39.根回しは楽し
このアルベロヴェッタ王国に存在している数少ない公爵家の一つ、バルベリーニ公爵家――。
元王太子の元婚約者であり元侯爵令嬢でもあるマリアローザは、この日その屋敷を訪れていた。……ここの次期公爵と会うために。
「ご無沙汰しております、アルベルト様。本日は面会に応じてくださり、ありがとうございます。」
ソファに座ったまま、マリアローザはにこりと微笑んだ。ここは公爵家の応接間。
向かいのソファには目当ての人物が座っていて、またその隣には、一人の女性が同じように座っていた。彼と同じ年頃の、綺麗な人である。
アルベルトに挨拶をすると、次にそちらへも目を向けた。
「キアラ様も、ごきげんよう。」
相手の女性は微笑み返す。
言うまでもないが、その『キアラ』というのはアルベルトの妻である。要するに、次期公爵夫人となる人物だ。
――正確には、今日はこの二人に会いに来ている。
公爵は忙しく、そう簡単には会えないだろう。そこで狙い目なのが、彼らだ。
次期公爵ならば、ある程度都合も付き、家への発言権も持っているはずである。言質を取るには最適だった。
ちなみにだが。
彼女まで同席させているのは、いくら屋敷内とはいえ、夫が若い女と二人きりで会っていては気分が悪かろうという配慮――…からではない。
これからしようとしているのは、公爵家の今後に関する話である。将来公爵夫人となる彼女にも、大いに関係する事だ。ならば、キアラの意見も聞いておこうとマリアローザは考えたのだった。
「本当に、お久し振りでございます。いつ以来かな?」
穏やかな笑みを浮かべ、アルベルトは隣の妻へ話を振る。
「確か……マリアローザ様が、まだご婚約されていた時ではなかったかしら。ほら、半年ほど前の。王宮の夜会で。そうではありませんでしたか??」
彼女もにこやかに、今度はこちらへ話を振って来た。マリアローザも同じようにして返す。
「まあ。ふふ。お二人とも、そう畏まらないでくださいまし。わたくしはもう、ただのマリアローザなのですから。」
応接間にはゆったりとした笑い声が響いていた。ほのぼのとして、一見和やかな団らんのようである。
おもむろに、アルベルトはお茶の入ったカップを手に取った。
「――“ただの”、とはご謙遜を。お噂はかねがね伺っておりますよ。」
そう言って、一つ口を付ける。その顔には含み笑いを浮かべているのだが……
目が、笑っていない。
雲行きが少々怪しくなって来たようだ。
「あら、嫌ですわ。どんな噂でしょう……こんな隠居の身で、お恥ずかしい。」
「またまた……。現在も王室には多大な影響力をお持ちのようで。なかなか派手にご活躍されているそうではありませんか。」
「買い被り過ぎです、アルベルト様。」
――やはり。次期公爵夫妻ともなると一筋縄では行かないようだ、とマリアローザは思った。
キアラの「まだご婚約されていた時――」から始まって、アルベルトの「現在も王室には多大な影響力をお持ちのようで」に至るまで……なかなかどうして、初っ端から煽ってくれるものである。――…高位貴族の会話は、こうでなくては。
マリアローザは、懐かしさからふっと笑みがこぼれた。
「わたくしなんて、昔のよしみで王太子殿下とそのご婚約者さまに懇意にして頂いているだけですもの。」
「そのお二方と懇意に出来る事自体が、普通はとても難しいのですよ。実に羨ましい限りだ。」
「まあ!褒め上手でいらっしゃいますわ。公爵家の後継者様であれば、そんな機会などいくらでもありましょうに。」
牽制の応酬。「ふふふ」「ははは」と、殺伐とした楽し気な笑い声が響いている。こんなやり取りは久々で、なんて刺激的!――が。
「……さて。回りくどいお話は、この辺りまでにして……そろそろ本音で話しませんこと?お互い、そう暇でもないでしょう。」
彼女はずばりと切り出した。貴族構文を続けてもいいが、そろそろ怠くなって来たのだ。さっさと話を進めたい。
すると途端に腕を組み、アルベルトはフウと息を吐き出した。
「そうですね。どうせここには、この三人しかいない。――…そういう話が、したかったのでしょう?」
終いに彼は、ソファの背もたれにどさりと体を預けた。……そこまで気を抜いていい、とまでは言っていないのだが……まあいいだろう。
元・未来の王妃と次期公爵とは、当然旧知の間柄である。
「ええ。それではお二人に、単刀直入に伺います。――ダミアーノ様の事は、どう思っていらしゃるの⁇」
「――は??」
その言葉に彼は目を見開き、ポカンと口を丸く開けた。そして、背もたれに預けていた体を起こす。
「それはまた、“気になる異性を巡るライバルへの牽制”――みたいな事をおっしゃる。」
「どう取って頂いても結構です。わざと、どうとでも答えられる聞き方をしましたから。是非とも、忌憚のないご意見が伺いたいですわ。」
そう言って、マリアローザはにこりと笑った。アルベルトはその言葉に「ふぅん」と答えると、暫し探るようにして彼女を見る……。
すると、彼の隣に座っていたキアラの方が、先に口を開いたのだった。
「――そうですわね。あの方は、いつまでも若い感性をお持ちで……。とても羨ましく思いますわ。有り体に言えば――…」
彼女は、手に持っていたカップをカチャリとソーサーの上に置いた。
「いつになったら大人になるのかしらね。」
ぴしゃりと早口で言い放つ。それまで浮かべていた笑みは消え、キアラはひやりとした真顔になった。言うまでもなく、義弟について良い印象は持っていないようである。
夫の方は、やってしまったと言わんばかりに顔を覆った。
「キアラ……。お客様の前で、何という事を言うんだ。」
「あら、アルベルト。わたくしこれでも、だいぶ抑えている方ですのよ。褒めて欲しいくらいですわ。」
さっきまでのしおらしい姿はどこへやら……。キアラは少しむくれ、プイとそっぽを向いた。
「それに。わたくしはきちんと時と場合を考え、言葉を口にしています。誰かさんとは違ってね。」
彼女は横目でじろりと夫を見た。彼はたじたじとして、返す言葉が見付からない。
そんな二人に、マリアローザは尋ねた。
「その、“誰かさん”というのは――」
「もちろん、我らが愚弟の事ですわ。」
「おい、キアラ!」
躊躇いもなくキアラは答え、アルベルトはそれを咎めた。大方、家の恥を晒すな――といったところだろう。
そして、それに怯むような彼女ではなかった。妻は夫の方へ体を向ける。
「お言葉ですけれど。貴方、マリアローザ様がここへ何をしにいらしたのか、見当は付いていまして?」
「何だ、急に……。」
「この方がなさりたい話について、予想はしているのかと聞いているのです。……それが何なのか、わたくしには大体の察しが付いていますわ。」
察しが付いている?彼女が??なぜ――。アルベルトは戸惑った。それに、まさか味方に問い質されるとは……。
そこで、改めて考えを巡らせてみた。
「……ダミアーノの事を聞いて来たのだから、あいつについての話だろう?」
「詰めが甘い!……これだから殿方は……。それでは半分しか正解していませんわ。ねえ、マリアローザ様?」
キアラはパチッと片目を瞑り、こちらへ目配せをして来た。どうやら彼女には、本当にマリアローザの目的が分かっているようである。
最初にあんな牽制をして来たから、こちらに対して良い感情を持っていないのかと思ったが……。あれは単なる貴族式のきつめの挨拶、小手調べのようなものだったらしい。
「え……ええ、そうですわね。ダミアーノ様に関するお話ですけれど、あの方のために来たわけではありませんから。」
「……あいつに関する事だが、あいつのために来たわけではない……。まるでなぞなぞだな。」
「わたくしは別に、なぞなぞをしているつもりはないのですけれども。はじめにお尋ねした事が全てです。アルベルト様は、弟君の事……どう思っていらっしゃるのかしら?」
話は、振出しに戻った。そういえば、自分はまだその事について答えていない。アルベルトはそれを思い出した。
彼は一つ溜息を吐いてから、口を開いた。本音で。
「――…正直、困っている。いい加減にしろと言いたい……いや、しょっちゅうそう言っているんだ!」
吐き捨てるような台詞……。今の短い言葉の中に、知りたかった事がほとんど全て詰まっていたようだ。
「なるほど。それはつまり……あの方の、女性関係について。ですわよね?」
「…………いかにも。」
アルベルトは、不貞腐れたような目を向けて来た。
「全く!!ジョゼフィーヌ嬢との結婚が間近だというのに、未だに他所の女にうつつを抜かして……。しかも相手は男爵令嬢だと⁉……そろそろ身を固める時期だぞと窘めたら、アレは何と答えたと思う⁇」
「――“兄上!私は真実の愛を見付けたのです!!”――でしたわね。」
「馬鹿か!!馬鹿なんだな!?」
――…流れるような、見事な掛け合いである。さすがは夫婦。マリアローザは思わず感心していた。
そして、怒涛のような鬱憤だった。
「その馬鹿を、ここまでつけ上がらせてしまったのはなぜなのです?」
マリアローザは笑顔で尋ねる。言い出しのアルベルトも、それにはさすがに唖然としてしまった。
「びっくりするほど遠慮も容赦も無いな、君は……」
でも、まあいいか、と彼は心を落ち着ける。そして思い返してみた。
「……そうだな。我が家の考え方が甘かった、としか言いようがない。アレもバルベリーニの人間だ。少しくらい火遊びをしても、きちんと弁えているだろうと思い込んでいた。」
いくら次男とはいえ、ダミアーノも公爵家の子息である。その自覚はあるものだとばかり、みな思っていた。社交界では、そういう振る舞いをしていたから……。
――しかし。
あれは次男だからと、甘やかされて来た事も事実。欲しいものはすぐ手に入り、我儘を言っても許された。(主に子供の頃の話、だが……)全ては己を中心に回っている――そう錯覚して来たに違いない。
周りの人間たちも、同年代を含め誰も自分に頭が上がらない。気軽に指摘し合える「友」というものが、ダミアーノにはいなかったのだろう。それについては同情する。
だが、その結果増長し続け、自分は全て正しいのだという思考を持つモンスターが爆誕したのである。
「――つまり、モンスターの製造責任については自覚なさっている、と。」
「……マリアローザ嬢、言い方!!」
反論は出来ない。アルベルトはそう返すのが精一杯だった。
……将来王妃となるはずだったマリアローザは、公爵家の後継者・アルベルトとは、これまで何度も顔を合わせて来ている。しかし、その場にダミアーノがいた例という事が、ほとんど無かった。他の家では、あわよくば兄の椅子を奪ってやろうとでもいうのか、王太子の婚約者と懇意にしようと考えて近付く者も多かったのに……。まあ、それはそれで不穏だが。
だから彼とは、全くと言っていいほど接点が無かった。家庭内の問題に他人が……ましてや、次期王妃と目される者が首を突っ込むべきではない。それは家族でどうにかする事だ、と思って来たからだ。
「お先に一つ、申し上げておこうと思います。わたくしは、あなた方の責任を問いに来たわけではありません。」
「と、おっしゃると?」
「あの方の処遇をどうなさるおつもりか、伺いたいだけですわ。」
それは……と、アルベルトは言葉を濁す。それから再度、口を開いた。
「あの男爵令嬢とはきっぱり別れさせ、公爵家の人間としての本分を果たさせますよ!」
「それは無理ですわね。」
「なぜ貴女にそんな事を言われなければならないんです?」
“処遇”という言葉に、彼は少々憤った。……彼女はさっき、自分で自分の事を「ただのマリアローザ」と言ったくせに、何だその上からの物言いは……。そんな思いが湧いて来る。
「“別れさせる”――という事は、二人がお付き合いしていると思ってらっしゃるのね。それはまあ、いいでしょう。……ダミアーノ様は、ジョゼフィーヌ様とは結婚なさらないそうよ。婚約は、破棄されるのではないかしら。」
「…なっ……!?」
「なんでも、愛ある結婚がお望みだとかで。」
「あ い !?」
アルベルトは、素っ頓狂な声を上げて立ち上がった。
……どこまで愚かなのだ、あの弟は……。兄は青ざめる。
「――無理やり縛り付けても、無駄でしょうね。ダミアーノは意志が強いから。」
「キアラ……!」
彼は、淡々と述べる妻を見た。その顔に浮かんでいたのは、諦念だ。
「……わたくしね、ずっとジョゼフィーヌの事が不憫でならなかった。あの子は、ずっと努力をしていましたわ。それが全く実らなかった。本当に哀れで……。いずれ姉妹になったら、大事にしてあげようと思っていましたのよ。でも、そう。決めたのね、あの子。」
“あの子”……。“あの子”が、決めた??
アルベルトの頭の中は混乱した。「決めた」のは、愚弟のはずでは……
「これだから、殿方は駄目なのよ。アルベルト。」
キアラは悲し気にふっと笑った。
「いいではありませんの、キアラ様。それはつまり、わたくしの事を知らないという事ですもの。他の女からの入れ知恵が無い、という証拠かもしれなくてよ。」
「それについては心配していませんわ。この人は、真面目だけが取り柄ですもの。」
今や、社交界の婦女子で知らない者はいない。――マリアローザが、悩める者に手を貸している事を……。
それを知らぬは、婦人の話題には疎い男、ばかりである。
そんな彼女がここへ来た。それは、『誰か』の悩みに応じたという事だ。そして、ダミアーノの事を相談する人物といえば――…
という、ごく簡単な推理が成り立った。……実際のところは多少違っているものの、概ね正確と言っていいだろう。
「もう、切り捨てましょう。アルベルト。」
真剣な面持ちで見詰めると、キアラは夫に切り出した。
「わたくしたちの代になった時、身勝手な者は要りません。これ以上、公爵家の名に泥を塗る事は許されないわ。ダミアーノには、もう十分に猶予を与えました。ここが潮時です。」
これが、公爵夫人としての彼女の決断だ。すでにその自覚を持って、考えている。そして、同じ覚悟を夫にも迫った。
だがアルベルトには、まだ兄としての情があるのかもしれない。苦渋の色を浮かべ、すぐには同意する事が出来なかった。
「――…まあ、今ここでお答え頂けなくとも結構ですわ。どうぞ公爵様にもご意見を伺ってみてください。お返事は、その後で。」
マリアローザは席を立つ。そしてこの、バルベリーニ公爵邸を後にした。
『……少なくとも、公爵家がダミアーノ様を守ろうとしてはいない、という事だけは分かったわ。』
帰りの馬車の中、マリアローザは考えていた。
これからしようとしている事。それを問題無く実行するには、公爵家の許可が必要である。もし彼らがダミアーノの側につくとしたら――…計画の見直しを迫られていたところだ。
『けれど、近い内にいいお返事が届きそうね。』
何事も、成功させるためには入念な下準備がいる。そのための根回しは……
ああ、なんて楽しいのだろう。




