いつもの右を左に曲がる、私の小さな冒険の話
武頼庵(藤谷K介)さん主催『この秋、冒険に出よう!! 企画』参加作品です(*´Д`*)
右に曲がればいつもの帰り道。
左に曲がれば、その道は冒険へと繋がる。
ちょっとした胸の高鳴りを感じながら、私はいつもの下校路から逸れて、知らない道を歩き始めた。
私の通う中学校は小高い山の上にある。
背後から聞こえるのは運動部の喧騒。そして目の前に広がるのは黄色に変わり始めた広葉樹達。土手の斜面に造られた丸太の階段は、ぐにゃぐにゃ道の自動車道路を真っ直ぐ横断しながら、下へ下へと伸びている。
空は青い。プールの底みたいな涼しげな青。
階段の両脇に生えた、ススキみたいな葉っぱの上では、お腹を大きく太らせたカマキリが、驚いたみたいな顔でこっちを見ている。
初めての道を、私は慎重に踏み締める。
足元を確かめるように、冒険に浮き足立つ気持ちを抑えるように。
背中のバッグにつけた、プラスチック製のウサギのキーホルダーが、私の歩調に合わせてカチャカチャと鳴った。
いつもは無駄に存在を主張してくる教科書やノートが詰まった重たいバッグだけど、今の今までその存在を忘れていた。それくらい、私はこの初めての冒険に心を奪われていたのかもしれない。
深呼吸を一つする。
何処からか、野焼きの煙の匂いが流れてきた。
丸太の階段を下りきると、道の先には民家が並んでいる。
車を運転できるお父さんやお母さんにとっては、何の事ない隣町なんだろうけど、私にとっては本当に未知の世界。細い県道の両脇には、田舎のおじいちゃんちみたいな、古めかしい家が建ち並んでいる。何だか、昔の世界にタイムスリップしたような気分だ。
狭い歩道を慎重に歩いていると、すごいスピードで通り過ぎていった車の風で、スカートがハタハタと靡いた。
なんだか怖くなって立ち止まると、庭先で植木の世話をしていたおばあちゃんと目が合う。
にっこり笑ったおばあちゃんの「こんにちは」の言葉に少しだけ勇気をもらった気がして……。私も「こんにちは」を返すと、再び歩き出した。
しばらく歩くと、少し先に橋の欄干が見えてくる。
話に聞いていた通り。
あそこだ。
きっとあそこにサトーが居る。
私は歩くスピードを上げる。欄干がどんどん大きくなり、薄い空はどんどん小さくなっていく。
橋の中央まで来た私は、白い太陽でキラキラ輝く大きな河と、それを縁取るように生えた濃い緑の草、黄色く色づき始めた並木道の桜を眺めた。河の流れは穏やかで、はやる私の感情を優しく宥める。
遠くの山から流れてきた水は、私の歩く速さと同じくらいののんびりとしたスピードで、海までの冒険を楽んでいるようだった。
そして私は考える。
サトーがいるのは、河の上流か、下流か。
そして河岸の右側か、左側か。
出たとこ勝負で、私は右側の道を選んで河を下ることにした。
涼しい風が背の高い草を揺らして、私は自分の頬がホカホカとほてっている事に気付く。
吹いてくる風からは落ち葉みたいな秋の匂いを感じるけれど、風が止んだ時の日差しからは、まだ猛暑の名残が感じられた。
額に浮いた汗を、ポケットから取り出したハンカチで拭って、大きく深呼吸を一つ。そして手鏡を取り出し、顔がテカっていないか入念にチェック。手櫛で前髪を整えて、再び歩き出そうとすると、意地悪な秋風がせっかく整えた前髪を乱していった。
やがて、河の反対側に人影が見える。
草の中にしゃがんで、黒い大きなカメラを構えている。
あ、サトー。
心の中で彼の名前を呼んで、私は立ち止まった。
サトーはカメラのモニター越しに、茂った草を見つめている。そこに何が見えてるのか、遠くに立つ私にはわからない。それがなんだか悔しくて、でも無邪気に自分の世界に熱中する姿がかわいくて、私は真剣にカメラを覗くサトーをしばらく眺めていた。
やがて、カメラを下ろして立ち上がったサトーは、河の向こう側に立つ私に気付いたようだった。首を傾げ、メガネを直しながら、マジマジとこちらを見る。
「あれ、鈴木!?」
穏やかな河をまたいで飛んできたその声は、クラスで友達とはしゃいでいる声よりも、少しだけ大人びて響いた。
私は、サトーにも見えるように大袈裟な笑顔を作って、大きく頷く。
「お前の家、こっち方面じゃないじゃん? 何やってんだよ?」
「散歩!」
「はあ? 散歩? こんなところに?」
「いい天気だから、なんか遠回りしたくなちゃって!」
もちろん、それは嘘。
実は私、クラスの男子とサトーの会話を盗み聞きしていたんだ。お父さんからお下がりのカメラをもらってから、サトーは毎日この河の周りで、草木や虫の写真を撮ってるんだって。
私はカメラとかよくわからない。
でも、サトーが見ているものを、私も見たくなっちゃったんだ。
足元の草原に視線を移す。
しゃがみ込んで、焦点を合わせると、草原は緑一色じゃない事に気付く。ススキみたいな葉の先端は褐色に変わって来ているし、草の根元には小さな黄色い花が咲いている。その花の周りには、小さな緑色の虫がウロウロと歩いていた。
そっか、これがサトーの見ている世界なんだ。
顔を上げた私の前を、赤色のトンボがふわふわと舞い、葉っぱの先端に止まった。
もう満足。
サトーと同じ世界を感じられただけで、今の私には十分なくらい大冒険。
でも、でもさ。
遠くまで広がる空が、舞い散る落ち葉の音が、私を新しい冒険の世界へと誘うんだ。
「サトー!?」
「はぁ、なんだ!?」
「あのさ! 私も、そっちに行ってもいい!? 一緒に写真撮りたい!!」
親から持たされているスマホを掲げた。
声がうわずってしまわないか心配だったけど、秋風が優しく、私の言葉をサトーに届ける。
サトーは不貞腐れたような変な顔で頷く。
美術の授業で描いた絵を先生に褒められた時とおんなじ、ちょっと照れてて、でも満更じゃない時の顔だった。
そんなサトーの顔を見て、今の私はどんな顔をしているのだろう。
秋の空気は澄んでいて、何処までだって行けそうな気がする。その空気を胸いっぱい吸い込んで、私は次の冒険への一歩を踏み出した。
中坊の頃は、いつもの帰り道を遠回りする事だって、ちょっとした冒険だった気がします。主人公の女の子は、そこからさらに一歩、恋の冒険へと踏み出していきました。
はてさて……おっさんの心に、果たしてJCは存在しているのか? 作者的にもちょっと冒険でした。