37.男爵令嬢VS伯爵令嬢
「なるほどね。貴女のご意向はよく分かりました。この婚約を維持するつもりは無いので、徹底的にやって欲しいという事ね。」
「はい!」
マリアローザとジョゼフィーヌの間で、合意が図られた。その時である。
「ちょ……ちょっと、待ってくださいっ!!」
突如、ここにいる者のものではない声が、この応接室の中に響いた。若い女の、慌てた声だ。
「えっ、えっ??」
驚いて、ジョゼフィーヌは部屋の中を見回す。その表情は怯えていた。無理もない。先ほどから、話の最中に時折謎の音が聞こえていたからだ。マリアローザは、「風の音」やら「ラップ音」やらと言っていたが……
「マ、マリアローザ様、失礼ですが、このお屋敷は大丈…」
ガタガタガタッ!
言葉の途中に、これまでで最大の音が鳴った。ジョゼフィーヌは叫び声上げる。
「きゃあああっ」
すると、応接室の中にあった、大きめの飾り棚の扉が突然バンと開く。そこから、亡霊のようなものがずるりと這い出して来た。彼女はもはや涙目になり、改めて叫ぶ。
「いやあああーーーー!!」
「お願いです……考え直してくださぁい…」
恨めしい声と共に、それはジョゼフィーヌの足元まで迫って来た。低い姿勢で、這いつくばるように……。そして縋り付いて来る。
「お願いしますう……婚約を…婚約を、破棄しないでくださああい!!」
ソファに座ったままのジョゼフィーヌは腰が抜け、立てない。今にも泡を吹いて失神しそうな勢いだ。
「しないーー!!しないから、どうか安らかにお眠りくださいませ!!!!」
「眠っ…えっ⁇今夜から安眠出来る、って事ですか??」
「今夜…いえ、永遠に……えっ??」
「えっ⁇」
「えっ????」
ようやく落ち着きを取り戻した二人は、ぱちくりと互いを見合った。
……この顔……見覚えがある……。ジョゼフィーヌはそう思った。
「――だっ…男爵令嬢!?」
その声に、這いつくばっていた若い女は勢いよく立ち上がる。
「はいっ!」
そしてスカートを持ち、ひらりとお辞儀をしてみせた。
「改めてご挨拶させて頂きます。わたくし、ルチアナ・デル・フルランでございます。――どうぞお見知りおきを。」
貴族令嬢として、決して恥ずかしくはない挨拶である。なんだ。やはり、やろうと思えばきちんと出来る人ではないか。――というのは一先ず置いておいて……
「ハアッ。貴女という方は、どうして勝手に出て来てしまうのかしら……。風かネズミかラップ音の、ルチアナさん?」
……ジョゼフィーヌとの話は、まだ途中の段階だったというのに……。マリアローザは大きな溜息を吐く。
それを見たルチアナは、スススと何歩か後ろへ下がり、そこから深々と頭を下げた。
「……め、面目次第もございません……。」
すっかり小さくなっている。それを指し示し、マリアローザはジョゼフィーヌの方を見た。
「ね?とっても面白い方でしょう。ルチアナ嬢は。」
そう声を掛けられたものの……彼女は魂が抜けたようにポカンとして、固まっている。どうやら脳の処理能力が限界を超えてしまったようだ。だから、段取りというものは重要な事なのに……。
『全く。ルチアナ嬢は規格外過ぎて、ままなりませんわね。どうしようかしら、この始末……』
やれやれと思いながら、マリアローザは改めて息を吐く。
当初の予定では、今日はジョゼフィーヌから話を聞くだけで終わりのはずだった。しかし、どうしてもその内容が気になると言うから、姿を隠した状態で側にいる事を許したのである。そんな訳で、近くで身を潜められる飾り棚の下の部分に、ルチアナは入っていた。
……そこで、最後まで大人しくしていてくれれば良かったものを……。
もう、なるようになれ、である。下手にこちらが働き掛けても、余計こじれてしまうだけ。
一先ずは、見守る事にしてみよう。それで、鬼が出るか蛇が出るか……
「…――ッ!!」
固まっていたジョゼフィーヌが、突然ハッと我に返った。そして、青い顔をしてこちらを向く。
「お……お二人は、繋がっていらしたのね⁉それではこれは、まさか……わたくしを嵌める罠!?」
そう来たか、とマリアローザは思う。一方で、彼女は何やらブツブツと呟いている。
「…いいえ、もしかすると、全ては公爵家が仕組んだ事で…………。――マリアローザ様は、わたくしのような者の味方だと思っていましたのに‼」
ジョゼフィーヌは嘆き叫んだ。……こういう状態になると、落ち着くまではもう何を言っても無駄だろう。それに、疑心暗鬼になるのも仕方のない事である。
「ジョゼフィーヌ様。一応申し上げておきますが、貴女を嵌める意図はありません。」
「嘘!!では、どうしてこの方がそんな所に⁉」
それは難しい質問だ。話せば長くなる。今すぐには、説明出来そうにもない。
さてどうしたものかと考えていると、後ろに下がっていたルチアナが急いでこちらへやって来た。
「本当ですっ‼公爵家は一切関係ありません!!私はただ、マリアローザ様に助けを求めに来ただけで……」
「助けを求めに!?ほらやっぱり!!わたくしを悪女に仕立て上げ、破滅に導くつもりなのでしょう⁉そんな事をしなくても、ダミアーノ様とは縁を切りますわ!!だから、これ以上苦しめようとするのはやめて頂戴‼」
「⁉違いますって!!ダミアーノ様と縁を切られては、私が困るんです!!お願いですから、元の鞘に納まってくださいませんか!?」
「嫌よ!!あんな男、政略結婚でもなければ願い下げですわ‼熨斗を付けて貴女に差し上げる!!」
「要りませェ~~~~ん!!ゴミは丁重に受け取り拒否させて頂きます!!」
「粗大ゴミなど、返されても困りますわ!!黙って受け取りなさい‼」
「貴女、伯爵令嬢ですよね⁉だったら、家同士の決め事は絶対と知ってるはずじゃないですか‼」
「公爵令息様が、婚約破棄をお望みなんです!わたくしは、それに喜んで従うだけですわ!!」
一人の令息を巡る、二人の令嬢の応酬。……うーーーーん??
何だか、話の方向性がおかしくなって来ているような……。
「……あの、マリアローザ様⁇止めなくていいんですか、コレ……」
きゃんきゃんと言い争いが繰り広げられている中、執事のリノがこそりと主人に耳打ちをする。
「ええ。もうしばらく放っておきましょう。」
そう答えるマリアローザは、なんと優雅にお茶を飲み始めたではないか。そして、その口喧嘩をのんびりと眺めている。……一体、どんな神経をしているのだろうか。我が主ながらさすがに少し引く、と彼は思った。
「でも……ほら、今にも取っ組み合いが始まりそうになってますよー??」
いくら何でも指を差すわけにはいかず、リノは目配せをして令嬢たちを示す。そこでは早くも、髪の引っ張り合いが始まっていた。
「大丈夫よ。ここに、わたくしというジャッジがいるのですもの。いざとなれば止めますわ。それにね。こういう事は、一度思う存分に吐き出してしまった方が良いのよ。本音で語るには、喧嘩が一番ですわ。」
喧嘩が一番て……。リノは呆れた。
「そんな、男同士じゃあるまいし……」
「男も女も同じです。」
「えええ……」
そんな会話の最中も、目の前では令嬢同士の諍いが続いている。
「あ、お茶のお代わりを持って来て頂戴な。お菓子もね!長丁場になるかもしれないわ。」
「ちょっと、なにワクワクしちゃってるんですかー!格闘技の試合観戦じゃないんですよ⁇」
「お黙り。ちょうど面白くなって来たところなのだから!」
おもしろ……それがマリアローザの本音らしい。
そんな事はさておき。
口論は、更に白熱していた。
「……ジョゼフィーヌ様には、あのストーカー野郎を、責任を持って鎖で括っていて欲しいんですっ!!」
相手の髪を握って引っ張り、ルチアナが言う。その顔を平手で押し返しながら、ジョゼフィーヌは答えた。
「…どうしてわたくしが、あんな男を捕まえていなければならないのっ⁉」
「貴女の婚約者だからじゃないですか‼」
「やめて!!一度破棄すると決めたら、婚約者だなんて言われると虫唾が走る‼」
「こっちだって、名前すら呼びたくないわ!!」
侍女のジーナが持って来たクッキーをぼりぼりと噛み砕きながら、マリアローザは応酬の行方を興味深く観察している。
ふむ。ありがちなのは『どちらが男の愛を勝ち取るか』という争いで、そういう類いは醜いだけだから、見ていても詰まらない。だが、これは違う。
――これは、令嬢たちによる、公爵令息の『押し付け合い』――。
そんな真逆の争いなんて、なかなかお目には掛かれない!
「あの方は、口を開けばわたくしの事を、“詰まらない”だの“普通”だのと……。こちらの努力も知らないで!!」
「そんな事に目を向けられるなら、あんな仕上がりにはなってないですよ‼人の話をまっっったく、聞かないんですから!」
「そう!そうなんですの‼公爵様が婚約者らしく振舞うよう諭しても、次の夜会でわたくしを蔑ろにしましたのよ⁉」
「エエー?最ッ低!!私なんて何度もお断りしてるのに、しつこく付きまとって来て……。男爵家が、公爵家に強く出られると思います⁇」
「それは無理よ!」
……おやおや。令嬢バトルは、どうやら新しい展開を迎えつつあるようだ。
これだから大喧嘩は面白い。
「これ……このまま公爵令息に聞かせればよくないですか?こんな事を言われてたと知ったら、私なら泣いちゃいますよぉ……」
キリキリと痛む気がするのか、リノは胃の辺りを押さえている。
「さあ、それはどうかしらね。世の中には、どんな事でも良いように変換してしまえる、ポジティブモンスターというものが生息しているの。覚えておきなさい。アレはその類いでしょうね。」
「うええ……」
彼の胸焼けは増した。
「もう、本当――…に、嫌なんです!婚約者がいるのに余所見をしているのも嫌!家柄以外にいいところなんて無いのに、謎に自信満々なところも嫌‼こちらの意思もお構いなしに、ぐいぐい来る押しの強さが……イヤアーーーーッ!!」
ルチアナの、魂の叫びがこだまする。これにはさすがのジョゼフィーヌも大層気の毒になり、思わず彼女に同情してしまった。
「……社交界でも、すでに白い目で見られ始めているし……。私、これから一体どうしたらいいんですか??怖いです……」
ついにぺたりとその場にへたり込んでしまう、ルチアナ。項垂れるその肩を、ジョゼフィーヌが優しくさすった。
「まあ……そんなに大変な思いをされていたなんて……。わたくし、何も知らなくて……」
「……仕方ないですよ……。あの男は、ある事ない事……いえ、勝手な妄想を吹聴していましたから……。ジョゼフィーヌ様だって、辛い状況にあったんでしょう?同じじゃないですか。」
「ええ……そうね。わたくしたち、話が合いそうですわ。」
これにて、喧嘩は終了だ。
「――…ほらね。下手に外野が手を出す必要など無かったでしょう。収まるところに収まったようですわ。」
マリアローザは、後ろに立つリノへ小さく声を掛ける。
「でも、これってたまたまなのでは⁇」
「そんな事はなくってよ。だって彼女たちには、共通の敵がいるのだもの――。」
ジョゼフィーヌもルチアナも、共に『ダミアーノ』という男で悩まされている。これほど強力な連帯感はないはずだ。……それが同じ方向を向いたなら――…。
「マリアローザ様。」
しばらくの間、ある意味二人だけの世界にいたジョゼフィーヌがこちらを向いた。その目には鋭い光が宿っており、強い決意が感じられる。
「わたくし、全てを思い知らせてやらなければ、腹の虫が治まりません。――ダミアーノ公爵令息に。」
「……私も。あの男の思い通りになんて、なってやるものですか!」
二人は手を取り合い、それぞれに思いを明言した。
「それが、お二方の出した答えね?よろしくてよ。そのご相談、承りましたわ。」
マリアローザは不敵に微笑む。
「では、あのお方には――…これまでのお礼として、とびきりのお返しを差し上げなくてはね。……二人分の。」
――ここに、伯爵令嬢と男爵令嬢の共闘が結ばれた。




