30.聖女裁判
「皆様。本日はお忙しいところをご足労頂き、大変ありがとうございます。」
まずはマリアローザの月並みな挨拶から、それは始まった。
広い王宮のエントランスホールは、壁を背にしたその一角が舞台のようになっている。……と言っても、何か特別な用意がされているわけではなく、マリアローザたち四人のいる周りがある程度人払いされているだけという状態だ。
「この度は、こちらにいるエレナ様とジュリア嬢、どちらが真の聖女であるかを検証する場でございます。」
集まった多くの人々で、会場はザワザワとしている。
「王太子の婚約者が新たな聖女とは本当なのか?」とか、「神託を受けたなら、真の聖女はやっぱりジュリアの方だろう」とか、「どっちでもいいから、聖なる力とやらを見てみたい!」だとか……。
何ともまあ、色々な意見がそこには溢れていた。
「前置きはこのくらいにいたしまして、早速検証へ入る事にいたしましょう。――リノ!」
マリアローザはパンパンと手を叩き、笑顔で執事の名を呼ぶ。すると奥の方から、何やらガラガラと台車を動かすような音が聞こえて来た。彼女の執事らしき人物は、大きな箱状のものを押している。
そしてゆっくりと主人たちのもとまで運ぶと、その目の前で止めた。
高さはそう、マリアローザの腹の辺り。立って何か作業をするには、ちょうど良さそうな位置である。横は大体、大人が軽く両手を広げたくらいの幅で、縦は体一つ分よりも少し大きいくらいだろうか……。
“箱”と言うよりも、“台”と言った方がしっくりくるような物だった。
検証会場と銘打ったここに用意されたのは、結局この箱だか台だかのようなものだけである。変わったところがあるとすれば……天板の中央辺りに、黒くて硬そうな何かが付いている事だ。あれは、枷――…?だろうか??
人々は、今から一体何が始まるのかと不思議そうな顔をしている。そして、少し離れた場所から興味深くそれを眺めていた。
「それでは、今から――」
「その前に。少々よろしいですかな?」
マリアローザが言い掛けた時、そのすぐ近くから待ったが掛かった。……モスコン男爵である。
「何でしょう?」
「ええ。…確か貴女は、エレナ様が石を光らせたのを見て、聖女であると確信したと言っていましたよね?」
「そうですけれど。それが、何か⁇」
モスコン男爵は、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「まずは、それを我々にも見せて頂けませんかねェ?何せ、証言者は貴女一人しかいないものですから……。念のために、ですよ。」
「!!」
挨拶代わりとばかりに、男爵は軽くジャブを打って来た。
『……ふ――ん、なるほどね。』
ジュリアは実際、この王宮で高官相手にそれをやって見せている。つまり、自称ではなく、客観的事実だと言いたいのだろう。翻ってこちらは、マリアローザが言っているだけ……。
“嘘ではないという証拠を見せろ”というわけだ。
……あのにやけ顔……。出来るわけが無いという自信から来るものだろう。石を光らせられなければ、この後の検証はするまでもない。例えここで上手く言い逃れたとしても、人々の心証は男爵側へ有利になるに違いない。
「――…ふう。仕方ないですわねぇ……分かりました。」
「……えっ⁇」
驚いた顔でこちらを見る男爵を尻目に、マリアローザはスタスタと歩き出した。出口へと向かって……。その先にあるのは、言わずもがな外である。彼だけでなく、観客たちも彼女の姿を目で追った。
そしてマリアローザは太陽の下に出ると、キョロキョロと地面を見回し何かを探している。十中八九、石を探しているのだろう。そして溜息を吐きながら、「これでいいか」とその一つを適当に拾い上げた。
『フン。あんなただの石ころ、光るわけがないだろう。どこまでも馬鹿な女だ。』
モスコン男爵は、鼻で笑う。一方で無造作に石を掴んだまま、彼女は会場の中へと戻って来た。その間わずか、一、二分といったところだろうか……。
それからエレナの前にやって来て、その掌に載せると両手でギュウッと握らせた。
「あの日わたくしが見たものを、皆様にも是非お見せしてくださいまし。」
「ええ……、やってみますわ。」
エレナは少し不安気な顔をしながらも、両手でしっかりとその石を握り締めた。
「光っている事が分かるよう、辺りを少し暗くしましょう。――リノ!!」
再び呼ばれた執事が、窓という窓にサッと暗幕を張って行く。素晴らしい手際だ。さすがはあのマリアローザの右腕。観客たちはそう感心した。
そうして、あっという間に辺りは薄暗くなる。……ただ、向こう側にある吹き抜け部分の窓は手付かずなので、完全な暗室にならなかった事はご愛嬌だが……。
エレナの周りは、確かに暗くなっている。
その中で、彼女は石を握ったままの手を自身の顔の前まで持って来て、祈るような仕草をした。それからニ、三分――。
力を込めるように強く強く握っていた手を、ゆっくりと……開く。
「――…い、石が……」
誰かが声を発した。
「光ってる!確かに光っているぞ!!」
それは恐らく、前方にいた観客の一人。開いたエレナの掌の上で、薄ぼんやりとだが、ただの石が光っているのを目視した。
「ええっ本当に⁉」
「私も見たい!」
「私にも見せろ‼」
口々にそう言いながら、観客たちが一気にドッと前方へ押し寄せる。すると危険を察知した騎士たちが直ちにやって来て、彼らを押さえ込んだ。……ふう、驚いた。今のは想定外。
そこへ、酷く動揺した声が聞こえて来た。
「ま……まさか……そんなわけが……!!」
モスコン男爵が青ざめている。彼は、エレナの手から石を奪い取った。そしてそれをまじまじと見る……
『確かに、光っている……。というより、これは……あの石じゃないか⁉なぜだ、なぜこんなところに……!?』
ハッとして、男爵は外を見る。その石は押し付けるようにしてエレナに返すと、彼は慌てながら走って外へ出た。それから、さっきのマリアローザと同じようにして地面に何かを探す。
「男爵?一体何をなさっているの??」
マリアローザが呆れたように声を掛けるが、無視だ。そうやって懸命に辺りを探すと、ある所で彼はホッとしたような、困惑したような表情を浮かべる……。そして何かを拾い上げた。
「あ……こちらもお見せしないと、フェアではないと思いましてね……。ジュリア!石を取りに来なさい‼」
苦しい言い訳である。それに、自分で持って行けばいいものを、わざわざ義娘を呼び付けるのも不自然だ。――…薄暗い中、それを見たマリアローザは誰にも分からないようほくそ笑む。
『……分かるわ。そうするしかないのよね?ここまで持って来てしまったら、受け渡す時に光が漏れてしまうもの。だから、最初から彼女に握らせておくの……。』
自分が後からリノに暗幕を張らせたのは、そのためである。石は、暗い中でしか光が分からない。だから、明るい中でなら堂々とエレナに石を渡せる。これで誰の目からも不自然には見えない――。全ては計算の内。
モスコン男爵が石を光らせろと無茶振りするであろう事なんて、マリアローザにはお見通しだったのだ。
『念のため、前日から石を用意しておいて正解だったわ。……彼も、やっぱり仕込んでいたようね。』
たぶんさっきの男爵は、自分が置いた石を使われたと思って焦ったのだろう。結果は違ったわけだが……。そして、ここへ戻って来たジュリアの持っている石は、当然のごとく光ったのだった。
――さて、余興はこの辺でいいだろう。
「無事に石も光った事ですし……。早速、検証に入りましょうか。」
こちらを見るモスコン男爵の視線が険しくなったが、そんな事は気にもしない。
不要になった暗幕を取り払わせると、明るさを取り戻した中で話はさっさと先へ進む。
「聖女の奇跡、と言えば……やはり、治癒ではないかと思いますの!ですから、皆様の前で、実際に怪我を治して頂こうと思います!!」
その言葉に、「おおお」と会場がどよめいた。実際に怪我を治す様――…そんなの、誰だって見てみたいに決まっている!!
「おっ…お義父様⁉」
歓声の中、ジュリアは小さな声で困ったように男爵の腕を引く。男爵の方も、脂汗を掻きながら小声で答えた。
「だ……大丈夫だ!いつも通りにやればいい‼何度もやって来ただろう⁇」
不安そうにしながらも、彼女はこくりと小さく頷いた。
……そうだ、大丈夫。いつもと何も変わらない。己を落ち着かせるよう言い聞かせながら、彼はマリアローザの方を向いた。
「――マ、マリアローザ様!それは構いませんが、当の怪我人は??ここは王宮ですよ。どうすると言うんです⁇」
「それはもちろん――…」
彼女はふっと笑う。
「今から、作るのです!」
「――…は??」
男爵は嫌な予感がした。口の端がひくつく……。
そんな中、マリアローザはおもむろに右の掌を上に向けた。
「リノ。」
「はい、こちらに。」
またしても名を呼ばれた執事は、その手の上に、うやうやしく一本の剣を載せる。それを彼女は、鞘からすらりと抜いてみせた。
「――ふむ。素晴らしい剣だわ。」
何でもよく切れそうに、鈍く輝く刃……。うっとりと眺めた後、マリアローザは鞘を放り棄てる。それから観客の方を向き、弾けるような笑顔で言い放った。
「それではどなたか、提供してくださらない?腕か足、一本で結構でしてよ。この台の上で、ちょっとばかり斬り落としますので!」
「!?!?!!」
会場全体が凍り付いた。
い……今、ここにいる誰かの腕か足を落とす……と、言ったのか??この中から?今から⁇選ぶと言う事か!?
集まった人々は騒然となる。
「皆様どうなさいまして?大丈夫ですわよ、わたくしたちには聖女様が付いていますもの‼腕や足の一本くらい、どうって事はございません。すぐ元通りになるのですから!」
いや、そういう問題じゃない。いくら元通りになる、とはいえ……痛みだって、ある、だろう、し……
艶めかしくも、冷たい光を反射する剣――。それが目に入ると、観客たちの背筋はゾゾゾとなってみな青ざめた。
「痛みだけは、確かにどうにも出来ません。ですから‼こうして枷を付けた、特注の台までご用意したのです。ここでしっっっかりと固定しますから、いくら暴れ叫んでも結構でしてよ!――さあどなたか、我こそはとおっしゃる勇敢なお方は??挙手を願います!!」
剣を手にしながらまくし立てるように話すマリアローザは、目がちょっとおかしくなっている。そしてそのまま会場内を端から見回すものだから、観客は慌ててあっちやこっちへ視線を逸らした。……決して、彼女と目が合わないように、と……。
自分が指名されない事を、誰もがただひたすらに心から祈っていた。
「名乗り出る方は、いらっしゃいませんの?困りましたわねえ……」
そう言いながら、彼女はモスコン男爵を見る。当然、彼は顔面蒼白になって、急いで首を横に振った。
「わっ私は、痛みに弱いので…あっ!保護者として、ジュリアを見守るという大事な役目がありますから!!」
まあ、そうだろう。腕も足も、落とされたら終わり。戻る事なんてありはしない。というか、下手をすれば死ぬ――それを誰よりも一番よく分かっているのは、彼なのだから……。
「……そうですか。仕方ありませんわね……。」
がっかりしたように、マリアローザが溜息を吐く。男爵を含めそこにいる者たちは皆、生きた心地がしない……。心臓をバクバクとさせながら、次に彼女が口にする言葉を固唾を呑んで待っていた。
正直もう、検証とかどうでもいい――
「ならば、わたくしが被験者となりましょう!」
「えええっ!?!」
会場内は、安堵すると共にギョッとした。マリアローザが、自ら体を差し出すと……!?
それが自分に回って来なかった事は、いい。だが…………
「マ、マリアローザ様⁇本当に、なさるのですか…⁉」
嘘だよね、とでも言うように、観客の誰かが問う。
「もちろんですわ!リノ、手伝って頂戴。わたくしの腕を、ここで固定して!」
「かしこまりました。」
動揺する観客の目の前で、執事が主人の左腕を台の上にある枷に嵌めている……。それから暫しガチャガチャと金属音を立てると、やがて彼女の腕はしっかりとその台に固定された。
「よろしいかしら、皆様?この枷には溝が付いていて、その間に刃を入れるようになっていますのよ。斬り落とされる瞬間は見えないようになっていますから、どうぞご安心くださいませ。」
安心しろと言われても……。腕が真っ二つになる事には、変わりない。……というか、なぜその本人が一人だけ笑顔でいられるんだ。
人々は、マリアローザの事がまるで理解出来なかった。
そんな事などお構いなしに、彼女は逆の手で持った剣を振り上げる。
「斬り落とした後、皆様には枷から外した腕を確認して頂きます。では――参りますっ!」
己の腕を目掛け、それは思い切り振り下ろされた。その顔は狂気そのもの……。
観客たちは、そんな様子をぼんやりと見詰めている。まるで、現実逃避でもしているかのような顔だ。
……あんな状態で、溝にちゃんと刃を入れる事など出来るのか?もしかして、あれはおもちゃの剣だったり……。だったら、腕はどうやって斬り落とす⁇検証は??――剣が下り切るまでの刹那、彼らの頭の中には色々な考えが浮かんでは消えた。
そして――…
ダンッ!!という大きな音と共に、人々の意識は引き戻される。
剣の刃は枷の溝に上手く入り、台の上に刺さっていた。腕は……もちろん、貫通している。
「―――ッ!!!」
観客らは息を呑んだ。
真っ赤な液体が、台を流れ落ちる……。しかも、大量にだ。
「あ……」
マリアローザの体が、ゆらりと揺れた。
「…ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
彼女は絶叫し、激しい痛みに悶え苦しんでいる。いかにマリアローザといえど、そこはやはりただの人。平静でなどいられなかったのだろう。そしてその弾みで、不測の事態が起きてしまった。
あろう事か、枷から片方の腕が外れてしまったのだ。固定が甘かったのだろうか。手のある方は台の上に残されたまま、体が勢いよくそこから離れて行く――。
その左腕は、当然の事ながら……
すっぱりと切断されて、途中から無くなっていた。
「――キャアアアッ!!!」
観客の悲鳴が響く。恐怖と混乱が、その場に広がった。こんな事になるなど、この会が始まる前に予想した者はいたか?いや、いない。
思いもしなかった惨状を目の当たりにし、会場はパニック状態に陥っていた。




