5.傷物令嬢は完全勝利する
「この条件の下、100分の1への減額に応じます。いかがでしょう、陛下?」
慰謝料を減額するための条件――マリアローザは、それに王太子の追放と第二王子の立太子を望んだ。
国家予算の半分なんて、端から貰うつもりなど無い。マリアローザの本当の目的は、実はこっちの方だった。
「…そう来たか……」
国王は呟くと頭を抱える。一方で、王の反応を見た貴族らは自分たちの取るべき態度に困り、ざわつくどころかむしろ水を打ったように静まり返った。
――しかしただ一人、マリアローザに指を差された王太子だけは当然のごとく憤慨している。
「……っ何を馬鹿な事を!!マリア貴様、自分が引きずり降ろされる腹いせに私まで道連れにしようという魂胆だな⁉王族に対する冒涜だぞこれは‼父上、早くこの者に厳罰を…」
「お前は黙っていろ!!」
「はひっ……」
国王が激しい剣幕で声を荒らげると、現王太子は思わず尻餅をついた。
どこまでも情けない姿を晒す奴だ……。ただ、それもこれもマリアローザの言う通り、自分たちが見過ごして来た事が全ての元凶である。そのツケが、この大事な時になって回って来てしまった。
国王は深い溜息を吐く。
これは不味い。かなり不味い事態だ。
もはや婚約破棄は免れないだろう。だとしても、絶対にどうにかしなくてはならない重大な問題が、一つだけある。
「――…マリアローザ嬢。ところで、この取り引きが成立した暁には、その後どうするつもりなのかね?」
今さっきとは打って変わり、国王は穏やかな笑みを浮かべ彼女に尋ねる。マリアローザは空を見ながら考えた。
「その後でございますか?そうですね……、王太子妃になる直前で婚約破棄されるという恥を、こんな大勢の方々の面前で晒す事になってしまいましたから。実家にも申し訳ない思いで一杯ですわ。その贖罪として、まずは家を出ようと思います。そして、領地でひっそりと隠居でもしようかと考えておりますわ。」
今の話に、嘘偽りも誇張も無い。実際、マリアローザは何もかもが嫌になっている。これから先は、ゆっくり静かに暮らしたい――…。そのための基礎となるものを、今一生懸命に作っている最中なのだ。そして、それもついに大詰め……
「……では、もしも私が全ての取り引きを拒んだら……?」
国王が、今度は探るように、慎重に質問をする。マリアローザは真顔で答えた。
「――国を出ます。ロベルト国王陛下とソフィア王妃殿下では、わたくしが多額の慰謝料を取らずともすぐに崩壊しますもの。泥船が沈む前に安全圏へ逃れるのは、当然の事ではございませんか?」
その言葉に、またもやざわつき始めたのは貴族たちだ。
これまで彼らは、どこか他人事だと思ってこの騒動を眺めていた。しかしよく考えてみれば、『王太子の結婚』は自分たちの将来にも影響する……。その事にようやく気が付いたのだ。
「陛下。お言葉でございますが、わたくしの提案を呑んで頂く事が現状、最善であると考えます。第二王子殿下であられるシルヴィオ様は大変思慮深いお方ですし、何よりも“エレナ様”という素晴らしいご婚約者様がおられます。彼女であれば、きっと申し分ない国母になられる事でしょう。僭越ながら、わたくしが保証いたします。」
現王太子・ロベルトは、この婚約破棄の主導権を握っているのは自分だと思っていたのだろうが、実は根本から間違っている。今日この日が来るよりもずっと前から、マリアローザはいざという時のための対策を講じていた。
――それが、『王太子のすげ替え』である。
王太子の婚約者となって長いという事は、その周りの人間との付き合いも長いという事。マリアローザは長きにわたり、第二王子とその婚約者の人となりをも見続けて来たのだ。
特に、王弟となるシルヴィオの婚約者・エレナとは、共に辛い教育を乗り越えて来た戦友のような関係である。その結果、万が一の場合、彼らにならば後を任せられるという強い信頼と確信を得ていた。
浅はかなロベルトが、大人しく傀儡の王になる道を選んでいればこの計画は破棄されていただろう。だがなまじ行動力だけはあったがために、マリアローザをその発動へと踏み切らせるに至ったのだ。
そしてとどめは、今日この場で醜態を晒し続けた彼自身の姿。これを見た人々は、こう思っただろう。
――『こいつが王になれば国が滅ぶ!!』――
「――ッ陛下!」
「陛下!!」
国王のもとへ、目の色を変えて焦った貴族たちがワッと群がって来る。
「ロベルト殿下をご廃嫡に!!」
「次代の王に相応しいのはシルヴィオ殿下でございます!」
「どうか、マリアローザ嬢の条件をお呑みくださいますよう……‼」
「陛下、ご決断を!!」
「陛下!!!」
もはや慰謝料どうこうではなくなった。もっと切実に不味い事態が進行している……。マリアローザは王宮を去り、王弟には権限が無い――。このままでは、彼女が言うように待っているのは泥船だ‼
護衛騎士たちが「やめろ、離れろ」と言うのも聞かず、押し寄せる貴族たちの懇願は後を絶たない。全ての事に気付いてしまったからには、彼らはもう、後戻りなど出来なかった。いや、たったの国家予算100分の1であのポンコツ王太子を排除出来るのだ。何てお得な話なんだ、と息巻いている。
「ム……ムウゥ……」
国王は困惑している。そうだろう。しかし、彼女は彼を折らせるために人々を扇動したわけではない。この状況は、あくまでもおまけ。
『……付き合いが長いのは、陛下。貴方様とて同じ事……』
マリアローザは分かっている。仮に貴族たちが反対しようと、国王はこの取り引きに応じざるを得ない。
彼が何を考え、何を恐れているのか。彼女にはそれが手に取るように分かるのだ。――これも、あの王妃教育の賜物である。何だ、意外と役に立っているじゃないか、とマリアローザは考えを改めた。
それでも、無くて困る事は無かったはずだ。あんなに辛い思いをしなくたって、今頃その辺のいち令嬢と同じようにして生きていたのだろうから――…。慰め料くらい、貰ったところでやっぱり罰は当たらない。
「陛下!」
「陛下!!」
貴族たちの突き上げは、激しさを増す。国王はその顔に苦渋を滲ませる……。
彼の思惑では、何だかんだで今頃マリアローザが全てを解決し、元の鞘に収まっていたはずだった。……それがまさか、彼女がこんな行動に出るとは……!見通しが甘過ぎた、と国王は悔やんだ。
「…………よ、よしマリアローザ嬢!ならば、こちらからも一つ条件がある!!」
「何でしょう、陛下。」
「そなたが暮らす家はこちらで提供しよう、もちろん無償でな!王都の一等地、広さも他の貴族らに引けを取らない場所だ‼何せ王室の所有地だからな、どうだ悪くないであろう!?」
……それは、彼女が呑まなければならない条件、と言えるのだろうか……。貴族たちは、王の方がついに壊れたと思った。
「その代わり、他に居を移す事は固く禁ずる‼国外はもっての外!良いな!?」
ふむ、とマリアローザは考える振りをした。それからにこりと微笑んだ。
「ええ、構いません。呑みましょう、その条件。」
――そうだ。“それしか、方法は無い”。
正直、国家予算の半分だろうが100分の1だろうが、ロベルトの廃太子すらも「彼」にとっては些末な事なのだ。それよりも重大な事……この婚約が破綻した以上、何としてでも確保しておかなければならない。
ありとあらゆる情報を仕込んだ「マリアローザ」という、歩く国家機密を――…
国王ならば、そう考えるだろうと彼女は読んでいた。
『……政争の具にされるのは、もう沢山なのよ。貰うものは貰ったし、きちんと始末もつけた。後は提供してくださる屋敷に籠もって、悠々自適な隠居生活でも嗜むとするわ。ひっそりと暮らせば、陛下だって文句は無いでしょう?』
全てが馬鹿馬鹿しくなった彼女が目指したゴール。それは、面倒事の一切を捨て去り、静かな生活を手に入れる事――…。マリアローザは、見事それらを勝ち取る事に成功したようだ。
「――では、全ての条件を履行し、この婚約破棄を認める事とする!!」
マリアローザの成人祝いパーティーの会場に、国王の宣言が響き渡る――…
主役であったはずの“王太子”ロベルトは、今やすっかりモブも同然。この婚約破棄劇は、完全にマリアローザと国王のものとなっていた。
彼女は、もうすぐ正式なモブとなる現王太子の方を向いた。
「良かったですわね、ロベルトさん。貴方はこれで、自由に“真実の愛”を貫く事が出来るようになりましてよ。一介の民は一夫一妻制ですものね。――それでは皆様、ごきげんよう!」
めでたく『傷物令嬢』となったマリアローザは、晴れ晴れとそう言って颯爽と会場を後にしたのだった。