7.始まりのお客様
「――そういうわけでお姉様。カルロ様は、私と婚約し直す事になったから。」
「そんな……!」
そう言って、異母妹のラウラは嫌な笑みを浮かべながら、これ見よがしに『婚約者』カルロの腕にしがみつく。そこは本来、自分が――…このマルカート伯爵家の正当な長女・アリーチェがいるべき場所だった。
「カルロ様っ、今のお話は本当の事なのですか⁉だってわたくしたち、幼い頃からずっと…」
「ごめん、アリーチェ……。」
アリーチェが訴え掛けると、“婚約者”のカルロは気まずそうにフイと顔を背ける。
……確かに自分たちは、ご多分に漏れず家同士の決めた関係だった。最近伯爵家に入って来たラウラが、やけに彼に馴れ馴れしくしているという事も知っていた。
だけどこれまで婚約者同士、上手くやって来たと思っていたのに。なぜ――…??
途方に暮れ、アリーチェはその場にへたり込んだ。するとラウラが彼女に向かい、勝ち誇ったように告げた。
「仕方ないじゃない。カルロ様は私を愛しているんですって!まぁ、真面目だけが取り柄のお姉様じゃ、飽きられて当然かもしれないけど。」
異母妹は今日も媚を売る気満々といった服装で、アリーチェを見下ろし気分よさげに笑っている。その姿を今は亡き母が見たら、「何てはしたない!」と叱っていた事だろう。
……しかし、今いる継母は彼女と同じような服を好み、母娘揃ってはしたないという感覚など持ち合わせてはいない様子だ。
「で、でも……」
「あーもう、しつこいわねえ。お姉様はカルロ様に捨てられたの!婚約は家同士の決め事だし、姉妹どちらだって構わないの分かるでしょ?安心して。この伯爵家は、私がカルロ様と継いであげるから!」
笑い声を立てながら、ラウラは再びカルロと腕を絡ませ部屋を出て行った。残されたのは、へたり込んだまま立ち上がる気力もないアリーチェただ一人……
ぱた、ぱた、と床に涙がこぼれ落ちる。
「……っ…うっ…………お母様……!」
アリーチェはそのまま突っ伏すと、静かに泣いた。
――アルベロヴェッタ王国の王都にある、一つの大豪邸。ここは先日、王太子との婚約を破棄されたばかりの傷物令嬢・マリアローザ個人の屋敷である。
家主が越して来てまだ日も浅いというこの日、早くも客人が尋ねて来ているようだ。
「ようこそお越しくださいました、エレナ様。」
笑顔で出迎えるマリアローザに、友人のエレナもとびきりの笑顔を返す。
「ごきげんよう、マリア様。王宮からスパイに伺いました。」
「……。」
さらりと告げる爆弾発言……。マリアローザは一瞬面食らって目をぱちくりとさせた後、「プッ」と噴き出した。
「…ふふふふ……まあ怖い!それではスパイ様、どうぞ中へ。」
エレナの、こうして笑顔で平然とブラックジョークを言うようなところが好きなのだ、とマリアローザは思った。
もちろんだが、彼女は全て分かった上でギリギリを責めている。ただの『品の良いお嬢様』では、こうはいかないだろう。王太子妃に推したのは間違っていなかったと確信する。
今日はそんなエレナに新居を案内しようと、ここへ招待したのだ。
「本当に素敵なお屋敷ね。まだ越して来て間もないというのに、この庭園も実に立派な事。資料で確認するだけでは、想像が付きませんでしたわ。」
「でしょう?わたくしも同じ意見です。百聞は一見に如かずとは、まさにこの事ですわね。全てを視察しておくのが理想ですけれど、王室所有地は数多くありますから。」
ありふれているようで、同じ王室の教育を受けた者同士にしか通じない会話が始まった。
「王宮からも近いですし……ここをお選びになるあたり、陛下の本気の度合いが分かりますわね。」
「ええ。わたくしとしても、良い所を頂けて満足ですわ。」
一通り庭園などを案内して歩いた後、邸宅の中にある明るい応接室へと向かう。窓から見える景色も良いそこには、すでにお茶の準備が整っている。
早速お菓子などを口にしながら、一切他人の目を気にする必要も無い、楽しい女子会の始まりだ。
「それにしても。マリア様の事ですから、三日もすれば隠居生活にも飽きてしまうのではないかと心配していましたのよ。」
これまでのマリアローザは、役立たずの分も担って日々忙しく活動して来た。それが突然、何もする事が無くなってしまったのだ。調子が狂ったりはしていないだろうか……?
エレナは改めて彼女の全身に目を向ける。
肌のつやも良く、見るからに元気そのものである。
「……エレナ様。わたくし、この生活を始めてとんでもない真実に気付いてしまったのです……」
マリアローザはテーブルに両肘を突き指を組むと、深刻そうな表情で語り始めた。
エレナは思わず、ごくりと唾を飲み込む。“とんでもない真実”、とは……
「――“自堕落は三日で抜け出せなくなる”!!」
「……えっ??」
エレナはパチパチと目を瞬かせた。
「実は、わたくしも初めの三日は少し戸惑いがあったのです。何かしなければならないのでは?と心のどこかで思ってしまって……。しかし!何気なくぼんやりと過ごしてみたところ、驚くようなスピードで時間が過ぎ去って行くではありませんか‼それはもう、恐ろしいほどに…。想像出来まして⁇わたくし、楽をして貴重な時間を無駄に消費してしまったのよ!……その時、初めて知ったのです……」
フウ、と一つ息を吐いたマリアローザは、カッと目を見開く。
「何という背徳感‼この世にこれほどの贅沢があったのか、と……!!!」
それ以降、沼に嵌って抜け出せなくなったのだと彼女は言う……。「怠惰は甘い毒」である、と――…
……“あの”、マリアローザが……
怠惰とは本当に恐ろしい毒だ、とエレナは思った。
「――……ふふっ。でも、お幸せそうで安心しましたわ。」
思わず笑みがこぼれた。これは嫌味でも何でもない。彼女の本心である。
勿体ないと言えばそうなのだが、早くから苦労の多い時間を過ごして来たのだ。これからは本人の心のままに生きて行けばいい――…。友人として、エレナはそう思っていた。
「エレナ様はいかがお過ごしですの?シルヴィオ殿下はお元気⁇」
「ええ。公務は少し増えましたけれど、さほど変わりありませんわ。殿下は王太子として、腹を括られたそうです。以前よりも精力的に活動なさっていますわ。」
「素晴らしい!王太子はそうでなくては。」
ふふふ、と笑い合った二人は、同じタイミングでお茶を飲み喉を潤す。
それからカップを置いたエレナは、真面目な雰囲気を醸し出した。
「――…陛下が、監視を付けたようです。」
「でしょうね。想定内ですわ。」
そう言って、マリアローザはもう一度お茶に口を付ける。
「放置なさるの?」
「ええ、そのつもり。刺客でないなら、問題は無いでしょう。むしろ定期的に陛下へ報告を上げてくれるのですから、わたくしの手間が省けて有難いくらい。“今日も一日マリアローザはダラダラと過ごしていました”、とね。」
王太子妃としては憚られるくらいに、エレナは声を立てて笑った。
「エレナ様こそ。そんな事を本人にばらしてしまって、よろしいの?」
すると彼女はパチッと片目を閉じて答える。
「わたくし、二重スパイですから。」
「まあ怖い。」
二人は再び噴き出した。
本当に、今日は何て楽しい一日だろうか。煩い人々から隔絶されたこの場所で、マリアローザたちは思う存分に笑い合い、喋った。
そんな中、「ああそうだ」とふと思い出したエレナが口火を切る。
「あの方々のその後は、ご存知?」
「“あの方々”??」
「ロベルトさんたちの事ですわ。」
「……ああ!」
マリアローザは言われてようやく思い出した。
婚約破棄してやる!と息巻きながら、望みは叶ったものの多くを失う事になった「元王太子」ロベルトと、その浮気(?)相手・ソフィア……
「新生活に夢中で、すっかり忘れていましたわ。まあ、その後の動向など興味が無いのも事実ですけれど。」
「そうですわよね。分かりますわ。…ならば、単なる世間話という事で――」
そこで彼女が語ってくれた話によれば、あの後ロベルトは王族としての一切を放棄するという宣誓書を書かされ、無事王家を追放されたそうだ。そうして向かった先は――…
ソフィアと共に、彼女の実家の子爵領にある片田舎らしい。
「まあ!あの二人、本当に真実の愛とやらを貫いたのね。それは見上げたものですわ。」
「……まあ、陛下がかなり強く、子爵に“お話”をなさったようですから。」
要するに、これ以上妙な事を仕出かさないようしっかり見張っておけ、と……。おまけにこちらにも監視が付いているらしく、当然と言えば当然の事か。
そして二人静かな場所で、仲良く慎ましい暮らしをする事になったそうな。
「ふふ……良かったではありませんの。“真実の愛”がどれくらい持つのか、知った事ではありませんけれど。」
「お二人、田舎暮らしが性に合っている事をお祈りしましょう。」
…――そんな楽しい時間は、あっという間に過ぎ去って行く。忙しいエレナが、王宮へと帰る時間がやって来たのだ。
馬車に乗り込む直前、彼女は一つマリアローザに尋ねた。
「そういえば、あの若い使用人……執事かしら?なかなか良い者を雇っていますわね。ご実家から連れていらしたの?」
「?いいえ。ここの者は、全て新しく集めた者たちですわ。」
「まあそうでしたの。さすがマリア様、目利きですわね。わたくしが花を摘みに行った時の対応、完璧でしたわよ。」
「リノが⁇……へえ。」
あの軽い執事が、この王太子妃に褒められるとは……。なかなかやるではないか。どうやら言い付けはきちんと守られているらしい。マリアローザは安心した。
走り去る馬車に手を振りつつ、今この場にいない彼を後で褒めてやらなければ、と彼女は考えていた。
「――うん?あれは何かしら……」
エレナを乗せた馬車が屋敷の門を出る時、彼女は窓の外に妙な人影を見た。
上半身に布を被って顔を隠し、ウロウロとしている怪しい人物――…
『……まあ、こちらにも当然警備はいるはずだし、わざわざお伝えする必要も無いわね。』
馬車はそのまま、王宮へと向かった。
それから少し後の事――…
「マリアローザ様~!門の前に不審者がいたんでえ、とっ捕まえて来ましたァ!」
リビングのソファでだらけているマリアローザの前に、相変わらずの軽い調子でリノがやって来る。満面の笑みで、しかもその腕の中には――布で上半身を隠した、見るからに怪しい人物が……
驚いた彼女は飛び起きて、頭痛のする頭を押さえた。
「――…リノ……。貴方、どうして不審者をわたくしのところへ連れて来てしまうのっ!!」
前言(?)撤回。マリアローザは褒める予定を取り止め、指導する事に切り替えた。
「えー、だって大丈夫ですもん。ホラッ!」
彼は不審者の布を剥ぎ取った。「…きゃっ…」という小さな高い声がして、その顔が暴かれる――…
マリアローザはハッとした。――この人物、知っている。一目見てそう思ったのだ。
「貴女は…………マルカート伯爵家の、アリーチェ様??」
気まずそうな、申し訳なさそうな顔をして、彼女はマリアローザの方を見た。