35.ただの貴族には興味ありません
突然マリアローザの屋敷に押し掛けて来て、「とある公爵令息に言い寄られて困っている」と泣いて訴える、男爵令嬢のルチアナ……。
『……この、貴族令嬢としては破壊的な気質……。公爵令息の婚約者となれる人間とは、真逆の性質なのでしょうね。その彼にとっては、さぞや刺激的だったはず。魅力を感じてしまったのも、分からなくはありませんわ。』
だって、彼女は本当に面白い――…おっと。
それはそれとして、このルチアナの悩みとは、実はかなり深刻なものだ。彼女の話し方のせいか、その深刻さが今一つ伝わっては来ないのだが……。
こちらは、最下位貴族である男爵家の令嬢。片や、一方的に言い寄って来ているのは最上位貴族である公爵家の令息――しかも彼には、すでに婚約者がいる……。
「失礼。先方の婚約者というのは、どちらのお嬢様?」
「……え゛?……確゛が……伯゛爵゛家゛の゛ご令゛嬢゛でず……」
本格的にわんわんと泣いていたルチアナは、酷い鼻声で答えた。……本当に。こんな生粋の貴族令嬢、見た事が無い。天然記念物にでも指定しようか。
「そう、伯爵家の方ですのね……」
当たり前の事だが、婚約者の方もかなり格上の家柄だ。公爵家を敵に回しても、伯爵家を敵に回しても、男爵家に生きる道は無い。これぞまさに、「前門の虎後門の狼」である。
つまり、公爵令息を手酷く振っても受け入れても、男爵令嬢の彼女には破滅しか待っていないという事だ。これはかなり詰んでいる。
しかも、この件は彼女自身が蒔いた種ではないようだから、気の毒としか言いようがない。
『……わたくしを頼るしかなかった事にも、頷けますわね。――…うん⁇ちょっと待って。』
その時マリアローザは、何かが引っ掛かった。
……この話……。つい最近、どこかで聞いたばかりのような…………
「…――あッ!?」
ハッと思い出した彼女は、そこに控える執事のリノを呼び付ける。そして、ある物を持って来させた。
それは、一通の手紙。すでに一度読んでいる中身を再確認すると、マリアローザは真剣な面持ちで顔を上げた。
「……ルチアナ嬢。」
「はい……?」
涙でパンパンに腫らした顔で、彼女は返事をする。あらら……せっかくの美貌が、大変な事に。……笑ってはいけない。
「ゴホン。……そのご令息ですけれど――…。お名前は、“ダミアーノ”様とおっしゃるのではなくて??」
するとルチアナは、腫れた目蓋をカッと見開いた。
「!!そうですっ‼凄い……どうして分かったんですか!?」
「やっぱり……」
マリアローザは、頭痛のする頭を押さえた。……似たような話はそこら辺にごろごろとしているから、既視感があったのだろうと思ったのだが……。
これに関しては違った。
“ダミアーノ・デ・バルベリーニ”。これが件の、勘違い公爵令息の名である。
そしてそれは、昨夜リノが持って来た相談の手紙の束の中――。そこで彼がピックアップしていた、「婚約者が男爵令嬢に入れあげていて…」という伯爵令嬢の悩みにもあった名だ。
つまり、ここへ駆け込んだルチアナと手紙で助けを求めた伯爵令嬢は、共に同じ相手によって困らされているという事である。
両者ともまさに『今』困っているのだから、相談のタイミングが合ったのは必然だろう。それだけ、ダミアーノの所業は酷いものというわけだ。その上、公爵家という権力を持っているから、始末が悪い。
……このままだと、健全な男爵家が滅ぼされる事にもなりかねない。それはこの国にとって、損失ともなり得るだろう。
そうなれば、マリアローザの平穏な日常にも、巡り巡って悪影響を及ぼす事になるかもしれない。
『これは確かに、一大事ですわ。』
ごくわずかな時間だが、こうして話をしてみて分かったのは、ルチアナは自分の置かれた状況をきちんと把握しているという事だ。そしてこの先の見通しも、よく理解している。
なかなか聡明な令嬢ではないか。……ちょっと変わってはいるけれど。
「ところでルチアナ嬢?もう一つ、伺ってもよろしいかしら。」
「はい、もろんです。何でしょう⁇」
「それだけ好意を寄せられているなら、いくら相手に婚約者がいたとしても、受け入れる選択肢もあったのでは?つまり略奪です。どうして、そうなさろうとは思われなかったの??」
その質問を聞いたルチアナは、貴女がそれを言う……??という顔をした。
……まあ、確かにそうだ。
今彼女の目の前にいるのは、かつて婚約者に浮気された側の令嬢である。略奪しようとする女を心底軽蔑するのが、自然な心の流れだろう。それが、ともすれば略奪を勧めているかのような事を……。
「ええと、ね……。一つの考え方として、というお話よ。伯爵家は確かに貴女のお家よりは格上だけれど、公爵家が後ろ盾になってくれたなら怖くはないでしょう?実際、そう考える方は少なくないと思いますわよ。」
「……それは、そうですけど……」
「公爵家を懐柔すれば全てが丸く収まりそうだと思わなかった理由は、何??」
ルチアナは「うーん」と不服そうに首を傾げ、視線を斜め下へやった。
「正直な話――…。あの方、全ッ然タイプじゃないんです!!」
「……は……はい!?」
「顔が、とかではないですよ⁇顔は……まあ、頭がまともならアリですけど……。まともじゃないので‼」
――と言いながら、彼女は胸の前で大きなバツ印を作ってみせる。
そこから、ルチアナの独演会が始まった。
「私、貴族と結婚するつもりはないんです!どうせまともな方には、すでにお相手がいるじゃないですか。あ。まともじゃなくても、いたりしますけど……。とにかく、残りの優良物件を他のご令嬢方と奪い合おうと思うほど、魅力的だとは思わないので‼」
マリアローザが何か言う隙も無く、彼女は覚醒したかのようにその口を動かす。情熱が凄い。
「ではどういう相手を探しているかというとですね!それは野心溢れる、成り上がりの商人ですっ!!……一代で商会を大きくするような方とか、素敵だと思われません⁇何も無いところから、一つずつ築き上げて行くんですよ⁉くぅ〰〰ッ格好いい!!頭空っぽなボンボンには、決して真似の出来ない芸当です!ああ……そんな素敵な方、どこかにいないかしら……」
そう言って、ルチアナはまだ見ぬ大商会の主に思いを馳せ、うっとりとしている。虚空を見詰めるその瞳には、一体どんな男性が映っているのやら……。
「ウチは男爵家でしょう?それを餌にすれば、上手く釣れてくれると思うんです!どうですかマリアローザ様、私のこの計画!!」
どう、と聞かれても……。
「……そう、ねえ……。良い方と巡り合えるといいですわね、ホホホ……」
「はいっ!頑張ります!!」
方向性はかなり斜め上を行っているが、彼女も普通の令嬢たちと同じような(?)夢は見ているようだ。素敵な相手と結婚したい、と――。
「ルチアナ嬢は、商人の妻になりたいのね。それは要するに、貴族籍を離れたいという事?」
「いえ、そういうわけではありません。私は商人の夫を支えて大成功に導き、いずれは新興貴族にまで成り上がらせたいと思っているんです。更にはもっと上を目指して……それも、健全な形で。そうすれば下手な貴族に嫁ぐより、フルラン家のためにもなると思われませんか?」
夢を語るルチアナの目は、健康的にきらきらと輝いていた。そして、展望もしっかりとしている。
なるほど。こういう事なら、確かにあの公爵令息はお呼びではないだろう。
「本当に、面白い方だわ。――いいでしょう!気に入りました。」
くすりと笑って、マリアローザ言う。ルチアナは目を見開いた。
「えっ……という事は……」
「貴女のお悩みに、力を貸して差し上げるという事よ。」
「や……やったあーーーー!!」
あらあら……。貴族令嬢ともあろう者が大きな声を上げ、諸手を挙げて喜んだりして。
普通なら窘めるところだが、この彼女はたぶん、時と場所をきちんと弁えている。分かった上で、自分の前では心を許し、こういう言動をしているのだ。
……かつて会った彼女らとは、全く別の人種である。
「それで、ルチアナ嬢はどのような事をお望みですの?」
「はい?……と、言いますと……??」
ルチアナはキョトンとして聞き返す。マリアローザは、例えを考えた。
「そうですわねえ――…。相手を完膚なきまでに叩き潰して欲しい、とか……。相手のお家を潰して欲しいとか??」
「そこまでは望んでいないですけど!?」
若干引きながら、彼女は食い気味に返す。……なんて物騒な事を言い出すんだこの人は、と……。
しかし、ごくりと唾を飲み、恐る恐る尋ねてみた。
「……ち、ちなみに、本当にそんな事も出来たりするんですか……??」
「これまでは、そんな感じになりましたわね。結果的に。」
マリアローザはけろりと言う。
……そういえば、元王太子は廃嫡からの田舎送りに。とある伯爵家は、急速な没落からの滅亡コース。某男爵家は、当主の処刑に伴い取り潰し……。
こうしてみると、なかなかの履歴である。
「ただ……今回は、相手が公爵家ですからね。昔とは違い、今のわたくしは彼らよりも格下ですわ。どこまで出来るかは、やってみないと分かりません。」
安心したような、残念なような……。ルチアナは一先ず胸を撫で下ろす。
「ええと……。まず、ダミアーノ様とは一刻も早く縁を切りたいです!あとは公爵家からも伯爵家からも恨まれなければ、とりあえずはそれで十分かなと……。」
今のところまだ実害は無いし、慰謝料を取ろうとまでは思わない。……というか、一歩間違えれば、こちらが伯爵家にそれを払う羽目になるかもしれないのだ。
迷惑を被った挙句、金まで取られたらやっていられない。
「あのっ!この件では、私も被害を受けているのだという事を、みんなに知って貰いたいです!ヘンな汚名を着せられる事になるのは、絶対に嫌なので‼」
そうだ。妙な噂が立っては、まだ見ぬ夫との未来まで潰されかねない。いざ成り上がろうという時、必ず足を引っ張られる事になるからだ。――社交界とは、そういうところ……。
「ふむ……なるほどね。分かりましたわ。」
マリアローザは、一通りルチアナの話を聞き終えた。
――…ストーカー令息・ダミアーノの実家、『バルベリーニ公爵家』。
少し前まで王太子の婚約者をやっていたマリアローザは、もちろんこの家の事もよく知っていた。
公爵家とだけあって、バルベリーニ家自体はまともな家だ。嫡子もよく出来た人間で、将来は安泰だろう。そしてその次男が、例のダミアーノ。
家を継ぐのは優秀な兄だからと、これまでずいぶん自由を謳歌して来たようだ。……そのツケが、そろそろ回って来ている。
彼の婚約者が不幸せそうにしている姿を、マリアローザも何度か見て来た。
『……政略結婚ですもの。ハズレを引く事もありますわ。』
彼女も、自分も……。
特別親しくしていたわけではないが、自分たちの間には、互いにそういう仲間意識のようなものがあったと思う。
それが、つい数か月前。
恐らくはその伯爵令嬢の目の前で、マリアローザはその立場から派手に去って行ったのだ。彼女にとって、それはどれだけ衝撃的だっただろう――…。
そしてその時、一体何を思ったのだろう。
「……実はね、ルチアナ嬢。」
「?何でしょう??」
マリアローザは、空の封筒だけをスッとローテーブルの上に差し出した。
「わたくし、ダミアーノ様のご婚約者様からも、同じようにご相談を頂いていたところでしたのよ。」
「えっ……ええっ!?」
「“婚約者が男爵令嬢に入れ上げているから、助けて欲しい”、とね。」
ルチアナは息を呑み、盛大に青ざめる。
「イ……イヤアーーーーッ!!私、破滅まっしぐら!!」
「ちょっと、落ち着きなさいな。」
泡を吹きそうな勢いで慌てふためく彼女。それを何とか宥めて、マリアローザは話を進める。
「こちらの方には、まだ何も返事をしていませんわ。」
「そ、そうなんですか⁉…良かったぁーー!絶対、伯爵令嬢の方を優先されると思いましたよ~……。」
ふう、とルチアナは安堵の息を吐く。
「だからね、まずはこの方からも、お話を伺ってみようと思っていますの。」
「え……でも……。そうしたら、向こうの方に感情移入しちゃいません⁇」
彼女は不安そうな表情を浮かべた。――だって普通に見れば、余所見をした婚約者に蔑ろにされている伯爵令嬢の方が、可哀想ではないか。
「そう心配なさらないで。わたくしは浮気などしませんから。聞きたいのは、この方がどうしたいと思っているのか、ですわ。」
「でも……。それでもしも私に復讐したいと言ったら、どうするんですか?」
「そこはきちんと、貴女の事情を説明するつもり。今日ここで伺った事は、お話ししてもよろしいわよね?」
躊躇いながらも、ルチアナはこくりと頷いた。
――…これは、彼女だけの問題ではない。酷い目に遭っているのは、向こうの彼女も同じ事……。
ならば、意見を合わせれば、より良い方法が見付かるはずだ。
「……何だか少し、楽しくなって来ましたわ!」
不謹慎にもワクワクとしながら、いざ行かん。伯爵家へ――。




