4.駆け引き相手は国王陛下
国王はここまで、高みの見物をしていた。
優秀な婚約者のマリアローザが、あの王太子をどう飼い慣らしてくれるのか……。それに興味があったのだ。
だからこんな展開、望んでいない!!
「こ……国家予算の、半分……!?」
思わずその言葉が、誰の口をも衝いて出た。
さすがに有り得ない。あのマリアローザが、乱心した。……いや、乱心するなという方がおかしいのか……
とにかく、それだけ腹に据えかねているという事なのだと、その場にいる者たちはみな思った。
「お、おいっ!冗談だろう、国家予算の半分だなんて……本当に頭がおかしくなったんじゃないのか!?」
青い顔をしたロベルトが喚くように言う。
「冗談ではございません。予定通り王妃になっていれば、わたくしには将来それだけの額を左右する決定権がありました。……いいえ。実際には……ほぼ全額が、わたくしの裁可の下にあったでしょう。殿下はあまり、政治にはご興味が無いご様子ですからね。」
「そ……それは……その……」
しどろもどろになるロベルトだったが、ハッとして反撃をする。
「だが今はまだ父上が国王ではないか‼国家予算の決定権は、父上たちにある!!貴様の論理は通用しない!」
「確かにそうですわね。ですが……失礼ながら陛下には、“王太子”に対する監督責任があったのではございませんか?王室が決めた婚約を、殿下の不義により反故にする……。これをお認めになるのであれば、陛下がその責任を負われるべきです。しかも罪の無い我が侯爵家の面目をも潰す事になるのですから、それ相応の補償はあって然るべきかと。」
だとしても、国家予算の半分というのは無理がある……。周囲の貴族たちも口々にそう言い合った。パーティー会場は、もはや騒然とした空気に包まれている。
そんな周囲の雑音を気にする事も無く、マリアローザは今度はソフィアの方を見た。
「ソフィア嬢。」
ドキリとして、ソフィアは思わず姿勢を正す。
「はっはいっ!?」
「先ほども言った通り、貴女のご実家にも慰謝料を請求いたしますからね。」
「こ、国家予算の半分なんて、いくら何でも無理ですよぉ〰〰!」
「当たり前でしょう、そんな事。後ほど、子爵家の財政状況に見合った額をお伝えします。わたくし、その辺りはよく存じていますのよ。」
マリアローザはそう言ってにっこりと微笑む。各貴族の財政状況など、とうの昔に把握済みだ。これも厳しい王妃教育の賜物である。
「……ああ、そうそう。ソフィア嬢は王妃になるのでしたっけ?わたくし、その教育には十年ほど掛かっていましてよ。今からとなると……寝る間を惜しむどころでは済まないでしょうねえ。わたくしは物差しで叩かれる程度で済みましたけれど、貴女は体に鞭打たれながら励む事になるのではないかしら。お頑張りあそばせ。」
今度は悪役のような笑みを浮かべ、マリアローザは言った。ソフィアは青ざめた。脳内がお花畑のような彼女でも、マリアローザが厳しい王妃教育を受けて来た事くらいは知っている。しかし、自分がその立場になるという事にまでは考えが及んでおらず、言われて初めてその現実に気付いたのだった。
ソフィアは悲鳴を上げる。
「…い……いやあっ!殿下、私、王妃様になんてなりたくないです〰〰!!」
「な……ソフィア⁉」
泣き付くソフィアに、ロベルトは動揺した。そして困った挙句、マリアローザの方を向いた。
「マリア……。分かった、ならば結婚は君としよう!王妃は君だ!!ソフィアは側室、それがいい。そうすれば元通りになるし、慰謝料の件も無しという事で全てが丸く収まるじゃないか‼」
名案だと言わんばかりの表情。ソフィアもぶんぶんと首を縦に振っている。……なんて虫の良い連中だろうか、とマリアローザは冷ややかな目を向けた。さっきその提案を無下に却下したのは、どの口か。
「今さら御免被りますわ。わたくしは先ほど、再三にわたり申し上げたはず。その際の説得に応じず、考え直さないとおっしゃったのは殿下でしょう。王太子に二言があっては困ります。婚約破棄は、絶 対 です。」
「そ、そんな…そこを何とか……!」
「くどい!!」
すがる王太子を、マリアローザはバッサリと切り捨てた。もはや傍目に映るのは、捨てられているのがロベルトの方である。
「ま、待てマリアローザ嬢!」
声を上げたのは国王だ。これまで黙って成り行きを見ていた彼だったが、ここまでの事態となれば、さすがに口を出さざるを得なくなったようだ。
「……我が息子の非礼と失態については詫びよう。放蕩を許した私の責任も重々承知している。だが……ロベルトも反省しているようではないか。こう言っている事だし、考え直しては貰えないだろうか?」
すると周りの貴族たちも国王に同調した。
「そうですぞ!これからは殿下も心を入れ替えてくださるに違いない!」
「しかもあの慰謝料は、額として非常識にも程がある‼」
「我が国が破綻してしまうではないか!!」
……どちらかと言えば、臣下たちが気にしているのは有り得ない請求額の慰謝料の方らしい。それに対する非難が殺到する事くらい、彼女に予想出来なかったわけは無い。
マリアローザはほくそ笑む。……さて、肝心なのはここからだ。
「申し訳ございません、陛下。わたくし、“結婚するくらいなら死んだ方がましだ”とまで言われて許せるほど、人間が出来ておりません。」
「くっ……」
国王は、余計な事しか言わないバカ息子を睨み付けた。
「し……しかしだマリアローザ嬢、ここで婚約破棄してしまえば、そなたにはこれより良い縁談など望めないであろう?いや、劣悪な条件の相手からしか来なくなるのではないか⁇」
少々脅迫めいているが、一国の王ならばそれくらいはやるだろう。退屈なほど、想定の範囲内だ。
「ええ、おっしゃる通りです。わたくしは傷物となり、結婚市場では酷く価値が下がってしまいました。」
誰かさんのおかげで、と彼女は視線を返す。
「ですから、そのための慰謝料ですわ陛下。わたくし、結婚は捨てました。あれは、生涯独身を貫くために必要なものなのです。」
すると、国王ではなく会場にいる貴族たちから反論が出た。
「令嬢一人の生活費として、国家予算の半分とはおかしいではないか‼」
「――それは、わたくしの精神的苦痛への補償も含まれた額という事です。」
誰か分からない発言主へ、マリアローザはぴしゃりと返す。王太子の浮気などどうでもいいが、辛い王妃教育に耐えた事への褒賞くらいは貰いたいものである。
「加えて言えば、国家予算の半分とは年間の額。それを一度に渡せとは申しておりません。また、仮に一旦その額が消失したからといって、我が国はすぐには破綻いたしません。それだけの余力がある事を、皆様ご存知無いのですか?」
貴族たちは、気まずそうに互いを見合った。……ご存知無かったらしい。
今この場に、自分と同じくらい血反吐を吐くような思いをしてそれらを学んだ貴族が、一体何人いるだろうか?――高が知れているその事を、彼女はよくよく理解していた。
「……ですが、わたくしも鬼ではありません。身を切られるような判断ですが……一つ条件を呑んで頂けるのでしたら、減額に応じる用意がございますわ。それで、国家予算半分のところを、100分の1にまで下げても結構です。」
その提案に、会場がまたもやどよめいた。
国家予算の半分を100分の1に……これは破格の減額ではないか!!――と……。
その価格を前に、予算額を正確に知っている者も知らない者も目の色を変えている。誰もが、とっさに「それがいくらなのか?」という計算までは出来なかったようだ。ちなみにこの国の国家予算の100分の1とは……
令嬢が優に一生遊んで暮らせるほどの額である。
「へっ、陛下!この婚約はもう破綻しております‼ここでマリアローザ嬢の提案に乗っておかれるのが賢明かと……」
「この機を逃せば、また半額を要求されるやもしれません!」
臣下たちは浮き足立っている……。まだ彼女の『条件』とやらが何かも分かっていない、というにも拘わらず。
国王は焦りを滲ませる。
「……それは、まずは話を全て聞いてからだ!してマリアローザ嬢、その条件とは何だ??」
「はい、陛下……」
口元ににやりと笑みを浮かべ、マリアローザはある人物を指差した。
彼女の指は、真っ直ぐにロベルトを示している。
「ロベルト殿下の廃太子、及び第二王子シルヴィオ殿下の立太子でございます。」