29.聖女は二人もいりません
これから起こそうとしている事を悟られないよう、マリアローザはこの日もまた「聖女」ジュリアの教育のため、王宮を訪れていた。
……さて、パーティーを開くにあたり、どうやって多くの人々――目撃者を集めるか。その事に考えを巡らせながら、足を進める。
そんな時、耳慣れない声に呼び止められた。
「ああ、これはこれは。マリアローザ様ではありませんか!」
彼女は声の方を振り返る。そこには一人の、中年の紳士がいた。彼はにこにことした、胡散臭い笑みを張り付けている。その顔にも覚えが無い。やはり初対面だ。しかし……
それが誰なのかは、すぐに理解出来た。
「――あら。貴方はもしかして……モスコン男爵、ですかしら?」
「ええそうです!こうしてお目に掛かるのは初めてですが、お分かりになるとは……。さすがはマリアローザ様。」
……初めて会ったのだから、まずは挨拶をするべきでは?――その非常識さに呆れたものの、マリアローザはそれをおくびにも出さず、微笑む。
それはそうと。
思っていたよりも、ずっと遅い接触だ。こちらからは、あえて会おうとはしなかった。彼自身には興味が無かったからだ。
例えいかなる理由があろうとも、モスコン男爵は無垢な人々を扇動し、王家を謀ろうとした。それが全て。そしてこれは、紛れもない大罪である。その行為に、「それじゃあ仕方ないね」なんていう甘い裁きなど、ありはしない。
男爵にあるのは、己の仕出かした罪を償う責任。ただそれだけである。
「何かご用かしら?わたくし、少々急いでおりますの。」
「もちろん、存じていますよ。我が義娘の、王妃教育に向かわれるのでしょう?」
「…ええ、そうですけれど。」
本当に、一体何の用なのだろう?今になって、こんな所で呼び止めるとは……。
しかも舞台役者のように、張った声。……元々こういう喋り方をする人物なのだろうか??
「遅くなりましたが、ご挨拶をと思いましてね。もっと早くにお会いしたかったのですが……私も何かと忙しいもので。」
「あら、そうでしたのね。」
挨拶と言う割に、男爵は笑顔の下の目が笑っていない。挑戦的ですらある、眼差しだ。見たところ、牽制でもするつもりのようだが……マリアローザに喧嘩を売ろうとは、いい度胸である。
ならば喜んで受けて立つ、と彼女は笑った。
「義娘がいつもお世話になっております。何やら、ずいぶんと熱心にご指導頂いているそうで。」
「王妃教育ですもの。厳しくせねば、王室のためになりません。王の伴侶となる者は、誰でも通る道でしてよ。」
「だとしても、もう少し手加減して頂けると有難いですな。義父としては、あの子の辛そうな姿を見ていると、胸が痛むのですよ。」
「ホホ……そんな甘い事をおっしゃっていたら、王妃になどなれませんわ。」
「しかし、ジュリアは聖女なのですから。お手柔らかに。」
にこにこと、二人は笑顔で静かな舌戦を繰り広げる……。
ここは王宮のエントランスホール。つまりは出入り口だ。
太い柱が等間隔に立ち並ぶこの場所は、一部が吹き抜けになっていて縦にも横にも広い。そこに、貴族たちや役人などが多数行き交っていた。彼らは気にしていない素振りをしつつも、こちらの様子を盗み見ているらしい。――…そうか。
男爵は、人目のある所で自分を吊し上げたかったのだな、という事に彼女は気付いた。通りで、喋る声がいやに大きかったわけである。
……『聖女は、教育係に虐められている』――。そういう印象を周囲に与えたかったのだろう。浅はかな。どうやら彼も、王妃教育の実態については知らなかったらしい。愚かな男だ。
そちらがそう来るのなら、こちらも同じ手を使ってやろうではないか。
今度はマリアローザから打って出た。
「!そうでしたわ、モスコン男爵‼」
彼女は突然大きな声を出し、ぱちんと一つ手を叩く。周囲も思わず、一瞬はっきりと目を向けてしまった。
「お恥ずかしながらわたくし、実は……聖なる力というものを、少々疑っておりましたの。だってそんな文献もお話も、これまでには存じ上げませんでしたから。」
急に何だ?と、男爵は訝しむ顔をする。だがそれを気にも留めず、マリアローザは話を続けた。
「ですが先日、この目でしかと見たのです!……火も無い場所で、何かが光っているところを……。それは、何の変哲もない石ころでしたわ!そしてそれを持つ、あの方の姿を……!!」
それを聞いた男爵の顔色が変わった。明らかに、動揺している……。そして彼の中で、何か考えが巡らされている様子が窺えた。その内容には見当が付く。
……あの石は、あれからジュリアに渡してはいないのに……。勝手に持ち出したのか?いいや。彼女は使い方だって知らない。例え勝手に持って行っても、あれを光らせる事など出来ないはずだ。なのに……⁉
口元を手で押さえた男爵は、血色の悪い顔で額に脂汗を浮かべている。そして、必死にその謎を解こうとしているようだった。
だから早々に、驚愕の事実を明かしてやろう。
「それを見て、やっと“聖女”の存在を確信いたしました。……貴方がジュリア嬢を見付けられたように、わたくしも新たに見付けてしまったのです。王太子殿下の婚約者であるエレナ様が、“聖女”であったという事実を――…!」
マリアローザは歌い上げるがごとく、高らかに声を響かせた。そして、『目覚めた』かのような、清らかで恍惚とした笑みを浮かべている……。まさに、聖なる何かに出会ってしまったかのような表情だ。
名優ばりの演技力。しかし、これくらい出来て当然ではないか。王妃となるには、敵を欺く力も求められたのだから――。
だが、それに青ざめたのはモスコン男爵である。
「な に !?」
その驚きの声を掻き消すようにして、同時にその場が大きくどよめいた。周囲は、見ていない振りをして見ていたのだから、そう反応するのも当たり前だろう。
あのマリアローザが言っているのだ、間違いなどあるわけが無い。彼らはそう判断する。この大ニュースは、この後瞬く間に知れ渡る事になるに違いない。
「……わたくしは、己の無知を恥じました。きっとこの世には、まだその存在を知られていない事が沢山あるのでしょうね。最初にその存在を認識された男爵には、心から感服いたしますわ‼」
「ま…………待ってください、マリアローザ様!!」
酷く慌てて、男爵は叫ぶ。このままでは不味い、と彼は思ったのだ。
「まぁ何でしょう、男爵⁇」
「そ、それは何かの間違いです!」
「間違い?何がです??」
「だって、もうすでにジュリアという聖女がいるではありませんか!」
「ええ。ですからエレナ様は、二人目の“聖女様”という事でしょう?」
「ですから、それは……」
マリアローザは、きょとんと首を傾げてみせる。それに、必死で違うと訴えるモスコン男爵……。そりゃあそうだろう。
“聖女”なんてものは、彼が小説からヒントを得て作り上げた虚構の存在である。実際にはいない。それを一番よく知っているのは、何を隠そう男爵自身だ。
なのに?新しい聖女を見付けただと??正直、この女が何を言っているのか分からない。頭がおかしくなったのではないかとすら、彼には思えた。
「聖女が二人いるなんて、あり得ません‼普通、聖女は一人でしょう!!」
「……そんな事をおっしゃられても……。普通、とは??どうして一人だけだと思われるのです?二人いたって、何もおかしいとは思いませんけれど。」
「〰〰ッこういうものは普通、そうなんですよ!!」
困惑した顔で愛想笑いをし、マリアローザはもう一つ首を傾げた。
この、お約束も分からない世間知らずめが‼――男爵はそう叫びたくて堪らなかった。『普通』、世界を救う特別な人間といえば、相場は一人ではないか!!なぜそんな事も分からない!?少しは物語の本も読めッ!!!
……彼は頭の中で、彼女をそう罵倒し続けた。ちなみに。そんな事、マリアローザはエレナたちが置いて行った小説で履修済みである。その事も、男爵は知る由もない。
「先ほどから、要領を得ません。そこまでおっしゃるからには、何か証拠となる資料でもお持ちなのでしょうか?でしたらぜひ、見せて頂きたいわ。」
「…それ……は……」
口籠る男爵は、視線を彷徨わせた。必死で、今度は言い訳を考えている……。
そして思い付いた。
「!神託です!!ジュリアは、神託を受けたのですよ‼“ただ一人の聖女である”、とね……!!」
はい出ました、困った時の『ご神託』。ありきたり過ぎてお話にならない。神もいい迷惑であろう、こんなに便利に使われて。
しかし男爵は、これ以上ない最高の手であると確信していた。
神託に、見せられるような証拠など存在しない……!勝った、と彼は思った。
「……ご神託ですか……」
「そうなんです!何か見せられるようなものでもあれば、私もそうしたかったのですがねえ……申し訳ない。」
そう言って、モスコン男爵はニタニタとした笑みを浮かべた。
「では、わたくしが見たものは一体何だったのでしょう?」
「残念ですが、見間違いでしょうな。よくある事です。」
ふむ、とマリアローザは、考える「振り」をする。それから言った。
「――わたくしはやはり、この目を信じますわ。エレナ様は、確かに石を光らせていらっしゃいました。」
「何をおっしゃるんです⁉聖女は一人!これは神のご意思ですよ!!」
「では、エレナ様が本物なのかもしれませんね。」
「はあっ!?そんなわけがないでしょう!ジュリアはこれまで、数々の奇跡を世の人々の前で見せて来たんですよ!?これは疑いようのない事実です‼ただ石を光らせただけで本物とは、失礼ながら笑ってしまいますね!!」
おやおや、おかしな事を言い出した。『ただ石を光らせただけで――』どこかで聞いたようなセリフである。
彼は、自分の論理が破綻しかけている事に気が付いていないようだ。そして、王太子の婚約者を侮辱している事にも、気付いていない。
「ならば、検証してみませんこと?」
「け、検証……⁇」
マリアローザの提案に、モスコン男爵は怪訝な顔をした。
「そうですわ。どちらが真の聖女か……。皆の目の前で、実際に奇跡を起こして証明するのです。簡単な事でしょう?」
「……そ、それは……」
彼は狼狽えた。奇跡を起こす……。それなら、これまでのやり方で何とかなるはずだ。困るのは、どう考えても彼女らの方……いや。
『“キセキ”なんてものが本当に存在すると思っているから、こんな提案をするのだな?馬鹿な女だ……』
一体どんな事をさせようと思っているのかは知らないが、自分たちに出来ない事を彼女らがやってのけるわけがない。最悪、引き分けだ。少なくとも、負ける事は絶対にない!……いいやもしかすると、これはむしろ好機なのではないか?
目の上のたんこぶだった王太子の婚約者を、正当な理由をもって排除する事が出来るのだから……‼
男爵はニヤリと笑った。
「いいでしょう。それで貴女の気が済むのであれば……。こちらは、やましい事など何もありませんからね。」
「それなら、決まりですわね。」
マリアローザもにこりと返す。
「では、出来る限り沢山の方をお招きして、その前で検証を行おうと思います。証人は多い方がいいですものね。いかがかしら?」
「それはいい!さすがはマリアローザ様だ。」
大勢の前で、この女と王太子の婚約者が同時に失脚する……。まさに理想の断罪劇ではないか!と男爵は思った。これで、物語はまた一歩完成に近付く。
「あぁそうだ……、言い出したのはわたくしです。会場のセッティングなどは、こちらで責任を持って整えさせて頂きますわね。それでよろしくて⁇」
「もちろん、是非!そうして頂けるなら有難い。」
“金も掛からないし”。…――とでも、思っているのだろう。実に単純な人間のようで、本当に有難い。マリアローザはほくそ笑んだ。
何せ、今回の肝は会場での仕込みにある。それが十分に出来るかどうかが、成功の鍵なのだ。流れるように自然に誘導出来たようで、何より……。
「場所の確保などに、一週間ほどお時間を頂きたいわ。詳しくは追ってご連絡します。それでは、一週間後。検証の場で、またお会いしましょう。」
そうして、約束通り一週間後――。
マリアローザとエレナ、そしてモスコン男爵と「聖女」ジュリアは検証の場に現れた。
会場は、王宮のエントランスホール。今日一時だけ、一部を広く開放して貰うように頼んだのだ。誰もが自由に見学出来るように……。
もちろん、警備は厳重にしてある。あらゆる所に騎士が配置されていて、不審な人物には目を光らせているから問題ない。
客は、招待するのではなく、向こうから勝手に来て貰う事にしたのだ。
有難い事に、あの日のやり取りは多くの者が目撃している。その後、思った通り話は一気に拡散された。噂好きの社交界のみならず、市井の人々にまで――…。
大注目の「聖女様」の話だから、当然の事だろう。
話を聞き付けてやって来た人で、エントランスホールはごった返している。この件に非常に深く関係している王太子・シルヴィオも、向こうでこの様子を見守っていた。見届け人は十分だ。
さて。そろそろ始めようか。




