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傷物令嬢マリアローザは隠居がお望み  作者: ウメバラサクラ
CASE2 この世に裏切りはありふれている
9/27

9.金の卵を産むガチョウを……

「マリアお嬢様。リノへの躾けはしっかりと施しておきましたので、どうぞご安心くださいませ。」


侍女長のジーナが、客の見送りが済んだところを見計らってマリアローザへと声を掛ける。


「あらそう、ご苦労様。ところでそのリノは?」

「本日の粗相の罰として、客間を隅々まで磨くようにと申し付けております。」


彼女の言う「客間」とは恐らく、ゲストルームの方の事だ。……それを一体、()()なのだろうか……。

今日中に終わるのかしらとマリアローザは思った。


しかし。ジーナは一切、「さっきの客は何をしに来たのか?」とは聞かなかった。やはり合格だ。ここで好奇心から詮索でもしようものなら、少なくとも降格させる事にはしていただろう。マリアローザの人を見る目は、未だ健在のようである。

……リノの件は、一先ず保留という事で……


「それはそうとジーナ。わたくし一応、独り立ちしましたのよ。なのに“お嬢様”と呼ぶのはどうなのかしら?」


実家の侯爵邸にいた時は当然「マリアお嬢様」と呼ばれていた。しかしこの屋敷で新生活を始めてからは、ほぼ全ての使用人が家主の彼女の事を「マリアローザ様」と呼んでいる。ただ一人、このジーナだけを別にして……。

主人に忠実ともあろう彼女が、一体なぜなのだろうか。侯爵家とも、特に縁など無かった人なのに。

あえて聞く必要が無かったので今日までそのままにしていたが、マリアローザは急に気になって尋ねてみた。


「お嬢様は確かに、このお屋敷の主でいらっしゃいます。ですがまだお若く、婚約を破棄なさったとはいえ未婚の身なのです。隠居などと老け込まれては、勿体のうございますわ。」

「つまり、少しは若者らしくして欲しいという事?」


ジーナは背筋を伸ばしてこくりと頷く。

全く……。結婚などしないから、『隠居』だと言っているのに。これでは彼女は一生、自分を「お嬢様」と呼び続けそうではないか。

……老婆になっても、「お嬢様」……。

マリアローザはふと、それはそれで面白そうだなと思ってしまった。


「ですが、お嫌なのでしたら、今この時より改めます。」

「よろしくてよ。貴女の好きに呼んで頂戴。」


いつも通りのキリッとした表情で、ジーナはお辞儀をする。顔や態度には出ていないのだが、彼女はどうやらその返事に喜んでいるようだ。ならば良かった。


「――それじゃ、今夜の食事は街へ出てしようかしら。たまには料理番にも楽をさせてあげなくてはね。」

「それは素晴らしいお考えですわ。すぐにお支度を始めます。」

「リノにも声を掛けて来て頂戴。」

「かしこまりました、マリアお嬢様。」


こうして食事を自由に決められる事も、この生活を始めて得たものの一つだ。さて、今日は何を食べようか?

マリアローザは頭の中で、早速いくつかの店を候補に挙げていた。













「――喜べ、アリーチェ!お前に新たな結婚相手を見付けて来てやったぞ。相手は、“ブラッチ男爵”だ!!」


マルカート伯爵家の屋敷で、アリーチェは嬉しそうな父親からそう告げられた。

……ここしばらく見向きもしてくれなかった父が、呼んでいる……。不思議に思いながらも、彼女は内心淡い期待を抱いてその部屋へとやって来ていた。

やっと、久々に、自分にも関心を持ってくれたのだ、と……。だが――…


「…………えっ……?」


その名を聞いたアリーチェは、頭の中が真っ白になった。それから青い顔になって狼狽えた。


「ま……待ってください、お父様……。ブラッチ男爵というのは、()()ブラッチ男爵の事ですか……??」

「当たり前ではないか!他に誰がいると言うんだ??」


父は「フン!」と鼻を鳴らした。

……嘘だ……こんなのは嘘。アリーチェは頭の中でそう繰り返した。継父ならばともかく、実の父親がそんな事を決めるわけが無い!――彼女はそう思いたかった。


――“ブラッチ男爵”――

それは一代で巨万の富を築いた成金で、金にものを言わせて男爵位を買ったとして有名な人物だ。歳は30代半ば、その資産と同じくたっぷりと蓄えられた脂肪が印象的な、……正直醜い容姿をした男である。また、それだけでなく――


「お…お父様!お願いします、お考え直してください‼」


アリーチェはとっさにその前でひれ伏した。そして床に額を擦り付けるほどまでして頭を下げ、彼女は必死で父親に乞うた。両手が、腕から震えている……。


『……マリアローザ様、どうか、勇気をお貸しください……!』


彼女にとってこれは、一世一代の頼みだ。

父に反抗した事ですら、これまでにたったの一度も無かった。母が亡くなってすぐ、継母たちがやって来た時でさえも……。異母妹に婚約者を奪われた時だって、甘んじて受け入れた。だがしかし……。


「他の事ならば何でもいたします!ですから、その結婚だけは無かった事にしてください…!!」


……嫌だ。絶対に、ブラッチ男爵のところへだけは嫁ぎたくない……‼その一心だった。

すると口元を派手な扇子で隠した継母が、眉をひそめながら話に割り込んで来た。


「まあ!何て子なの?いくら男爵の見目が悪いからといって、そこまでして結婚を拒むだなんて……。伯爵家の娘が聞いて呆れるわね。」

「ち、違います!」


床に座り込んだままバッと頭を上げ、アリーチェは否定した。

伯爵令嬢として、政略結婚を拒むつもりなど無い。例え相手が醜い容姿をしていたとしても、そんな事は問題ではなかった。だが一つだけ、どうしても受け入れられない事がある。


「この結婚は、マルカート家のためにはなりません‼どうかお考え直しください!!」

「何を馬鹿な事を!男爵はな、傷物のお前でも持参金は要らないと言っているんだぞ⁉それどころか多額の支度金まで用意してくれるそうだし、これからも我が家への援助を惜しまないとさえ言っている!これほど素晴らしい相手は二度と現れんだろう!!」

「しかしお父様、あの方は――」


アリーチェは食い下がった。


「すでに、何人もの奥様と破婚されているではありませんか!」


――…そう。見目など関係ない。相手がまともな人格であれば、アリーチェだって父の言う通りにしていた。だが……


“ブラッチ男爵”という人物は、その人間性にこそ問題があった。


これまでに何度も妻を迎え入れては、全て早々に逃げられている。そしてその元妻たちは、誰もが固く口を閉ざし、詳細な理由を語りたがらなかった。……具体的な事は分からないが、相当酷い目に遭ったらしいという事を、彼女も風の噂で聞いている。だから当然、彼は悪名高い新興貴族として有名なのだ。


「悪評のある相手と縁戚になれば、必ずマルカート伯爵家の名に傷が付きます!ですから、どうか……!!」


アリーチェは再び額を擦り付けるようにして懇願した。

例え何があろうと、耐え続ける覚悟は出来ている。でもそれが結果的に実家のためにすらならないとしたら……どこにも救いなど無いではないか。そんな事は嫌だ。


次の瞬間、勢いよくこの部屋の扉が開かれた。


「お姉様聞いたわ!結婚が決まったんですってねえ、おめでとう!」


異母妹のラウラだ。どこから聞きつけて来たのか、およそ祝っているとは言い難い顔で嬉しそうに笑っている……。

彼女は床に這いつくばる姉の側まで来ると、わざとらしい声を出した。


「お相手って物凄いお金持ちなんでしょー?羨まし〜い!出来る事なら私が行きたいところだけどぉ、お姉様に譲ってあげる。だってほら、私にはカルロ様という婚約者がいるし??ふふっ…」

「まあ!ラウラったら、何て姉思いの良い子なのかしら……。貴女も、男爵のところへ行ったら今よりもっと贅沢が出来るのよ?良かったじゃない。服だって、そんなのじゃなくもっと上等な物が着られるでしょうねえ‼」


そう言って、母娘は笑った。

……何もかも、心にも無い事ばかり……。その時、ああそうかとアリーチェは理解した。


父は「新しい結婚相手を見付けて来て()()()」と言っていたが、男爵を薦めたのは恐らく継母たちだ。彼女らが、前妻の娘(じぶん)を『売った』のだ。

厄介払いをしたかった人間が、自分たちを潤す財源となる事に気が付いて――…


「さあ、そんな所に座り込んでいる暇は無いぞ!男爵は明日にでも来て欲しいそうだ。急いで荷物をまとめなさい!」


――…明日!?

アリーチェはゾッとした。


「お父様、大丈夫よ。お姉様はあんまり物を持っていないから……」


ちらりとこちらを見ながら、ラウラはくすりと笑う。……物が無いのは、ほとんど彼女たちが売ってしまったからだ……

そして気付くと、いつの間にか彼女は父にそっと寄り添っている。


「そうなのか?まあいい。とにかく、明日の朝には出られるようにしておくんだ。いいな!」


父はアリーチェを指差して命令した。


「……………………ゃ……」


かすれた声でカタカタと震えながら、彼女はふらりと立ち上がった。

……もう、もう駄目だ…………!!


「…ぃや……嫌あっ!!」

「――あッ⁉」


アリーチェは叫ぶと、駆け出した。そしてそのまま外へと飛び出す……


今は何も、考えられない。ただ、このままあの屋敷にはいられない。それだけは分かる。捕まったらお終いだ。


その思いで、彼女は走り続けた。


――自分が今どこにいるのか、分からない。どこをどう通って来たのかも、覚えていない。とにかく“家族”の側から遠くへ逃げたかった。連れ戻されたら絶望しかない。


「…………ッハアッ、……ハアッ……」


息が苦しい……死にそうだ。それでも、止まれない。止まって人生が終わるくらいなら、走り続けて生涯を終わりにしたい――。



「…――あっ!」


不意に足がもつれ、ドッという音を立ててアリーチェは転んだ。


……痛い、苦しい…………

荒い息をしたまま、彼女はその場に倒れていた。

立ち上がらなければ……そして早く、また逃げなければ……!そう思うものの、なかなか体は言う事を聞いてくれない。


服も髪も乱れ、泥だらけ。酷い状態のまま、アリーチェは目だけで周囲を確認した。

……どうやらここは、王都街のようだ。いつの間にか夜の(とばり)が下り、辺りには灯りが点いてほのかに明るい。

向こうには沢山の人が通っている姿が見えるが、誰一人としてこちらを気に掛ける様子は無いらしい。……いや。もしかしたら、誰も自分の存在に気付いていないのかもしれない……。

アリーチェは強い孤独感に襲われた。


「――…お母様……」


彼女はその時、急に幼い頃の事を思い出した。亡くなった母との思い出だ。


“「アリーチェ。私たちは、平民の人々よりもずっと良い暮らしをしているの。だからその分、理不尽な事にも耐えなければならないわ。貴族としての務めを果たさなければならない。それが私たちなの。出来るわよね?」”


倒れたまま、アリーチェはぽろぽろと涙をこぼした。


「……ごめんなさい……ごめんなさい、お母様……。私、頑張れなかった……!」




誰か……。

…誰か、助けて…………


「…………――マリアローザ、さま……」


……お願い、誰か――…


そんな時だった。

アリーチェは倒れている自分の側に、突然人の気配を感じた。


「――アリーチェ様⁉本当に、貴女なの??」


その声に、彼女は目を見開いた。そしてその目を疑った。だってそこにいたのは――…

酷く驚いたような顔をしたマリアローザ、その人だったからだ。

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