36.伯爵令嬢はつらいよ
“いざ行かん、伯爵家へ”――と意気込んではみたものの。
これは殴り込みではない。相手は非も無い伯爵家と、その令嬢である。当然の事ながらマリアローザという人間は、そんな所へいきなり突撃をするような、不届き者ではなかった。
まずは手紙を送り、訪問の意思を告げる。そうして後日、正式に会いに行こうという、人としてごく当たり前の手続きを踏んだのだが――…。
「いえいえこちらが参ります」と、逆に伯爵令嬢の方が我が屋敷まで足を運んで来る事となった。
考えてみれば。
彼女も、マリアローザに話を聞いて貰いたがっていた内の、一人だったのだ。
恐らくは自分の悩みを聞いて貰える番が来たのだと、勘違いをしたのだろう。無理もない。そしてその解釈は、決して間違いというわけでもなかった。
事情などを聴くという意味で言えばまあ、同じ事である。
ふむ。
もしかすると……あちらの屋敷へ出向いていたら、彼女も何か話し辛い事があったのかもしれない。例の婚約は家同士の決め事だ。屋敷の者の目を気にしながら話すのでは、本音など聞き出せなかった可能性もある。
それに。
……よくよく考え直すと、ここで話をする方が、こちらにとっても好都合――。
そんなわけで今、マリアローザ邸の応接室には、件の伯爵令嬢が訪れていた。
「――…この度は、お話を聞いてくださる事になり、大変感謝いたします。」
令嬢の開口一番、マリアローザの良心にクリティカルヒットが入る。うぐ……。
今の一撃はなかなか効いた。相手は他意なく本心から礼を言っているため、破壊力が凄まじい。
やはり、己の手紙によって、声を掛けて貰えたと思っているようだ。
「……ええ。お気になさらないで。」
他にどう答えていいのやら……。引きつった笑顔でそう返すのが、関の山である。
一先ずは侍女の淹れた茶で口を湿らせ、平静を装った。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。わたくしはアルト伯爵家の長女、ジョゼフィーヌ・フォン・アルトと申します。以後、お見知りおきを。」
案内されるがまま、一度ソファに腰を下ろしていたジョゼフィーヌは、再び立ち上がると丁寧にお辞儀をした。淑女らしい、とても見事な所作である。
さすがは公爵家との婚約を結んでいるご令嬢。
「もちろん、存じていましてよ。以前、ご挨拶をしましたものね。」
「……!覚えていてくださったのですか⁇」
「当然ですわ。」
「まあ……‼」
感激した様子のジョゼフィーヌが、両手で口元を押さえる。マリアローザの良心には、再び特大のダメージが……。何とも言えない罪悪感。
申し訳なさで、このままでは精神衛生に異常を来してしまいそうである。さっさと本題へ入るとしよう。
「ところで、ご婚約者様の件ですけれど……相当お困りのようですわね?」
「はい、そうなのです!大体の事は、手紙でお知らせした通りですわ。……あの方の最近の様子は目に余ると、わたくしの両親も頭を抱えておりまして……」
“あの方”とは、浮気相手の方ではなく、婚約者・ダミアーノの事を指しているのだろう。
「バルベリーニ公爵家には、進言をなさいませんでしたの?」
「……あちらには、何かお考えがあるのかもしれないからと、父は今のところ静観するつもりのようです。」
「なるほどね……。」
確かに。いくら娘の婚約者だからといって、伯爵家の立場上、公爵家へ抗議するというのはかなり躊躇われる事だろう。婿として迎え入れるならばまだしも、輿入れをするのはこちら側なのだ。力関係は非常に弱い。
しかも、内容は女性関係による醜聞である。公爵家を愚弄するのかと怒らせてしまったら、後々余計に面倒な事になる。
『伯爵様としては、賢明なご判断でしょうね。』
……しかし。当の本人ジョゼフィーヌにとっては、堪ったものではない。単に浮気されているだけでなく、婚約の破棄までちらつかされているのだ。家としても強く出られず、にっちもさっちも行かない状況。
そして悩んだ挙句、ここに助けを求めるしかなかったのだろう。
「――ところでジョゼフィーヌ様。本格的にお話を伺う前に……一つ、申し上げておかなければならない事がございますの。」
「……?何でしょう?」
きょとんと首を傾げる彼女の前で、マリアローザは一旦口を閉じる。それから改めて、話を始めた。
「わたくし、ただで厄介事を引き受けるほど、お人好しではなくってよ。もしも貴女のお悩みを解決する事になったら――…。それ相応の…」
「“対価”が、必要なのですよね?」
決め台詞(?)を、取られてしまった。
「え、ええ……。ご存知でしたのね⁇」
「もちろんですわ。お噂は伺っております。」
――…社交の場で、「悩み相談には対価を貰う」と宣言したのは、たった一度きりの事だ。それが、あの日あの場にはいなかった、伯爵家のジョゼフィーヌの耳にまで入っているという事は……。
『……面倒な社交を断行した、勝利ですわ……っ!!』
マリアローザは心の中で、グッと拳を握り締める。特に伝えたかった内容は、どうやら上から下まで満遍なく、広く社交界へと浸透しているらしい。ありがとう、噂の好きな小鳥たち!!
これでもう、新たに宣伝をする必要は無くなったようだ。図らずもその確認が出来てしまった。これは嬉しい情報である。
「……あの、マリアローザ様……??」
ジョゼフィーヌの声で、一人の世界に入り込んでいたマリアローザはハッとする。そして一つ咳払いをすると、話を戻した。
「――…それでは、それを知ってもなおわたくしに相談したいという事は、すでに迷いは無いという事ね?」
「はい。当然ですわ。」
伯爵令嬢はきっぱりと答える。
「分かりました。よろしい!」
それは事実上、彼女の相談を請け負ったという返事だ。すると、どこか近くで「ガタッ」と物音がした。ジョゼフィーヌは少し驚いて、目だけで部屋の中を見回す。
ここにいるのは自分とマリアローザ、彼女の執事だという青年に、自分が連れて来た信用のおける侍女だけ……。身動きなど、誰もしていないのに。
「まあ、ネズミかしら……。嫌ですわ、ホホホ。」
「ネズミッ!?」
「…いえ、風だったのかも……。」
風と聞いて、ジョゼフィーヌは上がり掛けた腰を、再びソファへと落ち着けた。
しまった……。屋敷にネズミが出るなどと、冗談としては攻め過ぎだ。元・王太子の婚約者だったくせに、どんな管理をしているのかと神経を疑われてしまう……。
実際、目の前のご令嬢は青ざめていた。
「とにかく、害はありませんから、お気になさらず。」
「はあ……」
まだ何となく晴れない表情で、彼女は頷いた。
それでは気を取り直して。マリアローザは、真剣な面持ちで彼女に尋ねる。
「ジョゼフィーヌ様。それで貴女は、どうなさりたいの?」
「えっ?」
「ご婚約者様の件に関してですわ。」
非常にストレートな質問だ。ジョゼフィーヌは戸惑う。
「……そこまでは、お考えになっていなかった?」
彼女はこくりと頷く。
しかし、これは自分で考え決めて貰わなければならない事だ。「困っているから助けて」では、助ける方もどうしていいか分からない。
「では、この婚約はどうしたいとお考えなの?」
「……それは、わたくしの一存では……」
「けれど、ここへ来たのは貴女自身のご決断よね?」
暫しの沈黙の後、ジョゼフィーヌは再びこくりと頷いた。それから、重い口を開く。
「――…わたくしは……。火遊びであれば、目を瞑るつもりでおりました。元々、愛など無い関係でしたから……。仕方のない事だと。」
「ええ、分かりますわ。」
その心に寄り添うように、マリアローザはゆっくりと頷く。
「……出来れば、円満に……想い合える間柄になれたら良いと、思っていた時期もありましたわ。」
「そうね……」
「ですが、それは無理なお話なのだと、早々に気付いてしまいました。」
ダミアーノは、かなり早い段階で、自分への興味を失くしていたようだった。
どんなに頑張って近付こうとしても、「お前って、何でそんなに普通なんだよ⁇」と、味気ないものを見る目を向けられる。普通って、何??
ならば完璧な淑女になろうと努力をしたら、やればやるほど裏目に出てしまう。
「だからさ、お前はどうしてそう詰まらないんだ⁇その辺にいる令嬢らと、一体何が違う??」
……そんな事を言われても……。
後継者ではなくとも、相手は公爵家の子息。その妻として、どこに出しても恥ずかしくない淑女になろうと励んだ結果、見本のような令嬢が出来上がったのだ。同じように励んだ彼女たちと同じようになるのは、その証拠ではないか。
だが彼は、それそのものを否定している。それは、ジョゼフィーヌという人間の否定だ。
「…………それでも、わたくしは伯爵家の娘ですから。その務めさえ果たせればいいのだと、思う事にしたのです。」
「そうね。伯爵令嬢として、とても正しいお考えですわ。」
「はい。……あちらもそうであれば、愛は無くとも、ビジネスパートナーとしてやって行ける。そう、信じておりました。」
「全く同感ですわ。貴族の婚姻において、“愛”とは副産物です。」
目蓋を閉じ、ジョゼフィーヌは頷く。……副産物に、過度な期待などしてはいけない。それはもう無いものだと、諦めている。だから愛人が出来る事は、必然だろうと覚悟していた。
「ですが……」
彼女は虚ろに目を開ける。
「あの方はどうやら、愛ある結婚がお望みのようです。――…わたくしではない、別の方との。」
その時「ゴンッ」と、さっきよりも大きな音が応接室の中に響いた。
「……風?は――吹いていないようですが…」
「ただのラップ音よ。今度お祓いをしますから、気しないで頂戴。」
「ら っ ぷ お ん !?」
いや、余計気になるのだが……。
話を戻そう。
「それでジョゼフィーヌ様は、彼の意思を変えたいとお思いですの??」
「いいえ‼」
ジョゼフィーヌは間髪入れずに答えた。それに自分自身が驚く。
「あの方は、頑固というか……悪い意味で、強力な意志の持ち主なのです。例え国王陛下であろうと、その考えを曲げさせる事など出来ないはず。」
……そうだ。そうだった、と彼女は思う。
ダミアーノの想いを変えさせる事も、「こうする」という考えを変えさせる事も、今更誰にも出来はしない。
この婚約は、端から継続など困難だったのだ。彼には公爵家の子息だという責任感が、まるで無い。婚約者持ちとして、相手に歩み寄ろうという姿勢が全く見られなかった。遅かれ早かれ、破綻していた事だろう。
なのに……
いざ婚約破棄となったら、不利益を被るのは、間違いなく伯爵家の方だ。
向こうは公爵家、しかも次男坊。対してこちらは伯爵家、傷物となった令嬢……。
このままでは、相手は家も彼も何の痛みもなく、先へと進んで行く事だろう。
……原因を作ったのは、あちらの方なのに……‼
こんな理不尽がまかり通って良いものだろうか?……否。
まかり通ってしまうのが、この世の中だ。
だからと言って――
「……婚約破棄したいと言うのなら、喜んで受け入れましょう。ただし……泣き寝入りだけは、絶対にしたくありません!!」
胸の中では、抗う気持ちが滾って仕方がない。




