ばせ、換気してベッドを綺麗に整え、迎え入れる準備をさせる。コスモス様も懐かしい部屋に一旦戻って、荷解きを命じてから応接室にいらした。
屋敷のお嬢様が帰ってきたので、さすがにメイドたちもキビキビと動くわ。指示をしなくても、お茶やお菓子が用意されている。
大事な話だからと、ユリウス様のお帰りを待ち、夫婦で話を聞くことになった。知らせを受けたユリウス様は、馬で駆けつける。大事な用があって私が頼んでも、仕事が大事だというのに。
なんだか釈然としない。
「コスモス、何があったんだ?」
ユリウス様が真剣な表情で尋ねる。本当に妹思いなんですね。
「聞いてください、兄様! 旦那様ったら、愛人がいるんです。それで私に、『お前を愛することはない』なんて、言ったんですのよ!」
……愛人はともかく、どこかで聞いたような話だわね。
ユリウス様は自分も同じ言葉を私に放ったのを忘れたのか、衝撃を受けているようだったわ。
「お前のような可愛らしい妻を得て、愛人がいるだと……? しかも、愛することはない、などと……」
人のことは言えないじゃない。私は冷めた目で、興奮する二人のやり取りを眺めていた。
「酷いでしょう!? しかも使用人たちまで愛人の味方をするんですの! 旦那様に取り次がないし、食事も簡素で侍女は仕事をしないし、外出まで制限され……。我が家から連れていった使用人たちにまで、粗雑な扱いをするんですの!」
あ、侯爵家からは使用人を送ってくれたんだ。それはいいわね。
「なんてことだ……。同じ侯爵家でも、あちらは三男だぞ。わが家を敵に回せば、切られるに決まっているのに……!」
ドンッと拳でテーブルを叩くユリウス様。同じ境遇の人間がここにいますよ。愛人を持たれているかは、把握しておりませんが。
「愛人は男爵令嬢らしいのです。このような屈辱は初めてですわ……。わたくし、離縁をしたいのです!!!」
「当然だ! カントリーハウスに住む母にも、その旨を伝えよう!」
「さすが兄様、心強いですわ! ゆっくりしたら、母様のところへ行こうかしら。お邪魔しても悪いですものね」
コスモス様が私をチラッと見る。気を遣われているのね。
私はにっこりと笑って答えた。
「いいえ、いくらでも滞在してくださいな。似たような境遇ですもの、とても他人事とは思えませんの」
「…………似た境遇……?」
コスモス様が言葉を詰まらせて、ユリウス様をバッと振り返った。彼はようやく思い至ったようで、顔面をひきつらせる。
「私も『愛することはない』と、全く同じ助言を頂きましたわ。ねえ、ユリウス様? 侍女は滅多に側にいないし、ユリウス様が同席されない時の食事は使用人と同じような内容ですのよ。ドレスも一人で着られるような、簡素なものだけを選んでおりますの」
「あ、いや、それはその……。使用人たちは仕事をしていないのか? まさかそんな待遇を……?」
家の中を把握していなかったのね。ユリウス様はしどろもどろで、目が泳いでいる。
「外出さえも、護衛がいないと制限されましたわ。人手不足なんですのね、新しく騎士を雇ったら如何かしら?」
「……足りないはずは……ない……」
言葉尻が小さくなる。背を丸めて、体も小さくする。本当に私に興味がなかったのね。
「今日はすぐにお茶を用意して頂けて良かったわ。私がお願いしても、耳が悪いのか聞こえない方が多いみたいで!」
「そ、それは……」
「本来なら屋敷で働く女性の主は、当主の妻たる女主人ですわよ! ユリウス様の態度が、こうさせていると思いませんこと!??」
どうやら彼は、使用人はちゃんと働いていると思い込んでいたようだ。
言い訳する言葉も見つからない様子。
「兄様……。まさか兄様まで、汚らわしい愛人なんていませんわよね……?」
黙って聞いていたコスモス様が、こんなお声も出るのかしらと思うほど低い声で、唸るように質問した。私も知りたかったところだわ。
「いない! いるわけがない!!!」
大きく首を横に振り、大げさなくらいに否定する。コスモス様はさらに続けた。
「では跡継ぎは、どうするおつもりでしたの? 夫婦として過ごしていらっしゃらないんですのよね?」
「弟に託そうかと……。俺は元々独身主義で、結婚なんてしたくなかったんだ。それを両親が勝手に話を進め、三年前に亡くなった父上の意思だからと、母上が強く説いてきて……」
愛人がいないのは本当みたい。単純に結婚したくなかっただけ……。子供なの?
「結婚したなら相手を尊重すべきですわよ! 跡継ぎの相談とか、ちゃんと話し合いをしているの、お兄様は?」
「何一つ、されておりませんわね。むしろ会話がありませんの」
さっさと答えちゃう。下手な言い訳はさせないわよ。
「俺も無理に結婚させられて、鬱憤が溜まってたんだ……。ただ、使用人がこんな仕打ちをするとは、考えが至らなかった。これからは正す!」
任せてくれ、と言わんばかりに胸に手を当てた。
使用人だけが問題だと思っているのかしら。コスモス様も、呆れた視線を送っている。
「はーあ、もういいわ。マーガレット様、このタウンハウスは空気が悪いですわね。わたくしと一緒に、母様のいらっしゃるカントリーハウスへ行きませんこと? 可愛い弟がいますの、十歳になったところですのよ」
弟さんは茶色い髪の、少し病弱な方。結婚式にお義母様と見えて、彼とは少し言葉を交わした。笑顔が眩しく、大人しそうな印象だった。療養も兼ねて、カントリーハウスで暮らしていると説明を受けたわ。
「嬉しいお誘いですわ。私もご一緒してよろしいのなら、ぜひお連れくださいまし。ここには私がいない方がいい人ばかりで、息が詰まりますの」
「待て、すぐに改善する。一年も経たずに出て行かれるのは、体裁が悪いんだが……」
「知りません。私が話し合いをしたいと申し入れて、応じたことがございまして?」
彼を拒絶して、さっさと二人で荷物をまとめて出て行った。
先触れの次の日に到着したにも関わらず、お義母様は迎え入れる支度をしてくれていた。そしてコスモス様から今回のあらましを説明した長い長い手紙を受け取り、事情は把握していた。ごめんなさいねと私に謝罪まで頂いたわ。
「コスモス姉様、マーガレット義姉様。お二人も一緒に住むんですよね? お屋敷を案内します! 今度、町に行きましょう。素敵なお店を知ってます!」
ユリウス様とコスモス様の弟、ブルータス様はとても嬉しそうにしている。
好意を向けられると、自然に顔が綻ぶわ。
カントリーハウスではのんびりと暮らし、コスモス様と親しくなれた。
ブルータス様も懐いてくれて、色々な場所を自慢げに案内してくれる。お義母様は暖かく見守ってくれ、ユリウス様に苦言を呈する手紙を送ったそうだ。
ちなみにコスモス様が嫁いでいた家からは、コスモス様の旦那様を絶縁し、貴族籍から除籍したとの連絡があった。そしてコスモス様に賠償金を支払って離縁の手続きをする代わりに、これからも付き合いを続けるよう懇願してきた。共同事業とかがあって、関係悪化を避けたそう。
私はというと、離縁はしていない。ただ、改心したユリウス様がヒマを見てはカントリーハウスまで面会に来るようになった。最初は拒絶していたが、コスモス様もご一緒という条件で会うようにした。
使用人から聞き取りをして、怠慢だった者に罰を与え、再教育しているとか。
弟のブルータス様も必ず同席し、わざとらしく小難しい顔をして、話を聞いている。威嚇しているつもりかも。
「兄様が情けないなら、僕のお嫁さんになれば良いんです。そうすれば、マーガレット義姉様と、ずっと一緒にいられますから。遠慮なく離縁してください!」
毎回最後に、そんなことを言い放ち、コスモス様まで同調される。
ユリウス様もこれには焦って、苦笑いするのだった。
しばらくはこのまま、この先をのんびり考えよう。
カクヨムコンテストの短編部門の、「帰る」というお題で書いたものです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。