34.男爵令嬢にも色々あるもので
開け放った窓から、心地良い柔らかな風が吹く。夢の世界が、『こっちへおいで』と誘っているかのようだ。
――よし。
大自然の誘いとあらば、乗らぬわけにはいくまい。
朝と呼べる時刻はとうに過ぎたが、マリアローザはベッドの中で丸くなり、二度寝を決め込んだ。
あぁ、幸せ……。
――…毎日のように屋敷へ押し掛けて来ていた婦女子たちは、あれからほとんど突撃しては来なくなった。きちんとルールに則り、自分の置かれた現状を手紙にしたため、送って来るようになったのである。そういう部分は、さすが貴族といったところだろうか。
『……内容の精査は、リノに一任しているし。わたくしは彼が選り抜いた手紙の中から、“これは”と思うものがあれば、その相手と会ってお話を聞くだけよ……』
目を閉じぬくぬくとしながら、彼女は思った。これでこそ、わざわざ面倒な社交をした甲斐があったというもの。
ちょうど昨夜も、その報告を受けたところである。
「――まぁー皆さん、日頃からずいぶんと鬱憤を溜め込んでいらっしゃるようで。内容はぁ、大半が愚痴ですねぇ~。旦那様やら義母に関するものやら、婚約者への不満……。」
自らが選り抜いた手紙を持ち、封に入ったそれを眺めて執事のリノは言う。
「不貞に関するものも多いですよー。これなんか伯爵令嬢からなんですけどね、“婚約者が男爵令嬢に入れあげて、婚約破棄をして来そうだ。どうしたらいいか?”と。お相手は公爵令息だそうで。……ホント、凄くないですか⁇男爵家……。どこも、上昇志向が爆発してるんですかねえ〰〰??」
そんな事はない、ほとんどの下級貴族はまともである。……と信じたいが、彼の言う事にも正直同意である。ここ最近の流れを見ていれば、そうも思いたくなってしまうのが人間というものだ。
「ちょっと、リノ。はしたなくてよ。他人様の事情を、ニヤニヤとしながら口にするものではありません。慎みなさいな。」
「屋敷の中でくらい、いいじゃないですか~。外では絶対しませんもん!私にだって、そのくらいの常識はありますってー。」
外でされたら、堪ったものではない。いくら傷物令嬢とはいえ、主人として品性を疑われるのは心外である。
マリアローザは一つ咳払いをすると、話を戻した。
「……まあ、今のお話の方については、一先ず様子見ですわね。お気の毒とは思いますけれど。」
「えっ!?これとか、すぐにでもお話を聞いてあげるんだろうなーと思ったのに……」
「そこまでの緊急性は感じませんもの。それに。報酬を頂くとは言っても、これは生業ではないのよ?全てはわたくしの気分次第。それの何が悪くて??」
リノは納得の行かないような顔をしたが、マリアローザの言い分にも一理ある。
世の女性……と言ってもほとんど貴族に限られるが、相談に乗ってやるのは彼女の厚意に他ならない。頂く金銭も私腹を肥やすためのものではないから、これはボランティアに近いのだ。
――否。そんな高尚なものではない。ただの気まぐれ。道楽だ。
基本的には自由気ままで怠惰な生活を好み、その中に求める一粒の刺激――…と言うほど下品な好奇心からではないが、何か思うところが無ければ行動はしない。
これは、正義のために始めた事でも無いのだから……。
『……それが不満なら、他を当たる事ね……』
夢うつつで微睡みながら、マリアローザは思う。
さて。このままもう少しうだうだと過ごし、飽きたら、起きよう……。
そうして、いい気持ちでスヤー……と、もうひと眠りしようとした時。
コンコンコン。寝室の扉は叩かれた。
…………イヤナ ヨカン ガ スル…………
「マリアお嬢様。お休みのところ、大変申し訳ございません。実は、急なお客様がお見えなのですが……。いかがいたしましょう。」
――… な、 ぜ、 に 。
「長くお待たせしてしまって、申し訳ないですわ。」
マリアローザが客の待つ応接間に現れたのは、それから一時間ほど経った後だった。
何せ、「おはよう」から始めなければならなかったのである。客に会うための支度を整えるのに、これでもかなり頑張った方だ。食事だって、まだまともに取ってはいない。……とはいえ、もう昼になる時刻なのだが。
「いいえっ、とんでもないです!不躾にも急に押し掛けてしまったのは、私の方なので……。五時間でも六時間でも、待つつもりでいましたからっ!!」
目の前にいる愛らしい令嬢は、その見た目に似つかわしくない元気よさで答えた。
……“五時間でも六時間でも”……⁇
途轍もない気合いの入れようである。マリアローザは心の中で驚愕した。……絶対に会う気満々ではないか。実は『居留守』が一瞬頭をよぎったのだが、その手は端から封じられていたようだ。危ない危ない……。
『それにしても……この方の応対をしたのは、またリノだそうね。執事だから当然だけれど。どうしてこう勝手をするのかしら、全く。』
執事として同席し、平然とそこに立っている彼を横目でちらりと見る。それから、そんな事はおくびにも出さず、彼女は客人へにこりと微笑んでみせた。
「失礼ですけれど。ところで貴女、お名前は?」
「あっ!申し遅れました‼――私、フルラン男爵家のルチアナと申します。」
そう言って、“ルチアナ”は座ったままでぺこりとお辞儀をする。マリアローザは思考を巡らせながら、相槌のような返事をした。
「まあ、男爵家の……。」
下級貴族は数多くいて、その全てとは会った事がない。だが「フルラン」という名には、聞き覚えがあった。
今はこんなだが、(元)王太子の婚約者をやっていた頃は、日々真面目に王妃教育を受けていたのである。その中で、このアルベロヴェッタ王国の貴族については、一通り頭に叩き込んでいた。――…それこそ、各家の財政状況についてまでもだ。その際に見ている名だった。
それによれば、特に問題のある家ではなかったと記憶している。しかし、必要最低限のパーティー以外では、あまりその姿を見掛けないような家ではあった。
「です……よね。警戒、しますよね……。男爵家、と聞けば……」
その声に、マリアローザはハッとして顔を上げる。目の前のソファに座るルチアナは、うつむいているように見えた。そして膝の上で握り締めた手を、わずかにフルフルと震わせている。
『……不味いわ。今の言葉、“男爵家”の部分に反応したと思われてしまったのかも……。』
確かに近頃、彼女らをそういう色眼鏡で見ていた節は否めない。正直、心証が良くなかった事も認めよう……。そんな負い目が、マリアローザに罪悪感を抱かせた。
「あ、あの、ルチアナ嬢。ごめんなさい、今のはわたくし――」
「いえ、いいんですっ!」
彼女はガバッと顔を上げる。
「私もここ最近の事件については、色々と思うところがありますから!むしろ、何やってくれてんだこの野郎‼とさえ、思っているんです!!…男爵位の面汚しみたいな連中ばっかりで……本当、嫌になりますよ‼同じ男爵家でも、ウチは質実剛健をモットーに清く正しく生きているのにいい!!」
「…こ……“この野郎”…………」
ドドドと、立て板に水のごとく喋りまくるルチアナ。マリアローザは、思わずポカーンとして呆気に取られてしまう。とにかく、よほど溜まっているものがあるという事だけは、とてもよく分かった。……ご令嬢が、「この野郎」とな……。
「――あっ!すみません、私ったら……」
彼女は慌てて口を押えるが、すでにかなり手遅れだ。と、マリアローザは思った。
それはさておき。
「……よほど、何か困っていらっしゃる事がおありのようね?貴女のお家の事でしたら、偏見は持っていないから安心して頂戴。」
「ほ……本当ですか!?やっぱりマリアローザ様は素晴らしいお方です‼」
瞳をキラキラと輝かせながら、ルチアナは言う。耳が痛い。それには良心が「ウッ」となったが、相手は興奮しているせいかまるで気付いていなかった。
「そうなんです、私今、とても困った事がありまして……あの!…」
止めどなく続けそうな言葉を、前に出されたマリアローザの右手が遮る。
「貴女のお話を伺う前に。一つ確認したいのだけれど、よろしくて?」
「……はい、どうぞ。」
ルチアナはそこでようやく落ち着いて、神妙にこくりと頷いた。
「こちらにいらしたという事は、わたくしの噂を聞いていらしたのよね?」
「そうです!マリアローザ様なら、どんな事でもお話を聞いてくださるって!」
……どんな事でも聞く……??そこまで言った覚えは無いのだが……。
マリアローザは当惑する。どうやら噂には、すでに余計な尾ひれが付いてしまっているようだ。それについてはまあ、仕方がない。
「ええ……けれど、それなら当然、この事もご存知よね?――まずは、お手紙で連絡をして来て欲しい、と……。」
するとルチアナの顔が曇った。
「……はい……。それについては、本当に申し訳なく思っています……。でも今回は、そんな悠長な事はしていられなくて……‼」
切羽詰まったように、彼女は前のめりで訴える。これはどうも、かなり緊急性のある相談事のようだ。……とはいえ。
己にとっては重大でも、他人から見ればそれほどという話は山のようにある。
「では、もう一つだけよろしいかしら。わたくしもね、年がら年中他人様のお話を聞いていられるほど、暇ではないの。」
嘘である。本当は暇しかない。だが、その暇を満喫するので忙しい。
「ですからね。お話を伺うには、対価を頂く事にしましたのよ。……貴女のその相談事には、それを支払ってでもする価値がおありなのかしら??ご自身でよくお考えになってみて。」
その言葉にルチアナは視線を下げ、ほんの少しの間、考えを巡らせる。しかし、それからすぐに顔を上げて返事をした。
「はい。もちろんです!……対価がいかほどか分からないのですが……どれだけかかっても、必ずお支払いいたします!!」
そういう事か。彼女は金額について思案していたらしい。いくら請求されるか分からないから……。今の一瞬の間とは、その覚悟を決めるための間だったのだろう。もっとも、こちらは巨額を要求するつもりなど、ほぼ無いのだが。
とにかく、彼女の覚悟は受け取った。
「――分かりましたわ。お話を続けて。」
「ありがとうございますっ!……実は私、最近とある方から言い寄られていまして……」
ようやくルチアナは本題へと入った。
それによると、少し前にあった王宮主催のパーティーで、某公爵家の令息と知り合ったそうなのだ。……と言っても、向こうから声を掛けて来たので、男爵家の者としては無視をする事が出来なかった。
社交辞令として、挨拶と談笑などを交わし……それで終わりのはずだった。
――が。
「君の話はとても興味深い!どうかな今度、一緒に食事でも??」
「エッ!?…えぇっ、とぉー……?」
しどろもどろになり、泳ぎに泳ぐ目……。こんな時、何て答えるのが正解だ⁇
一つ言っておくが、ルチアナは決して初心なわけではない。
「あー〰〰、公爵令息様にそんなお誘いを頂けるなんて、光栄ですわー。」
棒読みと引きつった顔で、ホホホとそう答えた。すると相手は顔を紅潮させる。
「そうか!では、いつにする⁇」
「ヘッ⁉」
いやいや、今のは社交辞令だったよね??と思うルチアナ。しかし向こうは本気のようだ。
「いや、ちょ…っと……忙しい、ので……」
「いつでもいい!連絡をくれ‼」
「は……ははは……」
周りの目もある。空気を読め!!と突っ込みたかったが、ここは王宮だ。滅多な事は言えない。彼女は堪えた。
――え?なに⁇男爵令嬢が公爵令息に言い寄られるだなんて、玉の輿に乗るチャンスじゃないかって??普通なら喜んで飛び付くところだろうって?――…
「……そりゃ婚約者持ちだったら普通、アウトでしょうがーーーー!!」
マリアローザの屋敷の応接間で、ルチアナは頭を抱えて叫んだ。
「いやいやいや、おかしくないですか⁇そのパーティーには、婚約者様が一緒に来てるんですよ!?完全にヤバい人でしょうっ!!」
「そ、そうね……」
彼女の勢いに圧倒されながらも、マリアローザは返事をする。……至極真っ当な思考の男爵令嬢だ。
そのルチアナは、いつの間にかソファから立ち上がっていた。
「それからも、事あるごとに食事やデートのお誘い、花束なんかも送って来たりして……。私、ちゃんと丁寧にお断りしてるんですよ⁉だって相手は公爵家なんですから!……そうしたらあの男、何て言ったと思います??」
――“「お前、面白い女だな」”、って……!!
部屋の端でそれを聞いていたリノですら、思わず遠い目をして、「うわぁ……そんな事を言う殿方、実在したんすねぇ……」とぼそりと呟いてしまう始末。
一方、キー!と叫ぶルチアナの愚痴は止まらない。
「あれから私、鳥肌が収まらなくて!しかもいつの間にか、恋人関係という事になってしまってるんですよ!?本当迷惑!!……もう何度、あの顔面にこの拳をねじ込みたいと思った事か……‼」
「そ、それはやめておきなさい⁉」
カッと見開き、わなわなと震える彼女の目が不穏になって、マリアローザは思わず口を挟んだ。
するとルチアナは、目の前にあったローテーブルにうわーんと突っ伏す。
「このままじゃ私、破滅への道まっしぐらですよお〰〰!最終的に、横取り令嬢としてザマアされてしまうぅ……悪い事なんて何もしていないのに!!…あっ、“ザマア”というのは、“ざまあみろ”の意味でして……」
「大丈夫よ、存じていますわ。」
こんなところで、以前履修した小説が役に立つとは……。世の中とは分からないものだ、とマリアローザは思った。
「あの野郎の婚約者には恨まれるし……どうしてこんな目に……」
ルチアナはがっくりと項垂れる。それは確かに悔しかろう。
「……私が……私が、ただちょっと可愛いだけじゃないですかぁーー!!」
彼女の声が、屋敷中にこだまする。うん……ンン??マリアローザたちの目は、点になった。
……何か今、さらりと凄い発言が聞こえたような……
そう、さっきから話を聞いていて、ちょこちょこと気にはなっていたのだ。
マリアローザは、真剣な面持ちで彼女の顔を見詰める。
「……貴女って――…、面白いですわね?」
「ええッマリアローザ様まで!?もうー、やめてくださいよぉぉ!!」
ルチアナは確かに、美少女であった。しかし――中身が見た目を、若干台無しにしていたのである。
少なくとも、「令嬢」としては……。




